第42話 ハラルドと商人の交戦



「あんた。人に聞いておきながら、魔法が使えるんじゃないか」


 俺が怒りを堪えながら言うと、男はへらへらと笑いながら答えた。


「実を言うと使えるんですよ。驚きましたかねえ?」

「驚いたよ。いきなり攻撃してくるなんて、どういうつもりだ」


 手元を見ると、商人は俺と同じ短杖を握っていた。

 放たれた氷は炭を混ぜたのかと思うくらいに黒く染まって、不気味な冷気を放っている。ナタリーが悪魔の魔法と称した炎と同じ類の気配を感じた。


「実を言うと、私達。貴方のような優秀な魔法使いを欲していまして。見つけるたびに、こうして声をかけさせていただいているのです」


 聞いてもいないのに、太った商人の男はぺらぺらと話し始める。

 表情は狂気に染まっている。あの冒険者の魔法使いと違って、この相手は感情を押し隠していたのだといまさら気づいた。


「勧誘にしちゃ、ずいぶん乱暴じゃないか」

「『悪魔の魔法』であることまでを知っているとは思わなかったのですよ。あなたたちは真実をご存知のようだ。そんなことは、ありえないはずなのに」

「…………」

「それを、どこで聞いたのですか……ねぇッ!」


 今度は杖を大振りしてもう一度。黒氷の柱の魔法を放ってくる。

 ナタリーの魔力と『代行魔術』で、魔法を打ち返す余裕はなかった。咄嗟に首を足に手を差し入れ、抱き上げる形で地面を蹴る。襲いかかってくる氷から、すんでのところで回避できた。


「っ、危ない……!」


 僅かにローブの裾が凍り付いて、冷や汗を流す。

 攻撃を受ける直前に、邪悪な魔力の放出を察知できたおかげで助かった。

 それがなければ危なかった。


「また、かわされましたか。魔法を感知しているのですか?」

「……お前に話すわけがないだろう」


 一歩でも間違えば、ナタリーは間に合わなかったと思うと恐ろしくなる。

 商人の男は笑みを浮かべていたが、目の色には先ほどには見えなかった狂気が宿っていた。明らかに正気ではない。

 

「お前、何者だ?」

「それはこちらの台詞です。どう見ても貴方は我々の側の人間ではない。一体どこで『悪魔』の秘密を知ったのか。教えてもらいましょうか」

「っ……」


 もう一撃。襲ってきた魔法をかわしながら後悔するが、いまさら遅い。

 僅かとはいえ真実を話したのは迂闊だった。腕の中で丸くなったナタリーに、叫ぶように尋ねる。


「降ろすぞ。魔法、もういけるかっ!?」

「は、はいっ……!」


 地面に下ろすまもなく、ナタリーは柔軟な動きで腕から飛び立った。

 隣まで戻ってくる瞬間、俺は懐の杖を抜いて真っ直ぐ男に向けた。

 

「『マルム・スティーリエ』!」

「『グランド・ニードル』ッ!」


 再び生えた邪悪な氷柱と、エルフの魔力で作られた極太の土柱。

 正面から両者が激突した瞬間。多少は拮抗したが、俺たちの魔法のほうにヒビが入った。

 咄嗟に攻撃をかわすと、硬質なものが砕ける音が響いた。

 魔法は土塊となって真紅の絨毯を汚していく。ナタリーが青ざめた。


「そんな。同じような魔法なのに、どうして……」

「くくっ。どんなに優秀な魔法使いでも、剣士でも、悪魔の魔法を防ぐことはできません。さあ同士よ、彼らを捕縛するのでッ!」

「何!?」


 背後の扉が、勢いよく開いた。

 広い来賓用の応接室に、続々と入ってくるのは黒の装いを纏った人間たち。

 数は十、いや二十人ほど。

 出口を完全に塞がれた。顔まで覆い隠すローブの頭部には、逆さの木を象ったような意匠が施されている。おそらく彼らのシンボルマークだろう。


「何だこいつら。こんなに仲間がいたのか」

「同じ目的を持った同士ですよ。私どもの商会もその一部。あなたのような魔法使いを確保するために集められた精鋭です」


 顔を隠した彼ら全員が、儀式に使うような短剣や、魔法杖などの武器を持っている。暴力を使い支配するか、あるいは殺害する気に満ちていた。

 教会に捕まるよりも、俺たちはずっと不味い状況に陥った。


「は、はわわわ……ど、どうしましょう、どうすればいいですか」


 ナタリーが慌てたが、俺も打開策なんて持っていない。

 ここは街外れで人気はなく助けは望めない。助けを呼ぶように叫んでも、誰も来ることはないだろう。

 歯を食いしばりながら、杖を構えた。


(押し負けたんじゃない。俺たちの魔法は無効化されたんだ……!)


