第37話 ハラルドと仲間の信頼



 ハイブの街には、数え切れないほどの露天が出店されていた。

 ナタリーとともに食事を楽しみ、珍しい個人制作の魔法具を見繕った後に、宿屋を借りる。その一室で、くるくると嬉しそうな表情で回転していた。


「見てください! これ可愛いです、かわいくないですか!?」


 ナタリーが興奮しながら俺に見せつけてくる。

 嬉しそうに両手で握っているのは、つばの大きな帽子だ。魔法使いが被るような黒の三角帽は、エルフである彼女に妙に似合っている。


「買った時から思っていたけどさ、それ魔女みたいだな」

「魔女ですか?」

「森に住んでいる女性の魔法使いのことだよ」

「えへへ。魔法は使えないですけどねえ」


 苦く笑いながら、ころっと首を傾けて笑った。

 森に棲む、露出の多い格好をした三角帽をかぶった美少女。物語に出てくる存在そのものだ。


「耳を隠すのにもよさそうだし、気に入ったみたいでよかった。似合っているよ」

「ふふふ、褒められちゃいました! ですがお金が少なくなっているのに買っていただいて、大丈夫だったのでしょうか」

「魔道具でもない帽子なんて安いもんだ」


 またも嬉しそうな表情で、帽子を深くかぶって頬を赤くする。

 こんな風に無邪気に喜ぶ姿が見れるなら、いくらでも買ってあげたくなる。


「……とはいえ、少し心許なくなってきたな」


 俺は部屋の机に置いた布袋に視線を向ける。

 最初に比べると軽くなってしまった。ナタリーもそのことが分かってきたのか不安げだ。

 食事代のほうが重くのしかかっているが、それは言わない方がいいだろう。


「そのあたりは何とかなるさ。魔石はどこに行っても売れるからな……それより安い宿に決めてしまって悪かったな」

「どういうことですか?」

「個室とはいえ、一部屋の狭い場所になってしまったからな」

「いえいえ。ここも素晴らしいお部屋だと思います!」


 ナタリーがそう言ってくれるので、少しだけ安心した。

 俺たちには鞄いっぱいに詰まった魔石がある。どこでも換金できる貴重な品だ。鞄を開けて見せると、価値のあるものを持っていることを思い出した様子で、ほっとした表情を見せた。

 

「今日は販売所の目星もついた。明日はこいつを売りに行こうか」

「はい。それにしても今日は大変でした……」

「そうだな。俺も疲れたよ」


 ナタリーはベッドにうつ伏せになって、気力が尽きたように枕に顔を伏せる。

 足をばたつかせるのを見て、釣られるように俺も息をついた。

 たくさん歩いて、魔物と戦闘したあとに新しい街を散策した。

 明日は一日、ゆっくり休みたいところだ。


「それにしても、あの黒い魔法は一体何だったんでしょうか」


 無造作にベッドに散らばった黄金色の髪が、ふいに持ち上がる。

 俺はわずかに肩を震わせた。


「そういえばハラルドさんは、あの魔法のことを知っているみたいでしたが。あの変な魔法は何なんですか?」

「…………」

「ハラルドさん?」


 表情を変えた俺に気付いたナタリーは俺を見た。

 俺はしばらく黙り込んだが、黙っているわけにもいかずに重い口を開く。


「……知らない方がいいかもしれないな」


 知っている。

 だが、あまり話したい内容ではなかったので濁した。

 しかしナタリーにその想いが伝わるはずもなく、首をかしげられるだけに留まる。


「どういう意味ですか?」

「その話をする前に、俺のスキル『代行魔術』について、ちゃんと話していなかった点を説明しておきたい」


 真面目な話になると、ナタリーはゆっくり体勢を整えてベッドに座った。

 俺は、自分の手元を見つめながら語る。


「このスキルは魔法なら何でも使えるってわけじゃない。魔力はもらえるが、あくまで俺が覚えている魔法しか使えないんだ」

「では魔法は練習したということですか?」

「昔ちょっとな」


 コルマールに訪れてギルドに加入するよりも、さらに前の話だ。

 あまり思い出したくないことだった。


「魔法は世の中に数え切れないほどある。さっきの魔法だけど、俺は教えられたから知っている」

「なんだか怖い魔法でしたが、あれは何なんですか?」

「あれは人の心を壊す、悪魔の魔法さ」

「心を……?」


 語っていると、脳裏にある光景が浮かんでくる。


 いくつかの黒い影が俺を執拗に責めてくる。

 幼い俺は涙目で見上げ、従うしかなかった。

 実家で魔法を使えと杖を握らされて、何度も何度も練習をさせられた。

 どんなに泣いても嫌がっても、魔導書を渡されて学ばされ続けた。

 

