第36話 ハラルドと古代遺跡の街ハイブ

「街が見えました!」


 ナタリーが真っ先に声をあげて、翡翠のような緑色の瞳をきらめかせた。

 ようやく到着したのか。

 草原の向こう側に見えるのは、低い壁と発展した都市の一部。石造りの屋根の群と、中心部に異様に大きな薄茶色の塔が見えている。あれが遺跡なのだろう。


「この古代遺跡の街まで、ずいぶんかかったように思ったが。あんな遠くまで狩りに出ていたのか?」 

「……ああ。遠くのほうが人が少なくて、やりやすいんだ」


 ベスターは少し間を置いた後に、顔を逸らしながらそうかえした。発狂した魔法使いヘルミナを背負った獣戦士も同じように、やましい事を考えているような反応だ。

 だが、それ以上に深く聞くことはなかった。


(しかし、こんな僻地にこれだけの街があったんだな)


 さびれた寒村での宿泊か、最悪の場合は森での野宿まで想定していた。

 遺跡というのは胸躍るし、新しい街に入る瞬間の期待感が胸を満たす。

 補給のための中間地点としては上出来すぎるくらいだ。


 よく見ると、街に向かって街道が伸びているのが見えた。

 あのまま進んでいても途中で分岐するような場所にあたったのかもしれない。


「むぅ……」


 街に近づくと、最初は喜んでいたナタリーが頬を膨らませた。

 不満な表情を見せるのは珍しいな。

 不思議に思って、他に聞こえないようにこっそり顔を近づけて尋ねた。


「どうかしたのか?」

「森が不自然に無くなっています。人間さんが切り開いたんですか」

「……ああ、そういうことか」


 ナタリーがエルフ族であることを思い出した。

 エルフは森に生きる民であり、何よりも森を大切にすると伝承には残っている。遺跡も街も、ぽっかり森に穴を開けるように建造されている。あまり見ていて楽しい光景ではなかったのだろう。

 頬を膨らませているのも可愛らしいのだが、俺がしっかりフォローするべきだろう。

 

「街を作るためだろうが、木材もちゃんと資源として活用しているさ。人間は他の街も多いから、輸出して活用しているんだ」

「……なるほど。使っているのなら、まあいいでしょう」

「無意味に森を切り倒したりはしないさ」


 不満げだった表情をやめて、ふんすと可愛らしく鼻を鳴らした。

 

