第44話 ハラルドと教会襲撃の夜


「あなたには、誰からも隠している名前がある」


 リザに真っ向から指摘された俺は、冷や汗を流しながらたじろいだ。

 脳裏には過去の忌まわしい光景が蘇ってくる。



『ハラルド。お前はなぜ、その程度の魔法が使えないんだ――』


 大人、家族、兄弟姉妹。

 周囲に存在するすべての人間が、魔力を持たずに生まれた俺を軽蔑した。

 スキル持ちであることが判明して、魔法が使えると分かった後も、一度築いた関係が崩れることはなかった。 


 全ての時間が苦痛だった、幼い頃の話だ。


 まさか誰にも知られたくない名前を知られたのか。

 心臓が鳴り止まない。あまりに想定外の事態に、えづいて口元を抑える。


「もう聞きたいことは分かっているはず」

「…………」


 リザは俺の様子が見えていないのか、淡々と話を進めてきた。

 俺は動揺をおさえられない。なぜリザがこの場所にいるのか。俺を捕らえて尋問をしているのか、全てを理解したのだ。


「あなたは長年聖教会が追っている、悪魔の――」


 リザが続けて言葉をつむごうとしたときだった。

 何の前触れもなく、部屋に激動が走る。


「っ!」

「なっ!?」


 地面が揺れ動き、触れてもいない壁が、そこらじゅうで軋んだ。

 それはリザにとっても想定外だったのか、息を呑む音が聞こえた。視線が俺のほうではなく音の方向を向いた。


(っ、な、なんだこれは……!)


 息を詰まらせるほどの魔力の重圧が襲ってきて、怯んだ。

 俺は魔力を敏感に感じとることができる。

 今感じたのは、全身の肌を氷で撫でたような悪寒だった。まるで体が地面に引きつけられているみたいに重くなる。何度か体感した黒色の魔力が、今までで一番色濃く精神を蝕んでくる。

 

「……っ。悪いけど、尋問はここまで」 

「あ、おいっ! 待てリザ!」


 錫杖を手に取ったリザが、まったく俺の言葉を無視して走り去っていく。

 他にも教会の人間が走り回る音が聞こえた。


「『あれ』が拐われたぞ! あの男を追え、逃すなッ!!」


 少し耳を澄ましていると、遠くから叫び声が聞こえてきた。同時に大量の魔法が放たれる音が繰り返されている。

 ふらふらと扉から体を離して、何が起きたのかを考えた。


(何が起きている。拐われたって……誰が?)


 教会は襲撃に遭っている。

 そんな大層なことをするとすれば、それは敵対勢力しかありえない。例の『悪魔の魔法』を使った商人と同じ集団が襲ってきたのだろう。


 ならば、拐ったのは教会の人間だろうか。

 いいや違う。

 彼らは同じ人間族を『あれ』などと、物のように呼んだりはしない。


「おいっ! 外はどうなっているんだ、おい!!」


 両手で拳を作って、何度も扉に叩きつける。

 あわただしく動き回る音は聞こえるが返事はない。無視されているというよりも、聞こえてさえいないようだ。

 そんなはずがないと否定したかった。

 だが頭ではすでに分かっていた。俺は、最悪の可能性を想像した。


「くそっ!」


 扉の向こう側に人の気配はない。焦げ臭くて、嫌な香りが漂っている。

 教会が燃えていることは明らかだった。


 俺は扉から離れて全力で突っ込み扉に肩をぶつけた。

 一段大きく軋んでひどい音が響く。僅かに揺らいだ気がしたが足りない。もう一度下がって何度でも飛び込む。全身で、何度でも体当たりを繰り返す。

 五度目で木にひび割れが生まれた。

 それを見た俺は、今度こそ渾身の力を込めて、全力で突っ込んだ。


「おおおおおっ!」


 渾身の体当たりで、とうとう扉を破壊した。勢い余って全身が硬い床に投げ出され、僅かな怪我を負って地面に這いつくばった。

 顔を上げると、そこは石造りの狭い廊下だった。

 テーブルの上には資料や羽ペンが置きっぱなしになっている。

 あたりにも同じような部屋が並んでおり、ここにも煙臭さが充満していた。


「俺の荷物か。鞄だけ見当たらないな」


 机のそばには箱が置かれており。俺の着ていたローブが雑に押し込められている。懐を探るれば杖と、商人に売ろうとしたトロールの魔石が入っていた。

 そういえばポケットにしまっておいたんだったか。


「ここはどこなんだ……いや、まずは外に出よう」


 ナタリーが建物に残っている可能性を考えたが、この辺りに気配は感じない。

 ローブを羽織ったあと、一人では使えない魔法杖を握りつつ廊下を駆け出した。次の扉を抜けると、すぐに外に出ることができた。


 外は生暖かい風が吹いていた。

 鮮明に茜色に照らされた夜の中で、教会の人間が何人か慌ただしく動き回っている。教会の一部が燃えて、黒色の火の手が上がっているのだ。


「急げ! 水系統魔法を使える者は消火するんだッ!」


 煙が空にもうもうとあがっている。周囲の人混みは騒然としていた。

 闇にぼんやり浮かび上がる遺跡の塔は遠く見えている。俺が連れてこられた教会は、ハイブの街の端に位置しているようだ。


(ん? あれはっ……!)


 周囲を見回していると、新しい発見があった。

 全く別の方向に駆け出していく教会の一団を見つけたのだ。あの焦った様子は、間違いなく誰かを追いかけていく最中だった。

 この調子なら教会はそれほど間も無く鎮火するだろう。

 そう判断した俺は、すぐさま後を追いかける。


「どこに向かっているんだ。無事でいてくれナタリー……!」

 

 俺はローブで顔を隠しながら、仲間の身の安全を願った。

 彼らはどんどん町外れの人気のない場所に向かっていく。こんな夜中にどこに行くつもりなのか。その答えが、俺の前にすぐ現れることになった。

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