第58話 ハラルドと裸のエルフと邪悪な気配

 少しづつ光がおさまっていく。

 碑文に伸ばしていた両腕から魔力は吸い込まれていない。


「く……なんだったんだ、今の光は」


 眩い光のせいで、まだ若干視界が戻らない。

 ゆっくりと目を開けると、周囲の景色が一変していた。


「う、ううぅ……」


 足元に溜まっていた水はなくなっている。

 周囲の様子を探っていると、背負われるような状態でいたナタリーも目を擦りながら起き上がった。

 

「おいっ、大丈夫か!?」

「ここはどこですか……?」

「無事か。分からんが、さっき居た場所じゃなさそうだな」


 明るい薄茶色の壁で囲まれているこの部屋は、流れる空気は新鮮で冷たい。

 目の前の碑文のほかに石柱が点在していて、入り口の部屋と似ている。

 狭苦しい空間からは脱出できたようだ。


「ううっ、さむいです……」


 ナタリーは両肩を擦って、辛そうにうめいた。

 

「い、いや、そうだ。俺たちの服っ!」


 俺は、自分たちの境遇を思い出して慌てた。

 ナタリーと揃って服を着ていない。生まれたままの姿で背負ってるので、生肌の暖かさを感じ合ったままだ。

 急いで周囲を探したが、そこで最悪の事実を知ってしまい愕然とした。

 

「おいおいおい」


 俺は焦りながら、足元の黒ローブを拾い上げた。

 そのほかにめぼしい服は一切見当たらない。

 俺たちが脱いで水面に放置した服は、一緒に移動しなかったのだろう。

 肌着が消えた。

 俺も、ナタリーも、真っ裸のままだ。


「どうしましたか……?」

「前の場所に、服を置いてきたらしい」

「ふぇっ」


 背負われているナタリーには、様子が分からなかったのだろう。

 現状を伝えると変な悲鳴をあげた。


「なななっ、なにか代わりのものはありませんか」

「このローブしか見つからないんだ……」


 ドキドキと、心臓の動きが速くなったのが俺にまで伝わってきて、非常に気まずくなった。

 遺跡に服の代わりになるものなんて、そうそう置かれているはずがない。

 人間の常識を知ってしまったナタリーにとっても、俺にとっても、この状況はやばすぎる。


「は、は、ハラルドさん。誰かが通りがかったら、わ、わたし、人間さんに、恥ずかしい姿を見られてしまいますっ」

「わかってる……!」


 俺だって、叫び出したい気持ちは同じだ。

 全裸の少女を連れた全裸の犯罪者と間違われないために、早急にできることをしなければならない。

 俺はすぐに、手放さなかった魔法の杖を振った。


「ふぁぁ、なんだか暖かいです……!?」


 温風を出す風系統魔法によって、ずぶ濡れだった体が乾いていく。

 寒がっていたナタリーが少し落ち着きを取り戻した。

 びしょ濡れになっていたローブに強めに温風をかけて乾かした後、それを、ナタリーごと覆うように羽織った。


「はぅっ。まえが、みえません、ハラルドさん」


 ローブの中でもごもごと動きながら、苦しそうな様子でぷはっと顔を出した。

 普段から着ている黒ローブのおかげで、体を離さないままにナタリーを覆いかくすことに成功した。

 これで誰かに出会っても外から大切な場所見えないだろう。


「くそっ。さすがに前は閉まらないな……このまま行くしかないか」


 しかし前は半開きになってしまい、俺のほうは隠せなかった。

 酷い状態のままだが仕方ない。

 俺なんかよりもナタリーを守るべきだと考えて、諦めることを決めた。


「このまま居ても仕方ない。とにかく、ここから移動しよう」

「どこに向かいますか?」

「向こうに階段が見えるだろう」


 部屋には二つの出口があった。

 登る階段と、降りるための階段だ。


「上に行きましょう」

「ああ、上に向かおう」


 俺たちの意見は迷わずに一致した。

 魔法によって飛ばされたので、現在位置がわからないことは承知だ。

 それでも地下に落とされたあとで、さらに降りる気にはなれなかった。

 どうせ今は、上も下もわからないのだから一緒だろう。


 俺たちは移動を始めた。

 布越しに、もたれてくるナタリーの腰下を両手で支えながら登っていく。

 塔自体が巨大だが、登り階段も数十人が並んで通れるほどに大きかった。


 いったい昔の人間は、何のためにこんな大規模なものを作ったのだろう。

 そもそも、こんなものをどうやって建てたのだろう。

 古代には想像もつかないような魔法があったのだろうか。

 そんなことをぼんやり考えて、気を逸らしながら、ナタリーを気遣いつつ足を進めた。


「ん……?」


 俺はふと足をとめる。

 まだ見えない上階に視線を向けた。


「どうかしましたか」

「上から魔力の気配がする。何か聞こえないか?」

「ちょっと待っていてください」


 背負われているナタリーが、長耳をぴくぴくと揺らした。

 そして首を傾げる。


「何か小さいものが燃えるような音が聞こえます。それと人の声みたいなものも聞こえますが……」

「誰かいるのか」

「声が小さすぎてわかりません。ところで、魔力というのはもしかして」

「ああ。『悪魔の魔法』を使っているやつが、この先にいるみたいだ」


 悪魔と聞いて、ナタリーの身体がこわばった。

 もともとパウルの悪魔信仰一味の元に向かうつもりだったが、さっそく当たりを引いてしまったらしい。

 せめて服を確保してから出会いたかったと思ったが、そんな余裕はない。

 俺は、膨大でおぞましいほどに黒い魔力を感じていた。

 

「なんだか空気が重いです……」


 ナタリーでさえそう感じるほど、重々しい空気が漂い始めていた。

 階段を登るごとに強くなっていく。

 この先で悪魔にまつわる危険な儀式が行われているのだろう。

 これだけの魔力だ、パウルがいる可能性は高い。そして一刻の猶予もないかもしれない。ためらう気持ちがないわけではなかったが、押し殺した。

 背後で身体が小刻みに震えるのを感じる。

 ナタリーも怖がっているのだ。


「大丈夫だ」


 俺は自信を持ったように、励ました。

 無防備を晒してしまった仲間を守って、無事にこの場所から撤退する。

 必ずナタリーを守るという決意が胸を満たしていた。


「必ず勝つ。だから、行こう」

「はい……っ」


 謎の古代の魔法さえ起動した俺たちに敵はいない。

 魔法の杖を携えながら、邪悪な空気を漂わせる上階に向かった。

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