第63話 ハラルドと遺跡からの逃亡
遺跡を降りる間、涙目で震えっぱなしの少女が絶え間なく懇願してきた。
「ハラルドさん、お願いです。どうか魔法を止めないでください……」
そんなの、言われなくたってそうするに決まってる。
俺たちは隠蔽の魔法を使いながら古代遺跡を移動していた。
ほとんど無人であったが、途中で多くの聖教会の人間にすれ違った。
彼らに見つかったら終わりだ。
なにせ、俺たちは最後のローブすら失って、素っ裸のままだから。
「みっ見えてないんですよね?」
「ああ。お前のおかげで大丈夫だ」
素足でぺたぺたと石畳を踏みしめながら、そんな問答を繰り返した。
途中で人とすれ違うたびに、気付かないでくれと祈りながら、その場で必死に目をつむって立ち止まった。
俺が魔力を探知して、ナタリーが音を探知する。
森でやったような高精度の索敵だが、こんな風に使うことになるとは思わなかった。
(戦った跡はあるのに、誰も倒れていないのか……!)
ここでも聖教会と邪教の戦闘があったようだ。
魔力が残留しているのを感じる。
しかし、肝心の邪教側の人間は一人も見当たらなかった。
倒したあとは律儀に回収していったようだ。
おかげで服を剥ぎ取ることができず、ローブを失ってしまったことがますます悔やまれた。
手を繋いで階段を降りた。
ほとんど一本道で迷うことはなかったが、塔そのものが巨大だったので、最終的には数時間かけて降りたと思う。
監視だらけの塔からようやく抜け出したのは、朝焼けが見え始めた頃だ。
塔の入り口付近の柱から様子を伺う俺とナタリーは、唾を飲んだ。
(難関だな……)
入り口の扉は空いていたが、外にかなり大勢が集まっているのが見える。
全員が聖教会側の人間だ。
塔の中に残党が残っていることを考慮して、備えているのだろう。
心細そうに過ごしていたナタリーも、いよいよ我慢できなくなってきたのか、無言ですがりついてくる。
「大丈夫だ。この人数なら足音は聞こえない」
ナタリーに静かに言い聞かせて、頷くのを確認した。
人の出入りがなくなった隙にこっそり出て、人混みを抜けて塔から離れた。
幸い彼らは俺たちに全く気付かなかった。
隠蔽の魔法は、本来は一分程度が限界の魔法だ。
ナタリーの魔力で効果時間がほぼ無限に延長されていることを考慮しておらず、そのおかげで通り抜けることができた。
邪教の人間の調査と、後始末に追われていることも、逃亡の後押しをした。
塔付近を離れる最後まで、彼らに気づかれることはなかった。
離れた場所で安堵の息をついた。
「助かりました……」
「ああ。街にも戒厳令が出ているんだったな」
教会の命令のおかげで人の気配は皆無だ。
昨日のような人混みがあったら、逃げることはできなかっただろう。
俺は遠くを見上げた。
遠くに見える平原の遥か彼方に朝日が登り始めていた。
朝の爽やかな風が流れ込んでくるのだが、その涼しさを全身で感じる。
やはり、涼しすぎて落ち着かない。
こうしているだけで、早く服を着たい気持ちでいっぱいになる。
「あのっ、ここからどこに行くんですか……?」
手で隠しながら、後ろをついてくるナタリーが心細そうな小声で尋ねてきた。
今の俺たちに目的地はない。
兄を倒して、教会を撒いた今は一刻も早く街の外に逃亡するべきだ。
しかし服を手に入れないと話が始まらない。
服なしで街を出るわけにもいかず、そして冒険のための道具も何もかもを失った状態を何とかしなければならない。
「大丈夫だ、行くあてがある」
俺には考えがあった。
ナタリーが首をかしげる。
「荷物を取りにいくんですか? ですが教会は危ないですよ……?」
「いや、聖教会には向かわない。俺についてきてくれ」
「ううっ、ではお任せします」
ナタリーの鋭敏な聴覚を信頼しつつ、大通りをまっすぐに進んでいった。
この問題を一挙に解決する心当たりがあった。
