第55話 ハラルドは仲間と生贄の部屋に落とされる


「あああっっ!!」


 空中から落下するナタリーが、腕の中で涙を流しながら絶叫した。

 俺は歯噛みしながらも、急いで空中で杖をふるって風系統魔法を発動させる。


「く、くそっ! 『アウラ・ヌーブ』ッ!」

 

 体を浮かせる魔法の風が二人を包み込むが、落下の速度を殺しきれない。

 地上が見えてきて、俺たちはそのまま地面に激突し、派手な水しぶきがあがった。


「ぐっ、おえっ! なんだ、この水っ……!」


 その空間に溜まっていた液体が周囲に散らばった。

 起き上がったあとに、ぺっぺっと、慌てて口に入ったモノを吐き出した。気持ちの悪い緑の臭いが、口いっぱいに広がったのだ。


「ぷはっ。ううっつ、この水は腐っていますよう」


 その一方でナタリーは飲み込まずに済んだようで、口をかたく閉ざしながら、情けない顔で起き上がる。

 一面が壁の円筒状の狭く静かな空間に、二人きりで立っていた。


「溜め池みたいになっているのか。なんだこの場所は……?」


 水の流れはなく、地面は緑色の水で満たされている。

 おそらく長い時間をかけてこの場所に溜まったのだろう。とにかく臭いが酷すぎる。杖を拾い直して水系統魔法を使って浄化した。


「『アクア・ピュリフィケーション』……っ」


 魔法の光が水面に当たると、一気に水が澄んでいく。

 ようやく落ち着いて状況を整理できた。

 魔法のおかげで大きな怪我はなかったものの、状況は悪い。

 壁と床が一面同じ色の石畳で、一見すると出口がないように見えた。落ちてきた天井の穴は先が見えないほど遠い。教会の小部屋に閉じ込められたときよりも強い圧迫感を感じて、ぞっとした感覚が背筋を這い上った。


「は、ハラルドさん。怖いです……」

「……大丈夫だ」


 そう励ましつつ、内心では冷や汗を流した。

 地上にいた俺たちはいったいどこまで落ちてきたのだろう。

 上まで戻っても壁に囲まれているため、おそらく脱出は不可能だ。

 状況が悪い。


「上まで戻らないとですよね……?」

「ああ。最悪の場合は、上級魔法で壁を壊して脱出するしかないか」

「こんな狭い部屋で使ったら、大変ですよ!?」

「その通りだ。ただじゃ済まないだろうが、それでも何もせずに飢え死ぬよりはマシだろう」

「う、うう……」


 提案した俺も、できればそれはしたくない。

 こんな地下深くで遺跡を破壊して無事で済むとは思えない。

 それに、どうやらこの部屋の壁にも魔法的な防御がかかっているようだ。

 半端な魔法では傷をつけることさえ難しいだろう。


「まずは、他に脱出方法がないか探すのが先決だ」

「わかりました……」


 震えながら頷くナタリーから離れて、探索していない壁側に近づいた。

 その部分を確かめるように触れながら思考を巡らせる。


(多分、俺たちが落ちたのは偶然じゃない。パウルの策略のはずだ)


 やつは元々、ナタリーを生贄にしようと目論んでいた。

 塔に訪れたときに俺に対して用済みだと言い放っていた。

 ならば最初から、ナタリーをこの部屋に落とすつもりだったのだろう。


 ここは生贄を捧げるための部屋なのか。

 天井のほかに一切の脱出方法が見当たらない。

 昔に学んだ悪魔の魔法儀式の中に、『密室に閉じ込めて死ぬ瞬間に放出する魔力を徴収する』なんてものもあった気がする。

 そうだとすると、脱出方法なんて存在するのだろうか。


(悪い方に考えるな)


 首を横に振って、悪い想像を打ち消した。

 すべて仮説に過ぎないし、幼い頃の知識はもうすっかり曖昧になっている。

 必ず脱出する手段はあるはずだと信じて、あたりを探した。


「あ、あのっ。何を探せばいいでしょうか……?」

「あいつは魔法を使って遺跡を動かしていただろう。同じような仕掛けがあるかもしれない」

 

