第31話 ハラルドとナタリーは未来の冒険に想いを馳せる


 誰も来ない森の一角。

 魔法で作った土の柵の中、二人で野営の準備を整えていた。

 もともとは狐族の村に泊まる予定だったため、深夜となってしまっていた。


「あれでよかったんですか?」

「ああ」


 ナタリーは気遣いながら尋ねてくれた。

 だが俺は手を止めずに即答した。


「いつかは街を出る予定だったから、それが早くなっただけだ」

「ですがギルドというのは、他の人間さんの街にもあるんですよね。後で困らないですか……?」


 意外に鋭い指摘だ。

 確かにギルドは他の街にも存在する。情報もすべて共有されている。

 俺はもう、ギルドという組織に所属することはできないだろう。


「そうだな。でも別にいいんだ」


 だがもうギルドに所属することに、価値を感じられなくなっていた。

 今の俺に、まったく不安はない。


「仲間集めをする必要もない。最高の仲間がいるからな」

「そう言っていただけるのは嬉しいですが……」


 不安な様子なナタリーに説明する。


「ギルドに入るメリットは仕事が受けられることだ。だが、俺たちはそれに頼る必要がないからな」

「なるほどです……!」 


 いつの間にか頭の布を解いて、ぴょこぴょこと長耳が揺れた。


 自力で、稼ぎのいい高ランクの魔物を魔物を狩れるなら生活ができる。

 所属していたほうが稼ぎはいいが、その点は仕方ないだろう。



「それに、強制的に望まないクエストを受けさせられることだってあるからな」

「むりやりですか」

「自由に冒険ができなくなるってことだ。そうなるのは強い冒険者に限るけど……だから、これでよかったんだよ」

「な、なるほどです」


 この様子では、ナタリーは何となくしか理解していないだろう。

 でも、別にそれでいい。

 二度とギルドと関わることはないのだ。

 俺は大きく×印のついたギルドカードを、懐の奥深くにしまいこんだ。


「さて。疲れていたのに、最後に無理させて悪かったな。俺たちも寝るとしよう」


 俺は気持ちを切り替えて、ナタリーに運んでもらった鞄を探り始める。

 ひょっこり隣から覗き込んでくる。


「何を探しているんですか?」

「二人分の寝具を買っておいたんだ。これで快適に寝られるはずだ」

「本当ですか!?」

「本当だよっ、と」


 火の粉で焼けてしまわない場所に、鞄から取り出した毛布を広げてみせた。

 四人は寝られそうな、ふかふかのタオル。

 食いついてきたナタリーの前に広がったのは、広々とした快適空間だった。


「寝床です!」


 目を輝かせたナタリーは、宿屋の時のように思い切りダイブした。

 だが、頭からゴツンと痛そうな音が鳴る。


「あたっ……い、いたいです!」

「お、おい。スノー・シープの毛が編み込まれているが、そこまで分厚い布じゃないから気をつけてくれよ」

「早く言って欲しかったです……」


 涙目で額の辺りを手で撫でながら、毛布を撫で回した。

 シャーリーに作ってもらった特別製で、汚れや水にめっぽう強い魔法がかかっている。


(またいつか、世界を巡った後に立ち寄りたいな)


 俺はふと、コルマールで親しくしていた人達の顔を思い出した。

 ギルドは嫌いでも世話になった人は多い。

 しばらく戻ることはないと思うと、寂しい感じがした。


「人間さんは凄いです。ご飯も美味しいのに、森の中にこんなに素敵な場所まで作ってしまえるのです……」


 そんなセンチメンタルな気分も、毛布の中に幸せそうな表情で顔を埋めて、口元を緩ませるエルフを見ているとなくなった。

 思わず口元がほころんだ。


「隣になるけど、構わないか」

「もちろんですぅ」


 俺もナタリーの隣に座って息をついた。

 虫の声が響く閑静とした森に耳を傾ける。


 まだ考えることはあるが、少し疲れたな。

 そろそろ寝るか、と思った時だ。


「そうです!」

「どうしたんだ?」


 急に声をあげて立ち上がったナタリーのほうを見る。


「魔法の柵を開けてもらえませんか。寝る前に、お見せしたいものがあるのですよ!」

「ん、分かった。じゃあ手を貸してくれ」


 こんな森の中で何を見せたいと言うのだろう。

 不思議に思ったが、何も聞かずにナタリーの素手に触れて、魔法で作っていた柵を一部だけ解除する。

 棘が地面に引っ込み、森への道が開く。

 するともう一つ、ねだってきた。


「さっきの魔法を、もう一度かけてください! 足が強くなるやつです!」

「ああ、ギルドから逃げる時に使ったやつか。いいぞ。『ブースト』」


 また水浴びに行くわけじゃないよな……?