「世の中にあるのは役立つ魔法ばかりじゃない。実際、あの魔法使いは仲間を攻撃しようとしていただろう」

「はい……」

「恐ろしい威力を引き出す代わりに、闇の魔力に魂が蝕まれて狂気に染まっていく。禁忌の魔法だと教えられたよ」

「そ、そんなに危ないものだったんですか」


 表情がこわばって僅かに怯えている様子だ。

 教わったのは遠い昔。身長も今の半分くらいだった幼い頃の話だ。

 魔法が使えるのは練習のおかげだが、感謝はしていない。


「ハラルドさんは、そんな魔法は使わないですよね……?」

「もちろん使ったことはないし、使うつもりもないさ。まあとにかく知らない方がいいこともあるってことだ」


 この街は面白いものに溢れているが、きな臭さも感じた。

 あの魔法を使う人間とは初めて出会った。

 彼はこの街で身に付けたと言っていたか。正直あまり深く関わり合いになりたくないので、二度と出会わないことを祈っていた。


「この話はやめて寝よう。明日は早めに換金所に行かないといけないからな」

「分かりました……あの。今晩もお願いしていいでしょうか」


 そう言って、もじもじとベッドの上で両人差し指をつつきあわせる。

 俺はやましい気持ちを打ち消しながら頷いた。


「分かった、俺はどっちで寝ればいい?」

「わたしが壁側を頂いてもいいでしょうか」

「いいぞ」


 今日は二人の部屋がとれたので、ベッドも二つ置かれている。

 しかしナタリーはそれを使うことを望まない。


 彼女と出会ってから数十日。ずっとこうしてきたせいか、俺が離れるのを嫌がるようになってしまった。

 警戒心を持って欲しいと思うが、断ってしまうと悲しい表情を浮かべる。

 俺と同じで、一人ぼっちになるのが嫌なのだと思う。


「普通は、一緒のベッドで寝ることはないんだぞ」

「知っています。でも、わたしは構わないですよ!」

「……他のやつにはやるなよ」


 そんな風に微笑みながら言われたら断れない。

 ベッドにもぐりこんでも二人の距離は空いている。しかし、そばに誰かがいるというだけで暖かさは伝わってくる。人恋しいと主張する彼女の気持ちも理解できるような気がした。


「明かり、消すぞ」

「はい」


 俺が手元のランプを消すと、部屋は月明かりだけになった。

 するとモゾモゾと動いて俺に顔を向けてくる。


「少しだけ、お話してもいいでしょうか」


 ナタリーは、暗闇の中でそんなことを言って話しかけてくる。


「何だ?」

「里からいらないって言われて、一人ぼっちで森で生きてきました。今はそのときよりもずっと幸せだと思っています」

「……そうか」


 かすかに月明かりに照らされて見える表情は、言葉とは違っていた。

 不安。胸がざわついているのか、両手で心臓を抑えている。


「ここまでしてもらっているのに、今も心細い気持ちがあって……」

「…………」

「こんなに大切にしてもらっているのに不安なんです。だからハラルドさんに、お願いしてもいいでしょうか」


 暗闇に目が慣れてくる。

 ナタリーは被った毛布の内側から手を伸ばして、俺の腰に触れている。

 寂しそうに、今にも泣き出しそうな表情を浮かべているのが見えた。


「ハラルドさん。わたしを見捨てないでください」


 ナタリーの懇願で、俺の胸がざわついた。

 伝説のエルフ族の美少女であり、森での身体能力も、内包する魔力もずば抜けて高い。誰からも羨やまれるような能力の持ち主だ。

 それでも気持ちは理解できた。出しかけた言葉を飲み込んで、言葉を変える。


「そんなこと、するはずがないだろう」


 ナタリーと同じ孤独を抱えていたから理解できる。

 俺たちは、親しくしたかった相手から嫌われた過去を持っている。

 ようやく手に入れた仲間に見捨てられたら、どうしていいか分からなくなる。


「人間さんは体をくっつかせて寝ないんですよね」

「そうだな」

「……このまま寝てもいいものでしょうか」

「ああ。このくらいなら、いつでも大丈夫だ」


 ナタリーは旅の途中で教えた常識を、律儀に守っている。

 俺とは少しの距離をとっていたが、魔法を使うときのように手を握り合った。


「おやすみ、ナタリー」

「おやすみなさいです、ハラルドさん」


 そのまま同じベッドで、二人とも目をつむった。


(いなくならないでほしいって、それを頼むのは俺の方だよ)


 一緒にいてくれて感謝しなければいけないのは、本来なら俺のほうだ。

 俺だって不安だ。昔から同じような境遇だったので感覚は随分麻痺してしまったように思うが、それでも孤独は大嫌いだ。

 だからこの暖かい手が、いつでもそばにあってほしいと願った。

 

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