第62話 ハラルドと決戦の後
俺は息を絶やしながら、膝をついて杖を取り落とした。
ナタリーも力を使い果たしたみたいで、ズルズルと背中から滑り落ちていく。
「はぁ、はぁっ……はぁ」
「ふはっ、ふーっ。ふぁ、はっ……」
お互いに息切れで動けなくなっていた。
それもそのはずで、二人の全身を流れた魔力は膨大な量だった。
ナタリーは、俺が今までの人生で使ってきた魔力の総量を超える特大の魔力を使われて、一瞬で消費させられた。
俺はたった一つの魔法にそれを注ぎ込み、敵を倒すまで維持し続けた。
疲れ果てるのは当然のことだった。
部屋には、魔法の残滓がいまだに残っている。
大空に輝く星が舞っているみたいに、緑色の魔力光が降り注いでいた。
悪魔の気配は消え去った。
美しい景色を見つめながら仰向けに寝転んだ俺は、自分の手を見つめる。
凄まじい魔法を作り上げてしまったことに、震えていた。
「今のを、俺がやったのか」
上級悪魔と戦ったのは初めてだ。
今まで出会ったどんな魔物や人間よりも凶悪だった。
あれは、絶望の具現化だ。
一人で立ち向かっていたら対抗する気すら起こらなかっただろう。
ナタリーの魔力はそれを遥かに超えていた。
もし俺に魔力を見る能力が備わっていたら、畏れ多過ぎて、出会った時に『仲間になってほしい』などとは言わなかっただろう。
エルフ族というのは、本当に凄まじい才能を秘めた種族だ。
「ハラルドさん」
「ナタリ、ィッ!?」
横を見て、出した言葉がねじれた。
四つん這いになったナタリーが俺の様子を覗きにきていた。
ローブは俺が着たままだ。
つまり、美しいエルフの少女は生まれたままの姿だった。
「お、おい。今俺たちは裸なんだぞ……」
「えへへ。恥ずかしいですが、仕方ないですから、見てもいいですよ」
「そういうわけにはいかないだろう」
ばっと顔を逸らしたが、苦笑いをされるのみだった。
……ちらり、もう一度見る。
大切な部分だけは手で隠しつつ、ぺたんと座り込んでいる。
本人は苦くて赤い表情で笑っていた。
「肌も大切な部分にも触られてしまったので、気にしませんよ」
「誤解を招く言い方だな……」
大切な部分というのは、むろん魔力の源という意味だ。
断じてそれ以上の意味はない。
素肌をあまり見ないようにしつつも、可愛らしい姿を脳裏に焼き付けた。
「それで、体調は大丈夫なのか?」
俺は自分のローブを脱ぎつつ、膨大な魔力を渡した少女を気遣った。
「少し疲れてしまいました」
「あれだけの魔力を使っても、その程度なのか……すごいな」
俺は思わず呆れかえってしまった。
普通の人間は、中級魔法ほどの魔力を使えば卒倒してもおかしくないのに。
まあ……エルフだからそうなんだろう。
畏怖も尊敬もなく、ただ凄いなと感心するばかりだった。
「森の異変は止められたのでしょうか」
ナタリーはそう言った。
森の民である彼女にとっては、そこが大きな気がかりだった。
「この様子を見る限りだと、止められたんだろう」
奴らがこの部屋で何らかの魔法を使っていたことは明らかだ。
燭台は魔力の暴風によって所々倒れて、地面の魔法陣も破損している。
もう、どう見てもまともに機能するような状態ではない。
何より、悪魔の邪悪な魔力だけでなく、塔に漂っていた大きな魔力を感じなくなっていた。
「ほらっ。とりあえず、これだけでも着ておけ」
とにかく先にナタリーに、脱ぎきったローブを渡そうとする。
「必要ありません」
「えっ」
だが首を横に振られ。
「それを受け取ったら、ハラルドさんが裸になってしまいます」
「い、いや。俺の裸なんかより、お前が裸でいるほうがヤバいだろう」
「いやいやいや」
「いやいやいやいやいや」
ナタリーは、かたくなにローブを受け取らない。
俺は両手で押し付けようとするのに、押し返してくる始末だ。
ぐぐぐっと、かたくなに力で押し合った。
なぜ、受け取ってくれないんだ!?
