第51話 ハラルド・マールムの過去


 とある街の外れに、貴族の住む豪華な屋敷が建っていた。

 悪魔を信仰している人間の住む場所であることは誰も知らなかった。


 マールム家は悪魔信仰の中心的な存在であり、俺もその家で生まれた。

 貴族の血筋でないにも関わらず、家主のように振舞う父母と親兄弟。

 媚びへつらう貴族と、その使用人に囲まれて育った。


「魔法の才能を持たないゴミ」

「一族の面汚し」

「無能のハラルド」


 俺は魔力を持たずに生まれてきた。

 家族は魔法が使えない俺を底辺の存在として扱い、悪魔を進行する貴族側の人間も、一切俺に関わろうとはしなかった。

 ろくに食事も与えられず、兄弟からは徹底的に暴力を受けた。

 隠匿されながら育った俺は、家族から忌み嫌われていた。


「う、ううっ……」


 古臭いベッドが置かれた、狭くて暗い倉庫で、膝を抱えて泣くのが日常だった。

 魔法を使えない人間なんて世の中に溢れている。

 しかし悪魔信仰の人間は、祈祷書、教義について書かれた内容を何よりも重要視していた。その中の『悪魔の魔法』を使うことが、最初の洗礼であった。

 だからこそ奴らは、魔法が使えない人間には価値がないと考えていた。

 俺は、一族にとって価値のない人間だったのだ。

 

 幽閉されていた俺に転機が訪れたのは、五歳の頃であった。



「出ろ、ハラルド」


 父親に連れ出された俺は、家族の前でスキル『代行魔術』を披露した。

 俺が魔法を使ったことに皆が驚き、手のひらが返された。

 

 徹底的に魔法の教育を受けた。

 使用人の魔力を使い厳しい魔法の修行を課せられて、最後には上級魔法さえも扱えるようになった。成長するにつれて、貴族と同じ生活を送ることが許されるようになった。


「よお無能のハラルド。いい所で会ったなあ」

 

 だが、一度決まったヒエラルキーは変わらない。

 俺よりも早く魔法の練習を続けていた兄弟達や、俺を侮る使用人の視線が変わるはずもなかった 受け取った杖を握り締めながら、震われる暴力に耐えた。

 

「お前みたいな奴が、弟だと思うと虫唾が走るんだよっ!」


 ここしか居場所がないとわかっていたから、耐え続けた。

 

(こんな目に遭うのは、悪魔のせいだ)


 この頃から、悪魔の魔法なんて嫌いだと、おぼろげに思っていた。

 外の人は魔法なんて使えない。ずっと楽しそうに、気楽に道を駆け回っている。悪魔なんていなくなってしまえば楽になれるのに。

 そんなことを思い続けているうちに、運命の日がやってきた。

 



「洗礼の儀式だ。よく見ておきなさい」


 父親に連れられて、屋敷の一角にある薄暗い部屋に立たされていた。

 部屋の奥には黒い像が配置されている。尖った爪と薄い羽を持つ、この世に存在しない不気味な山羊頭の生物は、『悪魔』を象ったものなのだと教わった。

 見ているだけで別な世界に連れて行かれそうな、不気味な風格があって、何も知らない俺は足を震わせて怯えた。


 他にもおびただしい量の蝋燭、動物の死骸が配置されていて、父親がいなければとっくに逃げ出していただろう。

 異臭漂う部屋で、俺をいじめていた黒髪の兄が魔法を使おうとしていた。

 

「『マルム・パプティス』」


 兄が人生で初めて使う『悪魔の魔法』だった。

 自分と同じ杖を振るうと、その瞬間に杖から黒い煙が吹き出した。


「え、おぐっ、え、ぁぁ、ぼっ」


 口から、強引に体の中に入り込んでいく。

 嫌いだった兄は、おぞましい絶叫をあげて倒れ、魔法陣の中央で苦しそうに首を抑えた。

 動物の死骸が生命を取り戻したように蠢き、無数の蝋燭の炎が一度消えて、黒色の炎に生まれ変わった。肩を押さられていなければ、きっと逃げ出していた。


 煙が体内に入りきると、兄の黒かった髪の色は白に染まっていった。

 小さな体の震えが止まると自分の力で立ち上がった。


 兄――パウル・マールムは、まず両手を確認した。

 異様な高笑いを浮かべた。


「クク……ヒャーハハハッ!! 手に入れたぞ、ニンゲンの体ッ!」


 嫌いだった兄でさえなくなっていた。

 もっと別の、おぞましい存在に変わり果ててしまった。


「嫌だっ、助けて、誰か……っ!!」


 数日後に俺も同じ魔法を使ってもらうと言われていた。

 だが父は冷酷だった。

 儀式が終わった後も、怯えて暴れ回る俺の顎を強引に掴み上げる。


「誰もお前を助けに来たりはしない」

「ひっ……」


 表情のない、恐ろしい顔で告げてきた。

 

