第48話 ハラルドとナタリーの結束
教会が牛耳るこの都市で、安全に過ごせる場所はそう多くはない。
俺たちは黒ローブの男と金髪の少女の二人連れだ。荷物は教会に取られてしまったままなので変装も難しく、見つかるのも時間の問題だろう。
そして逃亡した先は、街に点在する、珍しくもない古代の遺跡の一つ。
地面に土くれが舞っているような古い無人の建造物に、二人で蹲るように座って隠れていた。
走り疲れてしばらく息を溢したあと、ナタリーが言った。
「街を出ませんか……?」
「駄目だ」
もっともな意見だが、俺は首を横に振る。
「どうしてですか? 街にいるのは危ないんじゃ……」
「あの男がいるうちは駄目だ。一族に居場所を知られたら、俺たちが邪教に追われることになる。それに、このまま放っておいたら大惨事になる」
「あの人は、ハラルドさんのお兄さんなんですよね?」
「ああ」
「いったい、何がどうなっているんですか」
個人的にも、そしてこの街から見ても放置するのは最悪の選択だ。
パウルがこれから何をするつもりなのか、確信を持っているからこその言葉だが、ナタリーに分かるはずもない。
「ぜんぜん分からないです。教えてください……!」
訴えてくるナタリーに対して、俺は口を閉ざした。
俺は戦いにいかなければならない。そのためにはナタリーの力が必要だ。
もう二度と思い出したくも、話したくなかった過去を口にする。
「十年ほど前、子供だった俺は家から逃げ出したんだ」
「どうしてそんな……?」
コルマールの街に来る以前の話だ。
俺の出身は、あれよりもっと遠い地にある、とある金持ちの屋敷だった。
「俺の一族は代々『悪魔の魔法』を引き継いでいたんだ」
「あの黒い魔法ですか?」
「ああ。悪魔信仰に傾倒していたんだ。魔法を使える全員が、あの魔法のせいで狂っていたんだ」
「そんな……!?」
ナタリーは翡翠のような目を見開いた。
「悪魔の魔法というのは言葉通りの意味なんだ。悪魔という高次元の存在の力を借りて発動する、そういう特殊な魔法なんだ」
「そんなことができるんですか……?」
「悪魔というのは、ナタリーも分かるのか?」
「エルフ族の伝説で出てくるので知っています。ずっと昔に、エルフ族も戦ったそうなのですよ」
「そうなのか」
常識が違うエルフ族にも悪魔という存在が伝わっていることに驚いた。
俺が想像もできないくらい古くから、地上に影響を与えてきたのかもしれない。
「俺は最初、魔法が使えなくて見捨てられかけていた。でもある日俺にスキルが宿っていることが分かったんだ」
「魔法が使えるスキルですか」
「ああ。魔法が使えると分かった途端に徹底的に魔法を仕込まれた。『悪魔の魔法』を使わせるつもりだったんだろう。だがその魔法を使う前に、逃げ出したんだ」
「そうだったんですね……」
「それで名前も捨てて街に逃げて、ようやく今の生活が手に入ったんだ」
目立つわけにはいかなかった。
追手をやり過ごして、時には荷物に紛れて馬車に乗り込んだ。
最初は食べるものにさえ困って、物乞いをした日も少なくなかった。
今、こうして全てをやり直せたのは奇跡に等しい。
しかし、そんな日々ももう終わりだ。
「……軽蔑したよな」
「えっ」
地面だけを見つめながらつぶやいた。
「俺は悪魔信仰の家系の人間だ……気持ち悪いだろ。誰にも言いたくなかったんだが、結局、どこかでばれるんだよな」
どんなにギルドで虐げられても耐えてきた。
それは幼い頃に見た地獄に戻りたくなかったからだ。
俺は幸せになりたかった。家族のことや、悪魔のことなんて忘れたかった。
あの場所に戻らないためなら、何だってできた。
だが一族の人間が現れてしまった以上、今までと同じではいられない。
「奴は、パウルは、悪魔の力を使ってろくでもないことを企んでいる」
「何をするつもりなんですか」
「分からん。だが悪魔の力なんてろくなものじゃない……この街の人間が全員、残酷な方法で殺されるだけで済めば、いい方だろうな」
「この街って……」
エルフの少女が青ざめる。
だが奴のやろうとしていることはそういう悪事だ。
親兄弟の悪事を又聞きしてきた俺には分かる。
(あいつはナタリーを触媒にすると言っていた。そんなことは許せない)
ナタリーを犠牲にするということは、つまり大量の魔力を必要とする魔法を使おうとしているということだ。
俺は、奴の野望を止めなくちゃいけない。