「あっ……」
「え、どうしたナタリー」
そんな最中にぴくんと尖った耳が震えた。
ナタリーの表情は真っ赤に染まり、咄嗟に両手で小さな胸を覆い隠した。急に恥ずかしいという感情が浮き出してきたのだ。
「ま、まずいです。誰かがここに近づいてきますっ」
「はぁっ!?」
俺は慌てた。
ここからは何の音も聞こえないが、鋭敏な聴覚で聞き取ったのだろう。
「近づいてくるって、どこまで来ているんだ」
「どどどっ、どうしましょう。もうすぐそこまで来ていますっ」
「すぐそこ!?」
ナタリーの視線は下りの階段を見ていて、一刻の猶予もない様子がうかがえた。
近づいてきているのは聖教会側の人間か。
それともパウル側の残党だろうか。
だが、今は仮に無関係な民間人であったとしてもまずい。
俺たちは二人とも全裸なのだ。
そして、物陰に隠れる余裕もなさそうだ。
「ナタリー、絶対に喋るんじゃないぞ!」
「ふぇっ!?」
俺は大急ぎでナタリーの肩を抱き寄せて、杖を振った。
すると少しの間のあとに、ぼんやりと入り口の方から何者かが姿を現す。
現れた人物は二人。
いずれも聖教会側の人間だった。
「何ですか、これは……!」
一人は、俺とともに塔に入った神父だ。
あからさまに驚愕した様子で、あたり一帯の惨状を目にした。
燭台が倒れている。
血で描かれた魔法陣が破損している。
悪魔らしい物体が散乱している異常な状況に絶句していた。
「あなたは、一体何をしていたのですか」
錫杖を構えながら警戒しつつ、部屋にいた存在に向かって問いかけた。
ビクッと、全裸で座り込んだナタリーが震えた。
だが、その口を隣の俺がそっと塞ぐ。
「気を失っているみたいです、神父様」
もう一人の少女は、リザだ。
そんな風に言った。
プルプルと怯えていたナタリーの震えが、ぴたりと止まる。
「リザ、確認してきなさい」
「分かりました」
彼らの視線の先に俺たちはいなかった。
青髪の少女リザがコツコツと近づいてくる。
全裸で座り込む俺たちは、まったく隠れるような位置にはいな。
リザはそのまま真横を通り過ぎて、すっかり無視された。
(隠蔽の魔法が間に合った、よかった……!)
俺は心の底から安堵した。
使ったのは、自分の姿を完全に隠してしまう魔法だ。
自分自身を透明にして気配を消すことができる。
魔法を拡大してナタリーも範囲に加えたが、どうやらうまくいったようだ。
彼らが見つけたのは、最初に奇襲で倒した悪魔側の人間だ。
リザは、部屋の中心で倒れている二人の男を確認した。
黒ローブ姿の男たちの周囲には大量の塵が残っている。
パウルの末路を知るはずもなく、リザは主犯格が見つからないことを不審に思っている様子だった。
「『スキル』で確認します」
手袋を外して、右手でギルドの人間だった魔法使いの男に触れる。
目を瞑って少し考えた後、今度はもう一人の男にも触れる。
「どうでしょう、手がかりは得られましたか」
リザは、首を横に振る。
「邪教の人間じゃありません。首謀者に操られていたようです」
「ふむ……隠されていたこの場所が最上階で間違いなさそうですが。悪魔の気配はありませんね」
「私も感じません」
「先ほどの神聖な魔力の余波といい、ここで一体何があったのでしょう」
神父は悩むように考え込んだ。
どうやら彼らも、俺たちの魔力のことを感じ取っていたらしい。
座り込んで聞いているうちに落ち着かなくなってきたのだろう。ナタリーがもじもじと太ももと擦り合わせる。
「聖教会に、あんな魔力を出せる人材はいません」
「……そうですね。我々の他に、悪魔を滅ぼした人間がいるようです」
少し不快そうに目を細めながら、厳しい口調で問い詰める。
「リザ、あなたは心当たりはありませんか」
「例の二人なら、ありえると思います」
俺たちのことだとすぐに分かった。
今度はナタリーと体を寄せ合わせながら、揃ってびくっと震える。
「彼らは、確かに上級魔法の使い手ではあります。ですが光系統の使い手ではなかったのでは?」
「エルフを確認していません。可能性はあります」
「あの亜人ですか。ですが亜人ごときに、我々人間のみが扱える神聖な光系統魔法を使えるはずがありません」
「…………」
「リザ、あなたの悪い癖です。ありえない可能性を議論する癖はやめなさいといつも言っているでしょう」
「……はい、神父様」
完全に見下すような態度で、やれやれと首を横に振った。
「とはいえ例の二人は遺跡の中にいるはずです。拘束を確実にするためにも、見つけ次第あなたの『スキル』を使ってもらいますよ。それまで我々はこの場所の調査です」
「分かりました」
どうやら、彼らはしばらく出て行きそうにない。
俺たちは離れている二人の会話を尻目に、そうっと移動を始めた。
下にも聖教会の人間がいるだろう。
だが、とにかくこの場から離れないと、ふとした瞬間にばれてしまいそうだ。
「ん?」
揃って裸足で、下り階段に向かって忍び歩きをしているときだ。
背後の神父が疑念をこぼして、ナタリーが息をつまらせたような音を出した。
「これは……」
そうっと振り返ると、リザがさっきまで俺たちの居た場所に立っていた。
視線の先には、俺の着ていたローブがある。
しまった。
魔法を使うことに夢中で、回収していないのを忘れてた……!
「その汚らわしいローブがどうかしましたか」
「……いえ、何でもありません」
心臓をバクバクさせながら様子を見守っていた。
しかし、どうやら二人はそのまま興味を失ってくれたらしい。
奴らは俺を探してる。
俺の使っていたものだと分かれば、こうはいかなかっただろう。
邪教の人間のローブの色が似ていたために、勘違いしてくれたようだった。
そのままナタリーと手を繋ぎ、一目散に塔をあとにした。
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