第34話 ハラルドと闇系統魔法の邂逅
「ハラルドさん、ちょっと待ってください」
「どうかしたのか?」
森に向かって歩いているとき、ナタリーが何かに反応して足を止めた。
キョロキョロと周囲を見回している。何か見つけたのだろうか。俺も同じように辺りを観察したが、変わったものは何も見つけられない。
するとナタリーが急に、頭の布を外して長耳を露出させた。
「おい、本当にどうしたんだ?」
「変な音が聞こえるんです」
「音……そうか。エルフ族は耳がいいんだったな」
ナタリーは目をつむって耳を澄ましている。
エルフ族は耳がいい。普段は耳を覆い隠しているので聞こえづらいと言っていたが、今は音を聞き取るために外したのだろう。幸い、周囲に人はいない。
「やっぱり。誰かがこの先で戦っているみたいです」
「戦っているというと、どんな音だ?」
「金属がぶつかったり、地面が揺れたりしています。それに大声もです」
「……こんな場所で戦っているやつがいるのか」
俺は不思議に思った。
確かにこのあたりも魔物が出現する。こんな僻地で戦闘をするメリットなんてないのに……と、そこまで考えて閃いた。
「好都合だな」
「どういうことですか?」
「人族がいるなら、近くに集落があるかもしれないってことだ。森に入るよりもずっといい。思ったより早く補給ができるかもしれんな」
「なるほどです!」
ナタリーも耳をぴんと立たせて、表情をよりキラキラと輝かせた。
森に住む亜人族が戦っているのか、それとも人間族の集落があるのか分からないが、敵対的な相手でない限りは好都合である。
「さっそく行きましょう! 食べ物がもらえるかもしれません!」
「あ、おい!」
焦って止めたが、もう聞いていないようだ。
仕方ないやつだと息をついて、安直に走り出してしまったナタリーの後を追いかけた。
数十分進んでいくと、俺にも音が聞き取れるようになった。
戦闘の現場に到着して見たのは人間族の一団。 彼らの敵は凶悪な容姿の八本足の蜘蛛型の魔物だった。
「あ、あれは森に出いた怖い魔物さんです……」
敵の姿を目の当たりにしたナタリーがわずかに顔を青ざめさせた。
緑色の毛で覆われた多脚が素早く動く。
八つの赤い瞳は矛盾した動きを見せながら、敵対者を捕らえ続けている。
人間を余裕で飲み込んでしまいそうな巨大を持った魔物の情報について、ギルドで活動した俺は詳しく知っていた。
「グリーン・スパイダーだって? Bランク級の魔物だぞ……!」
以前戦ったAランクのトロールほどではないが、稀に見る強敵である。
竜神の森に出現する魔物の中でも凶悪であるというのは、ギルドが格付けした『ランク』が示す通り。能動的に動き回って狩りをする魔物ではないはずだが、これも森で起きている異変の影響だろうかと推察する。
「た、助けないとですよ、ハラルドさん!」
ナタリーが焦って訴えかけてきて、はっと我にかえった。
「ベスター何とかしてくれ! もうこれ以上は持たん!!」
「くそっ、この野郎。森から俺たちを執拗に追ってきやがって……!」
重戦士は自前の盾で、放たれた毒糸を防いでいる。
もう一人の戦士の男は、必死に近づいて足を切ろうとしているが、蜘蛛にうまくあしらわれてしまっている。
普通ならば、狩りの邪魔をするのはマナー違反だ。
しかしどう見ても余裕のある状況とは言えない。三人パーティの、特に前衛の表情は厳しいものだ。ナタリーの言う通り助けるべきだろう。
(あの魔法使い、怯えているのか……?)