「最悪の事態が起こるのは必ず防ぐ。あいつ以外に、正体を知られるわけにはいかない。だからあいつを止めるのに強力してくれ」
「分かりました。ハラルドさんのお手伝いをします……!」
意気込んでついてきてくれようとするナタリーに、謝罪する。
「ごめん、ナタリー」
「どうして謝るんですか……!?」
「仲間なのに話さなかったから。知っていたらパーティも組まなかっただろう」
俺を気持ち悪いと思わない人間がいるはずがない。
過去は捨てて自由に生きていきたかったが、無理だった以上は仕方がない。
「この戦いが終わったら、パーティは解散しよう」
人に夢を見させておいて、なんという言い草だろうか。
自分でも酷い言い分だと分かっていたが、それでも悪魔絡みの話に付き合わせるよりマシだと、罪悪感に駆られながら提案する。
「それは嫌です!」
「え……」
ナタリーは否定した。
俺は思わず、立ち上がってズカズカと近づいてくる少女を見上げていた。
「どうしてそういう事を言うんですか!?」
少女は怒ってポカリと頭を叩いてきた。痛くない。
「だ、だって、お前。悪魔のことを知っているんだろう。俺は悪魔信仰の家系の人間だぞ?」
「じゃあわたしを見捨てないって言ってくれたのは、嘘だったんですか!」
「見捨てるって、そうじゃないけど……悪魔信仰の一族と一緒にいたいっていうのか?」
俺は信じられなかった。
拾ったエルフの少女と、俺の間で、悪魔という存在の認識が違うのかもしれない。
「悪魔なんて知りません! わたしは会ったことがないです。そんなものに、好きも嫌いもないです!!」
真実を知れば、どんな人間だって俺から離れていく。
だから心を軋ませて、ヒビが入りそうになりながらも、突き放した。
しかし、ナタリーの美しい瞳から涙がこぼれて、鼻を赤くぐずらせていた。
「ハラルドさんは、わたしに外の世界を見せてくれるって約束しました!!」
ナタリーは泣いたまま、怒ったように言い切った。
「わたしを森から連れ出してくれるって、そう言ってくれたから仲間になったんです! 自由に生きるために協力しようって言ってくれて、たくさん人間さんのことを教えてくれるって……すごく嬉しかったんです」
ナタリーは分かっていないだけだ。
そう思っていたが、泣きじゃくる少女を見ているうちに、俺は何の言葉も出せなくなる。
「仲間をやめるなんて、いやです」
「……ナタリー」
「わたしは一人ぼっちだったところを助けてもらいました。ハラルドさんが困っているなら助けさせてください」
涙目の弱々しい顔だ。拙くて、何よりも固い。確かな意思が胸を打った。
ナタリーの決意は、きっと曲がらない。
――――立場が、逆転した。
「だから、ちゃんと、わたしと冒険してください」
ナタリーが座り込んだ俺に手を伸ばしている。
見捨てられる運命にある俺を、全てから見捨てられた少女が拾い上げようとしている。
俺は急に、泣きそうになった。
悪魔が嫌いだ。
家族が嫌いだ。ギルドが嫌いだ。いつも苦痛にまみれた日常だった。
そんな人生に、今、一筋の光が差し込んだ。
拾い上げたと思っていた少女が、俺を地獄から救い上げるために手を伸ばしている。
一緒に、この業にまみれた人生と闘ってくれる。
「あいつを倒せなかったら、お前も無事じゃいられないぞ」
「では必ず勝ってください!」
警告しても、ナタリーは強引だった。
ナタリーは断片的であっても敵の脅威は知っている。それでも勇気を持っている様子なのは、単に無謀なのか、それとも本気で勝てると信じているのか。
だが、今はそれが何より有り難かった。
「……分かった」
どちらにしてもこうなった以上、俺は必ず勝たなければいけないのだから。
「俺はあいつが嫌いだ。平和に冒険ができなくなるからな」
「わたしは、大勢の人が傷つくのは嫌なので、戦います」
目指す場所は一緒だ。
伸ばされた小さな手を掴んで、立ち上がる。
魔力が流れ込んできているわけでもないのに、熱い力が心を奮い立たせた。
「あいつを倒すために、力を貸してくれ。ナタリー」
「一緒に乗り越えましょう……!」
この日。
俺の本当の夢は、全てを打ち明けて、晒し合う『仲間』を得ることだった。
俺はようやく、本当の『仲間』を手に入れたのかもしれない。
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