 俺たちにとって唯一の希望は、ここが古代遺跡だということだ。

 パウルが魔法陣を使って遺跡を操作していたが、あれはパウル独自の魔法ではなく、遺跡に仕込まれていた仕掛けを起動しただけのように見えた。

 なら、この部屋に立って同じような仕掛けがあるかもしれない。その可能性に賭けて探っていた。

 すると、奇妙なものを見つけた。


「なんだこれは」


 壁の一部分に、意味不明な記号が刻まれているのを探り当てる。

 脱出につながる手がかりかは分からない。

 だが、明らかに自然にできたものではない。人の意思で彫られているそれは文字のように見えたが、それが何を意味しているのか理解できなかった。

 

(これは古代の文字か……? いや、さすがに解読は無理か)


 人工的なものであることは間違いないが、見たことがない文字だ。

 王都に住んでいる学者なら分かるのかもしれないが、俺なんかが遺跡の文字を読めるはずがない。


「くそっ。そりゃあそうか……」


 唯一、何かの手がかりになりうるものを見つけたのに、意味がない。

 考えてみれば古代遺跡なのだ。俺たちが理解できるもののほうが少ないだろう。

 そう思って、ますます焦りを強くしたときのことだ。


「――――――、ですか」


 いつの間にか俺の隣に来ていたナタリーが、不思議な音を口ずさんだ。


「え……?」

 

 妙に頭の中に残る声が響いた。

 何を言われたのかまるで理解できずに、戸惑った。


「ナタリー、今のは」


 何だ、と。尋ねかけた直後のことだ。

 背後で重い音が響く。

 異変は部屋の中心部で起きた。

 何かが水をかぶりながら迫り上がっていたのである。


 それはモノリスのような物体だった。

 青黒い金属で作られた物体が、何らかの仕掛けによって姿を表した。

 ポツンと立ち尽くす俺たちと異変を残して、地下の密室に静寂が戻る。

 俺は唖然とした。

 ナタリーもぽかんとしていた。


「ナタリー。何をしたんだ」

「わたし、何をしたんですか?」


 目を丸くして聞き返してくる。

 恐らくはこの現象を引き起こしたナタリーも、何が起きたのか分かっていなかったらしい。


「待て待て。この壁を見て変な声を出していただろう。これが読めるのか?」

「はい、その壁にそう書いてあります」

「嘘だろ……?」


 確かこの遺跡は、相当に昔に造られたものだったはずだ。

 その文字を普通に読めるというのは奇妙な話だ。


「なんでこれが読めるんだ。どこかで習ったのか」

「いつも使う文字じゃないです。エルフの里だけで使っている魔法文字ですから、たしかに他の場所では見かけませんね」


 ナタリーも狐につままれたように、こんな場所にもあるんですねえ、などとつぶやいていた。

 エルフ族は本当に俺の常識を超えてくる。

 世俗に疎いだけではなく、もしかすると古代の知識の宝庫でもあるのではないだろうか。ますます興味が惹かれたが、しかし今はそれを考えている場合ではない。


「あっちのモノリスも気になるが、ここには何が書いてあるんだ?」


 まずはナタリーの言葉を聞くことが最優先だ。

 手がかりになりうるかもしれないと思ったのだが、ナタリーは暗い表情を浮かべていた。何か悪いことが書いてあった様子だ。

 

「…………」

「大丈夫だ。どんなことでもヒントになるかもしれないから、教えてくれ」

「この部屋は、生贄の部屋だと書いてあります……」

「……そうか」


 二人の表情が、揃って芳しくなくなった。

 悪い意味で予想が当たってしまった。やはりパウルは部屋の存在を知っていて、この場所にナタリーを落とそうとしたのだろう。


「他には?」

「何も書かれていませんが、あっちのほうはどうでしょうか」

「……ナタリーの言葉に反応したのか? とにかく向こうも見てみよう」

「はいです!」


 部屋の中央に生えてきた碑文のほうに、ナタリーの手をつかんで移動した。

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