第39話 ハラルドは魔石買取所から逃亡する


「あなたは、担当の方ですか?」

「私、こちらの部署を担当させて頂いている聖教会の者です。どうぞよろしくお願いします」


 恭しく頭を下げた男は、カウンターに座ってにこやかに笑った。

 換金所から教会の人間が二人も出てきたということは、この街は完全に聖教会が実権を握っているのだろう。

 彼はトロールの魔石を手に取って。机の上に置いてあったレンズのような道具や、計測器を使って丁寧に測り始める。


「あれは何をしているんですか」

「魔石の鑑定だ。本物かどうかや、魔力の質を見極めているんだ」


 やがて教会の男は、機器を手放してから頷いた。

 

「確かにAランクの魔石のようですね」

「ああ。この魔石はいくらで買い取ってもらえるんだ?」

「申し訳ありませんが、その前に、入手経緯についてお伺いしたい」


 かえってきた質問に、俺は目をまばたかせる。

 買取所で、事情を探るような踏み込んだ質問をされたのは初めてだった。


「この魔石はどのように手に入れたものですかな?」

「森の魔物を俺たちで倒したんです。魔石に何か気になるところでも?」

「あなたたちが? たったの二人きりでですか。どんな魔物を?」

「Aランク魔物、ゴブリン族のトロールです」


 男の視線が疑わしげに細まった。

 ……何だ、この雰囲気?

 明らかに疑いの眼差しを向けられている。場の空気が悪くなってきたのを感じて身構えてしまう。ナタリーも体を強張らせていた。


「失礼ですが、Aランクの魔物はよほど強力な力をお持ちでなければ倒すことはできない。討伐に使った手段をお話しください」

「俺たちは魔法使いなので。当然、魔法で倒しましたが……」

「ギルドに所属している方ですか」

「いや。俺は、ギルドには所属していない」

「ほう。ギルドにも所属していない人間が、Aランク級の魔物を討伐したと?」

「いやだから。それは俺のスキルで……」


 そこまで言いかけて言葉が止まった。


(これ、不味いんじゃないか)


 その可能性を思いついた瞬間、背筋がこわばった。

 どういうつもりか分からないが、この男はどういうわけか俺を疑っている。

 上級魔法が使えると証明するのは簡単だが、それは大変に目立ってしまうことになる。


(この男は間違いなく、俺たちの正体を探ってくるはずだ)