しかし気になったのは、もう一人。
背後で立ったまま動かない、大杖を持った魔法使いの男を見て動きを止める。
魔法使いは、どんな状況も覆す可能性を持つ存在だ。しかし何やら杖を硬く握り締めたまま動かない。
ナタリーの言う通り不味い状況だというのに、動かないのは不自然だ。
(いや、考えている場合じゃない)
このままだと、彼らの戦線はもうじき破綻する。
手を貸さないと彼らは死ぬだろう。
「魔法を使うぞ。ナタリーっ、魔力を!」
「はいです!」
ナタリーも迷わずに、伸ばした手を握りかえしてくれた。
蜘蛛を滅ぼすための中級魔法を構えるが、それを放つ前に様子がおかしいことに気づいた。
(待て。あの表情は一体、何だ?)
魔法使いの男が、遠目に見てもわかるほど不気味な笑みを浮かべていた。
震えるのをやめてようやく杖を構えた。
「クク……ッ! ヒヒヒヒヒヒヒッ!!」
男は狂ったような声で大笑いしながら、両手を持ち上げる。
急な態度の変化にぎょっとしたのは俺たちだけでない。仲間であるはずの彼らも、同じような表情を浮かべていた。
「ど、どうしたんだヘルミナッ!?」
戦士が声をかけるが、無視。杖を握って魔力を集め始める。
「っ……!」
「ど、どうしたんですかハラルドさん!?」
俺の魔法が中断したことで、焦ったナタリーが問いかけてくる。
だが彼らを助けることも忘れてその光景を見た。大杖に力が集まっている。黒色の、底冷えするような魔力だ。
不気味な笑みを崩さないまま魔法を完成させた。
「喰らえッ、闇系統魔法『マルム・フレーマ』ァッ!」
闇色に輝いた杖から魔法が放たれる。
そうして天に巻き上がったのは黒色の炎。中級魔法の最高火力と言えるほどの熱量を持った炎柱。放物線上に蜘蛛の魔物を目指して振り下ろされる。
「ま、待て! うおおおっ!?」
仲間の重戦士は慌てて飛び退き、かろうじてかわす。
その直後。八本足の巨体を膨大な黒炎が覆い尽くした。
『ギィィッ!? グギィ、ギァァ……!』
魔物は甲高い鳴き声をあげて身をよじった。
だが緑色の体毛は焼け落ちて、体は徐々に崩れてゆく。無残な光景だ。
彼らが苦戦していた魔物は、たったの一撃で葬り去られた。
「す、すごい魔法です」
「…………」
俺は手を下ろして、ナタリーとともに茫然とその光景を遠目に見ていた。
「あんな大きな魔物を一瞬で倒してしまうなんて、上級魔法でしょうか」
「いや……」
今の一撃は恐ろしいほどの威力だった。
だが俺はぽつりと否定する。ナタリーの言う通り、上級魔法かと見紛うほどの威力であったが
そして彼らは、魔物を倒したあとだというのに怒り心頭で詰め寄った。
「おいヘルミナッ! 俺たちが前線で戦っているんだ、声くらいかけたらどうなんだッ!」
「ベスターの言う通り。俺たちごと殺す気か?」
剣をおさめながら魔法使いの胸ぐらを掴む。
魔物を倒したとはいえ殺されかけたのだ。怒りも無理もないものだった。
だが魔法使いの男は顔を下げたまま、まったく聞いていない様子だ。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ!」
一人が強引に、彼を殴ろうと拳を振り上げる。
「うるさいんだよッ!!」
それがきっかけだった。
瞬間、魔法使いヘルミナは、反発するように腕を振り払った。
尻餅をついた二人の仲間は、彼を信じがたいという表情で見上げた。
「俺の力がなきゃあ、魔物も倒せないゴミどもが! ゴチャゴチャとわめくな!」
恐ろしい形相で仲間を見下していた。しかし、それだけではおさまらない。
魔法使いヘルミナは再び杖に魔力を集めはじめる。
先ほどと同じ、闇色の魔力だ。
「俺の邪魔をするやつは、誰であろうと殺してやる!」
「っ、お前、何をするつもりだ!?」