ほとんど無人の街をぺちぺちと堂々と抜けていく。
そうして向かったのは、町外れ。
邪教の信奉者であった魔石コレクター商人の大邸宅だ。
「ここは……」
金がないと困り果てていたところに話しかけてきた、例の男の根城である。
正面から見ると、その壮大さが分かる。
屋敷よりも庭の方が広くて噴水まで構えている。
鉄格子の門は中途半端に開かれたままだ。
「そうです! ここなら服を借りられるかもしれません」
「ああ。そのくらいのものは貰っても、ばちは当たらないだろう」
俺たちを殺そうとしたのだから、そのくらいは問題ない。
冒険の道具と、最悪の場合でも服だけはここで手に入れたい。
聖教会の人間が見回っただろうが、いまだ一連の邪教騒動の混乱の最中であるためか、人の気配は皆無であった。
広い庭を通って、手を引きながら人の気配がない屋敷に踏み込んでいく。
正面の大扉は鍵さえかけられていない。
ありがたく思いながら、しかし非常に無用心だと思った。
屋敷は静寂としている。
立っているだけで不思議な気持ちになった。
「本当に、誰もいませんね……」
朝日が入り込むエントランスだが、影がかかって薄暗い。
日が登りきるまではもう少し時間がかかるだろう。
「邪教側の重要な拠点だったはずなんだがな」
だが、考えてもみれば当然かもしれない。
街に戒厳令が出されていることもそうだが、拠点である教会が放火されたうえ、塔には実際に悪魔が出ているのだ。
聖教会も、たった一日で起きた重大事件の数々で混乱しているのだろう。
人が割かれていないのは、探索の余裕ができるので幸いだった。
贅沢な真紅の廊下を、俺とナタリーが裸足で踏みしめて進んでいく。
「考えが正しければ、ここにまだ残っているはずだ」
そして最初に通された部屋を探し当てて、扉を開けた。
部屋は主人の部屋に通される前に入った控え室のような場所だ。
こじんまりとしたテーブルと椅子しかない部屋に入ったとたん。
エルフ少女の美しい目が、夜空に浮かぶ星のように輝いた。
「あ、ああっ! そうでしたっ! これがありました!」
はっきりと嬉しそうな表情を、見せて駆け出していった。
俺の所有物であるリュックが放置されていた。
魔石を売る前に、カバンをこの部屋に預けていたのだ。
回収されたかもしれないと考えていたが、ありがたいことに、そうはならなかったようだ。
ナタリーが次々に取り出していく。
中身はオークとゴブリンの魔石。
地図。
ほぼ空の財布袋。
野営用の道具達。
そして……俺たちの着替えを取り出して、大切そうに抱きかかえた。
「やりました……! これでもう恥ずかしいのは終わりですっ……!」
「先に着替えていいぞ。俺のぶんの服も出しておいてくれ」
「任せてください!」
さっそくナタリーが布に袖を通す音が聞こえた。
人間の服を着るのもすっかり慣れたみたいだ。
俺は反対方向を見るように視線を背けながら、ソファに腰掛ける。
すると、一気に気が抜けた。
「ああ、疲れた……」
ズルズルと座り込んで天井を見上げる。
緊張の糸が切れた。
大変な事態に巻き込まれた。
捨てた過去まで引っ張り出される、最悪の展開だった。
だが、ここまで無事に戻ってこられた。
すっかり気疲れに塗り潰されてしまった。
(ナタリーを、誰にも見せずに済んでよかった……)
裸にひんむいて、知らない街中を連れ回したことを申し訳なく思った。
唯一パウルと悪魔には見られたが、ナタリーまでは見えていなかったはずだ。
そして俺もこんな経験は人生で初めてだ。
「こんなことはもう二度とごめんだ」
ぽつりと溢した。
この街であったあらゆることが、ろくな出来事ではなかった。
だが唯一、長年のしかかり続けていた肩の荷が、少しだけ降りたことだけが俺の心を軽くした。
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