 俺だけならいいのだが、ナタリーが目立ってしまうのはまずい。

 コルマールのギルドは亜人族を嫌っていたが、この街を牛耳る聖教会も、亜人族とは明確に一線を引いている集団だ。


 彼らが崇める神は『人間族の神』。

 亜人に対して教義を説くことも、慈悲をかけることもない。

 エルフ族だとばれたら大変なことになるのは目に見えていた。


「一つ、話をきかせては頂けませんかな」


 内心で逃亡を考えていた俺に、腰をじっくりと据えて尋ねてくる。

 このまま話を続けるのは危険だと分かっていたが、すぐには動けなかった。


「最近、この街でとある魔法が流行っていましてね。その話はご存知ですか」

「とある魔法?」

「黒い装飾の魔導書の噂ですよ。それを読むだけで、短期間で強力な魔法が使えるようになると言われています」


 カウンターに深く腰掛けた男は、目を瞑ったまま話を続ける。

 魔法の使えないナタリーが勢いよく食いついた。


「そんな便利なものがあるのですか!?」

「いえいえ噂ですよ。実際に流通している魔導書は先人の知恵が記されているだけです。読むだけで魔法が使えるなんてありえません」

「そうですか……」


 ナタリーは、手に入らないことをひどく残念がった。

 そのかたわらで表情が変わらないように、相手の話を聴き続けていた。


「その魔導書を読んだ人間は、凶悪な魔法を使えるようになる。たとえどんなに弱い魔法しか使えなかった人間でも、無理やりに力を引き出すそうです」

「……噂なんですよね。なぜ俺に?」

「実のところ教会は、その魔法は存在していることを確認しています。そして『それ』を広めているものを追っているのですよ」


 まさか、俺たちが疑われているのか。

 額から汗が流れる。なぜなら、あれが何なのかを俺は知っている・・・・・

 隠しきれずに僅かに動揺してしまった。

 それを男は見逃さなかった。


「ほう。貴方のほうは、何かご存知のようだ」


 俺は、ぎくりと肩を震わせる。

 男は席を立ってじっと俺を見下ろした。


「詳しい話をお聞きしたい。どうか奥までついてきていただけませんか」

「悪いが、魔石の買取はもういい。行くぞッ」

「え、ほぁっ。ハラルドさん!?」

「あっ。待ちなさい!」


 机の上に置いた魔石を荒っぽく懐にしまって、強引にナタリーの手を引っぱる。そのまま扉をぶち開けて、無理やり買取所を飛び出した。

 背後で何か叫んでいるのが聞こえたが無視だ。


 しばらく注目を浴びながらも、人混みに紛れてどんどん奥へと進んでいく。

 追ってくる気配を探る余裕なんてなかった。


「はぁ、はぁぁっ……はっ」


 そのまま息を荒げながら建物の影に隠れて、息をついた。


「きゅ、急にどうしたんですか、ハラルドさん……?」


 手を引っ張られていたナタリーは疲れ果てた様子で訴えてくる。

 それを聞いてようやく冷静さを取り戻し、頭を抑えた。


「すまんナタリー。俺のせいで、魔石の買取をダメにした」

「だめだったんですか?」

「俺のせいだ……金を稼ぐどころじゃない。すぐにこの街を離れないと」

「そ、それはいいのですが、銀色のお金はどうするんですか?」

「そうか、そうだったな……」


 俺は路地裏で膝を抑えながら、現実を思い出して頭が痛くなった。

 保存食を買うにも金がいる。

 長旅のための物資を補給しなければならないのに、その金を持ち合わせていない。そして金を補給する手段がない。

 懐に手を伸ばす。金を入れておく布袋の軽さが、ますます危機感を煽った。


「Aランクの魔石を出したのは軽率だったか……」


 他に売れるものがなかったとはいえ、もう少し警戒するべきだった。

 よりによって聖教会の支配する街に来てしまったのは失敗だった。亜人のナタリーは想像を絶するような目に遭わされかねない。これなら最初に考えていた通り、森に出て野宿でもしたほうがマシだ。

 やっぱり街を出よう。そう言おうとした時、背後を振り返った。


「……っ!?」


 薄暗い路地の向こう側から、誰かが近づいてくる音が聞こえた。

 コツコツと靴音が響く。


「誰だ!」


 警戒を強めて、腕を広げてナタリーを背後に下がらせる。


「話は聞かせていただきました」

「…………」

 

 教会の人間だろうかと、警戒心を高める。

 だが闇の中から姿を現したその男は、明らかに違っていた。

 指に金色の装飾品をいくつも装備していて身なりがいい。教会に所属する人間とは、放っているオーラが明らかに異なっていた。


「どうやらお悩みのご様子。私ならお力になれるかもしれません」


 成金のような見た目の太った男は、両手を広げて無遠慮に近づいてくる。

 しかし教会の人間でないからといって、警戒が解けることはない。


「あんた誰だ?」

「失礼しました。私、この町で商人をやっている者です」


 商人の視線は、ナタリーの背負ったバッグのほうを向いている。

 欲のこもった視線に気づいてかえって力を抜いた。神を信じている相手なんかよりも、よほどやりやすい。

 手を伸ばしてきた男を見て、ナタリーは不安げに袖を掴んでくる。


「Aランクの魔石をお持ちだとか。少しお話を聞かせて頂けませんか?」


 胡散臭いことはこの上なかったが、今の俺は誘いを断ることができなかった。

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