俺は再度の危機を目の当たりにして、もう一度杖を構えた。
「ハラルドさんっ」
「分かっている!!」
今度は迷わずなかった。
繋いだままの手からナタリーの魔力を受け取り、即座に魔法を放つ。
「『プラント・バインド』ッ!」
緑色の魔力が杖から放たれ、魔法使いの足元から生えた植物が手足に絡みつく。
「『マルム』……ッ!? な、なんだこれはっ!」
魔法使いは動揺したのか、発動しかけた魔法を中断してしまった。
拘束の魔法は手足を縛り上げてゆく。
暴れていると、そのうちバランスを崩して横に倒れた。そこでようやく、前衛を務めていた剣士の男が俺たちを見つけた。
「ぐ、ぐぅぅっ」
「なんだこれは……!?」
「おい。あそこだ、俺たち以外の人がいるぞ!」
魔法使いヘルミナは、尋常ではない雰囲気で暴れ続けている。
その様子を見ながら、俺たちは残った二人近づいていく。ナタリーは言いつけ通り布で耳を隠していた。
「すまない。不味そうな雰囲気だったので、介入させてもらった。余計な世話だったか?」
「い、いや。おかげで助かった。感謝の言葉もない」
どうやら剣士の男がパーティリーダーのようだ。
肩を落として、疲れたような表情を浮かべている。その一方で、重戦士は必死に魔法使いを説得しようとしていた。
「おいヘルミナ、何のつもりだ! 俺たちを攻撃しようとするなんて、一体どうしちまったんだ!?」
「く……おいしっかりしろ!」
「くそがっ! 離せ、離せよお前らッ!!」
拘束された仲間に、困惑した様子で訴える。
だが尋常でない様子で暴れながら一向に聞き入れなかった。
「……少し待っていろ」
このままだと話ができない。拘束も抜け出されかねない。
オロオロと戸惑っているナタリーの手を強く握った。魔力を受け取れることを確かめてから、改めて魔法を使う。
「『スリープ・クラウド』」
「ふざけるなっ、お前ら全員ぶっ殺し――」
半透明な霧が彼の顔を包む。
馬頭の最中。ヘルミナは半目開きにして、突如かくりと目を閉じた。
急に様子が変わったことに、仲間の二人も驚いた。
「あんた、今の魔法は一体……?」
「悪いが、魔法で眠らさせてもらった。あの状態だと暴れまわっただろうからな」
「……いや、すまない。助けてもらったようだ」
リーダーの戦士の男は、戦っていた魔物をちらりと見た。
炭になって跡形も残っていない。討伐部位の回収どころではなく、あの様子では魔石も台無しだろう。焦げ臭い嫌な臭いがそこら中に漂っている。
「一体どうしたんだ。仲間割れか?」
「俺も分からない。普段は、こんなやつじゃないんだが……」
「随分、強力な魔法だったようだが。このあたりで有名なパーティなのか」
「いや、俺たちはギルドのDランクパーティ。ほとんど無名だよ」
彼はそう言いつつ、ギルドカードを見せてきた。
確かにパーティランクの欄はDと記されている。結成期間はすでに五年と、なかなかの長期だということも分かった。
「組んだばかりのパーティで仲間割れ、というわけでもなさそうだな」
「…………」
「……話は後で聴かせてもらう。すまないが、俺とナタリーは集落を探している。拠点としている街があるなら案内してもらえないか?」
「あ、ああ分かった。もちろんだとも。この先の街に案内しよう」
彼はこくこくとうなずいた。
筋骨隆々な重戦士の男が、眠ったままの魔法使いを背負う。
そうして俺とナタリーは、見ず知らずのパーティと合流して街を目指すことになった。
(さっきの黒い魔法は、まさか……)
望んでいた展開になったというのに、先ほどの魔法使いの恐ろしい態度が引っかかって、素直に喜ぶことができなかった。
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