「森のことが気になるのか?」

「もちろんです、森は大好きです! ……里からは追い出されてしまいましたが」


 怒っていた態度を一転させて、悲しそうに視線を横に逸らした。

 まだ引きずっているようだ。

 一朝一夕で解決する問題ではない。慰めるようにナタリーの頭を軽く撫でた。


「ふぁっ。ハラルドさん?」


 びっくりした様子で顔をあげたので、慌てて手をどけた。。


「ああ、すまん。嫌だったか?」

「い、いえ、急だったのでびっくりしただけです」


 案外嫌がっていない様子だったので、もう一度頭に触れてみる。

 握った両手を胸元に持ってきて、目を瞑っている姿が可愛らしい。

 ナタリーは、されるがままに撫でられてくれた。


「ん……これ、好きかもしれないです」


 そんなことを言うものだから、ドキリとした。

 髪は妙に触り心地がよくて、しかも背が低くて撫でやすい位置に頭がある。このままだと、やめられなくなってしまいそうだ。


「……あー、悪い。もう少し待った方がいいか」


 俺は、その言葉ではっとした。

 二人とも今の様子をしっかりと見ており、視線をそらされている。

 俺はまた急いで手を離して咳払いする。ナタリーは奇妙な雰囲気の理由を理解していない様子で、少し名残惜しそうに俺の手を見ていた。


「あ、その。立ち止まってこんなことをしてて、悪かった」

「いや、大丈夫だ……やっぱりあんたの女なんだな」


 ベスターはすまなそうな表情で、ぼそりとつぶやく。

 ……何か勘違いされてしまったようだが、聞かなかったことにした。


「ところで街に入るには、一人当たり銀貨一枚必要だ。持っているか?」

「用意しておいてくれ、すぐに必要になる」

「大丈夫だ。二人分俺が出す」


 俺たちは二人の後についていく。

 近くで見ると、街の門はコルマールよりも立派だった。

 特筆するべきは、石のアーチの前にいたのは兵士ではなく、白い祭服を纏った若い男だったことだろう。二人の言っていた教会の人間に間違いない。


「ベスターさん。どうしたんですか!?」


 端正な顔立ちの彼が、前を歩く二人を見つけてギョッとしながら駆け寄ってくる。リーダーのベスターが対応した。


「ヘルミナが魔物にやられてな。宿に戻って休ませたいんだが、入れてくれるか」

「大変です。教会で診ることもできますが……」

「頭を打って気絶しちまっただけだから、問題ねえ。放っておけば起きるさ」


 男はすっかり言い分を信じている様子だった。

 先ほどの言葉通り、黒い魔法のことは話さない方針のようだ。


「そちらのお二人は?」


 俺とナタリーも黙って様子を見守ったていたが、すぐに俺たちに気付く。


「近場で街を探していたらしくてな。ここに案内してきたんだ」

「そうでしたか。念のため確認ですが、亜人族ではありませんよね?」


 突然、雰囲気を変えて、感情のない平坦な声で尋ねてくる。

 ナタリーはびくりと緊張した様子で飛び上がった。かわりに俺が答える。


「違うが、亜人族だったら何かあるのか」

「この街は教義により亜人族の立ち入りを禁止しています。立ち入っているのを見かけた場合、即刻追い出すことになっているのです」

「…………」

「ようこそ古代遺跡の街ハイブへ。通行料は一人につき銀貨一枚になります」


 優しい笑みを浮かべて出迎えた。

 コルマールで兵士に怯えていたナタリーはより怯えて、俺も表情が硬くなる。

 俺が前に出て銀貨二枚を手渡すと、丁寧に説明してくれた。


「宿をお探しなら、この通りを真っ直ぐに歩いていけばすぐに見つかるでしょう。今、この地は商人の出入りも多いですから」

「ありがとう」


 素直に礼を言って、それ以上は特に何を聞かれることもなく足を踏み入れた。


「大丈夫でしょうか……?」

「心配ない。ナタリーは、耳を見せなければ人族と変わらないからな」


 他の種族は獣耳、尻尾、毛皮、鱗、翼などの明確な特徴を持っている。

 頭の被り物さえとらなければばれっこない。そもそもこういう事態を見越して隠しているのだから大丈夫だと、ナタリーには言い聞かせた。


「さて、ここが新しい街か」


 古代遺跡の街ハイブの様相が、一気に視界に広がった。

 神々しい雰囲気が漂いつつも、大勢の人間が行き交うような活気のある街だった。正門から足を踏み入れた俺たちは、真っ先に目につく薄茶色の巨大建造物を見上げる。三角形の形をした塔だ。


「大きいですねぇ……」

「大きいなあ」


 首を上げなければ見えないほどに高い。一体どれほどの人数がいれば、これだけ巨大なものを作り上げることができるのだろうかと息をつく。

 周囲にも小さな遺跡、古い石造りの建物がそのままの形で残っている。

 想像していたよりもはるかに大規模な遺跡のようだ。


「こんなにでかい遺跡が、最近まで見つかっていなかったのか」

「確か人目から隠すような魔法が使われていたと、教会の誰かが言っていたな。魔法の効果が切れたことで発見されたんだとよ」

「へえ……」


 透明になることで、自分の姿を隠す魔法なら知ってる。

 だがこんな巨大な構造物を覆い隠す魔法となると規模が違う。上級魔法か、それを超える古代の魔法が存在したのだろうと推測した。


(かなり強い魔力の流れを感じるな……)


 気になるのは塔だけではない。

 街に入ってから、驚くほどに濃い魔力が漂い続けているのを感じていた。

 これも彼が言っていた『魔力溜まり』だろう。確かに商人が集まるのもうなずけた。実際他の場所に視線を向けると、露天がたくさん建って賑わっている。


「聞いていたが、こんなに発展しているんだな」

「ここは土地柄、誰でも儲かるのさ。新しい街でギルド支部こそないが、魔物の討伐品で稼がせてもらっているよ」


 コルマールにも劣らないくらい大勢の人出に、正直驚いた。

 果物や野菜、魔物の肉を販売している商人は普段から見かけるが、やはり魔力を使った道具を販売している商人が群を抜いて多いようだ。

 

(魔道具や、魔法使いの装備を売っている店は貴重だからな……)


 魔法使いの俺は、強く興味がひかれた。

 そんな様子を見たベスターと、重戦士の男は顔を合わせて頷いた。


「俺たちは宿に戻るよ。色々と助けてもらったが、ここでお別れだな」

「そいつは大丈夫なのか」

「……まあ、何とかするさ。これは俺たちのパーティの問題だからな」


 先のことを考えたのか、リーダーは重い息を吐き出した。

 彼は目覚めた時に正常に戻っているかはわからない。だが恐らく混乱していることだろう。気の毒に思ったが、俺たちにできることは何もない。

 俺たちはお互いに手を振って別れた。


「ここまで案内してくれて助かった」

「ああ、あんたたちも気を付けろよ。じゃあな」


 三人のDランクギルドパーティは、通りの人混みに紛れて姿を消していく。

 一人は不穏だったが、他は悪い連中ではなかった。

 そんなことを考えながら背中を見送っていると、ナタリーに袖を引かれた。


「ハラルドさん。わたし、お腹が空きました」

「ああ、俺も腹が減ったよ。まずはこの辺りの露店で何か買おうか」


 ここに来るまでに何も食べていなかったな。

 お腹の奥が疼くのを感じて、俺たちも周囲の露天を漁りはじめた。

 
















 古代都市の塔の頂点から、ローブを纏った人影が見下ろしていた。

 遥か下のハイブの街では大勢の人間が歩き回っている。


「ほう。これは面白いやつがやってきたな」


 腕を組んだ男は、その中でも一点を見つめて口元を歪めていた。

 ハラルドと、ナタリーが周囲を見回しながら楽しそうに言葉を交わしていた。

 


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