「お前は一族の血を引く人間だ。逃げることは許されない。外の世界に逃げようとも、国中に潜伏する多くの遣いの者が、お前を追い詰めるだろう」

「や、やだっ、やだ……」

「悪魔を宿すのだ。あるいは、地獄の業火に焼かれて魂を燃やせ」


 動けなくなった俺を前に、父や親族は、その部屋から立ち去っていった。

 俺を無視し、嘲笑われて、絶望した。

 

 だが、それでも当時の俺は僅かな可能性に賭けることを選んだのだ。






 全てを話し終えたとき、全員が沈黙していた。


「悪魔信仰の人間が大勢いるというのは、本当?」


 リザが尋ねてくる。


「本当だ。馬車に隠れて遠くまで逃げたはずなのに、最初の頃はそれで何度も危ない目に遭った。実家には他の地方からの贈り物も届いていたな」

「……マールム家は、悪魔信仰者の中心。命令を下せても不思議じゃない」


 そんな風に呟き、表情を歪めてうつむいた。

 他の教会の人間は汚らわしいものを見るように俺を見ていた。

 まあ無理もない反応だ。


「幸い俺は自力で魔法が使えなかった。野垂れ死んだと思われたおかげで、乞食をしているうちに追っ手もつかなくなったよ」

「もっと詳しい情報は?」

「子供だったから屋敷の場所とかはもう覚えていない。これで全部だ」


 全てを話し終えて、ようやく言葉を止めることができた。

 長年胸の内にとどめてきた話を打ち明けると、肩の力が抜けていった。


「ハラルドさん……」


 ナタリーも怯えていたが、教会の連中と違って、距離をとることはなかった。

 目をつむったまま必死に手を握り締めてくる。


「気持ち悪い話を聞かせて悪かった。巻き込んでしまったな」

「いえ、そんなことは……」


 ナタリーは無言でぶんぶんと首を横に振った。


「俺の生存も、お前が仲間になっていることもバレてしまった。だが今ならあいつを倒せば何とかなるんだ」

「……大丈夫です」

「ナタリー?」

「森の危機を止められるなら、全力で強力したいです!」


 ナタリーは、そんな風に言ってくれた。


「それに仲間になったんですから、苦しいことを一緒に乗り越えるのは当たり前です」


 その瞬間、他の人間の反応なんてどうでもよくなった。

 おぞましい俺を受け入れてくれていることが嬉しくて仕方がなかった。


「パウル・マールムの情報を、詳しく聞かせてほしい」


 ぎゅうと腰にしがみついてきた仲間をよそに、リザが尋ねてくる。

 しかしリザは俺以上に便利な、詳しい情報を得るスキルを持っているはずだ。

 それ以上に何を求めるというのだろう。


「『情報開示ステータスオープン』は、直接触れた一人の相手にしか使えない」

「直接……? ああ、そういうことか」


 俺の疑問に答えるようにかえってきたのは、否定だった。

 リザと最初に会ったときに、握手を交わした覚えがある。

 あの時に、裏では全員のステータスを閲覧していたらしい。

 そこで俺の存在に気づいたのだろう。


「パウルについても俺が知っていることはないぞ」

「本当に?」

「逃げてから十年以上経っているからな」

「……分かった。なら機会があれば、直接触れて確認する」


 リザは残念そうな声で言った。

 パウルと昔に接していた記憶はあるが、変わっていなかったのは尊大な性格くらだ。

 あの頃とは魔法の威力も桁違いだったのを目にしている。

 俺が知っている情報なんて、ほとんど役に立たないだろう。


(やつは一体、何をしでかすつもりなんだ)


 十中八九、大規模な『悪魔の魔法』を発動させる腹づもりだろう。

 ナタリーの魔力を使おうとしていたことからも、ろくでもない事をしようとしているのは間違いない。

 早く止めなければならないと思い、無意識に体が強張った。

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