 実力で負けたのではなく、相手の使う魔法への相性が悪すぎる。

 対抗できる魔法もあるにはあるが、熟練度は高くない。相手が全員今のような魔法を使うのなら勝てるか分からない。上級魔法なら状況を打開できるものの、詠唱を行なっている間にやられてしまうはずだ。

 

「やるしかない。ナタリー、今は力を貸してくれ」


 それでも闘うほかに道はなく、彼らも身構えた。

 一発触発の状況だ。

 誰かが一歩でも身動ぎすれば、状況が動く。

 屋敷内に誰とも知れない足音が響いたのは、ちょうどそんな時だった。


「っ! 何事だ!」


 身なりのいい商人の男が叫んだ。

 聞こえてくる足音は廊下から近づいてくるものだ。最初は増援かと思ったが、彼らには心当たりがないらしい。場の空気が、僅かに困惑の色を帯びている。

 一人の黒布の男が、様子を見に廊下に出た。

 その瞬間「ぎゃっ」と声をあげて、こちらの部屋に吹っ飛ばされてきた。


「っ、教会の連中か!?」


 しまった、という表情が商人の男にありありと浮かんでいた。

 全員の敵意の矛先が俺ではなく廊下のほうに向く。


「『マルム』……ぎゃぁあっ!」


 魔法を唱えようとした、別な一人の男は悲鳴をあげてひっくり返った。

 俺の感覚が、まったく別な魔力の気配を感知した。

 邪悪な気配とは真逆。純白で、神聖さを放つ神々しい魔力だった。


「聖教会……!」


 教会の白服の男女が、商人の配下を次々に倒してなだれ込んでくる。

 商人はあっという間に壁に追い詰められた。


「く……貴様ら、ここをどこだと思っている! これは明らかに法に反した行為だ!」


 そう叫んだ男は、額から大量の汗を流していた。

 だが言葉に返すかわりに、一人の少女が白服の集団を割って出てくる。

 信じられない相手を目の前に、俺は思わず目を見開いた。そしてなぜこの街にいるのかという疑問に支配される。


「リザ……!?」


 声をあげてしまった。

 コルマールの街で『赤蛇の牙』に所属していた青髪の僧侶だ。

 なぜこの場で錫杖を握って立っているのか理解できない。彼女は僅かに俺を一瞥したが、すぐに視線を商人に戻した。


「あなたが邪教と繋がっていることは『視えて』いる。大人しくして」

「くそっ、こんなところで……『マルム・スティーリエ』!」


 俺はとっさに応戦しようとした。

 幾重もの黒氷の柱が、真っ直ぐに青髪の僧侶に迫っていく。


「『光よルクス』――」


 だが彼女の纏う雰囲気は、神聖で、神々しいものであった。

 背丈ほどある錫杖が純白に輝く。


「『魔をデモニウム滅ぼせフェブルオー』」


 悪魔の魔法は見えない壁があるみたいに遮られて、光に呑まれて消失する。邪悪な氷の棘は触れることなく粉々に砕けたのだ。

 光は部屋全体に広がって、男は苦悶の声をあげた。


「あ、うがああぁあっ……!」


 首を抑えながら、凄まじい形相で悶えた。

 俺もナタリーも眩しすぎて目を開けていられなかった。だがかすかに、口から黒いものを吐き出していたのが見えた。


(あれは……!?)


 光が消える。

 しばらくしてようやく目をまともに開けると、商人の男が倒れていた。

 教会の人間が駆け寄って生死を確認した。


「気絶しているようです」

「そう……」


 錫杖を下ろしたリザは、息をついて、教会の人間に視線を向ける。

 全員がほとんど同時に頷いて、この場にいた全員の捕縛を始めた。黒布の男を次々にロープで縛りあげ、恐ろしい魔法を使った商人の男を拘束した。


「な、なんですかあなたたちは!?」


 俺とナタリーも例外ではなかった。

 教会の人間が数人がかりで、俺とナタリーの腕を押さえこむ。


「っ、おい離せ! 俺の杖を返せッッ!」


 杖をとりあげられて、両腕を抑えられながら叫ぶと、リザが俺の前にやってくる。彼女に向かって大声で疑問を突きつけた。


「お前が、どうしてこの街にいるんだ!? デニスはどうした。あいつらも、ここに来ているのか!?」

「来ていない。私は、パーティを抜けてきた」

「は……?」


 俺が、理解が追い付かずに口を開けようとした。

 だがリザは振り向いてアイコンタクト。頷いた教会の男が、捕縛された中では唯一意識のあった俺とナタリーに言い放つ。


「我々は聖教会。この街の統治者の代理として派遣されてきた者だ」

「っ……」

「貴殿らは先ほど、我々の指示に従わずに逃亡した。邪教崇拝の嫌疑で、この場の全員と同様に拘束させてもらう」


 考えうる限り、最悪の自体が起こってしまった。


「は、ハラルドさんっ」


 青い顔でナタリーは俺の名前を呼んだ。

 俺は抜け出そうと必死にもがいたが、ロープで固く縛り上げられている。


「くそっ、俺たちは何も関係ないのに! 離せよ、離せ……っ!?」


 突然首元に、激しい衝撃が走った。

 視界がぐらりと暗転する。

 急にすべての声が遠くなって、現実感がなくなっていく。殴られたのだと気づいたのは、意識を消え失せさせる最後の一瞬のことだった。


「ハラ――さ――しっかり――」


 遠ざかっていく声を、追い続けることができなくなった。

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