 ナタリーの足に手を向け、『代行魔術』のスキルで魔法を発動させると、彼女の素肌に透明な光がからみついた。

 強力なエルフの脚力を強化される。


「では失礼して」


 ナタリーは俺の前に回り、いきなり腕を回して俺を背負ってきた。

 俺は驚きながらも、されるがままに背負われる。


「お、おい。どうしたんだ!?」

「ちょっと下を向いていてください」


 困惑しつつも言われた通りに顔を下げる。

 ナタリーは地面を勢いよく蹴った。

 そして枝を次々に飛び越える。

 

 上から下へと、風が体を吹き抜ける。

 頭上でばさばさと音が聞こえる。体に木の葉が当たって目を開けられない。



「っ……!」


 急に、開放感に包まれた。

 しっかりとした枝の上に下されたが、慣れていないぶん心もとない。

 木々の頂点に立ったナタリーは言った。


「空を見てください」


 言われた通りに目を開けて、おそるおそる空を見上げた。

 そして、彼女が見せたかったものを見る。


「これは……!」


 風でフードが脱げて髪が散らばった。

 遮るものは何もない。

 透き通るような夜風の中に、俺とナタリーは存在していた。


 見渡す限りの星空が広がっていた。

 無限の闇の中に煌く星々。

 青い魔力を放つ月。

 見えるもの全てが、美しさを秘めていた。


「すごい景色だな」


 ほとんど無意識での感想だった。

 手の届かない遥か遠い場所で、魔力が鮮やかに輝いている。

 本当に、綺麗だ。


「自然の中で満天の星空を見られるのは、森の種族の特権ですよ!」

「こんなに綺麗な夜空を見たのは初めてだ」

「そうでしょう、そうでしょう」


 誇らしげに、何度もうなずいている。

 どうやらわざわざ木々の上に登って見せたかったのは、これだったようだ。


 こんなにも心を打つ眺めを、俺は見たことがない。


「なあ」


 ナタリーの新緑の瞳が空から外れて、俺を見つめた。

 俺と一緒に冒険に出てくれる。

 そんな彼女をしっかりと見て、誘った。

 

「これからは、俺と一緒に色々な景色を見にいこう」


 俺と同じく『未知の世界』に憧れる少女。

 ナタリーは、口をわずかに開いた。


「この広い世界には、竜神の森にも負けない場所が山ほどあるはずだ」

「……はい」


 頬を赤らめて、自分の胸に手を置いている。


「行きたい場所に行って、美味しいものを食べて。俺とやりたいことをしよう」


 憧れを抱いていた。

 知らない世界へと踏み出していく。

 誰もが嘲った夢物語を、エルフの少女は決して笑うことはない。


「……いま、すごく嬉しいです。こんないい日が来るなんて思っていませんでした」


 ナタリーは緩んだ表情を隠すように俯きつつ、俺の肩に体を寄せてくる。


 小さな体だ。

 しっかりと一人ぶんの重みが乗ってくる。

 彼女とは出会ってまだ日は浅い。

 しかし、確かな信頼が伝わってきた。


「この景色を見ながら、明日からどこに行くか考えようか」

「えへへ。それはいいですね。どこに行きましょうか」

「コルマールよりも美味い飯が食えると噂で聞く、北の街に向かうのはどうだ」

「美味しい食事ですか!? 一体どんなものがあるのですか……?」


 ナタリーは美味しい食事に反応し、目を丸くしながら胸をときめかせる。

 俺は、冒険先を昔から調べている。

 だからいくつかあて・・があった。


「詳しくは知らないが、海に近い場所らしいから、美味い魚が食えるんだと思う」

「海! それって世界で一番広い、あの伝説の湖のことですね!?」

「……エルフ族には変な伝わりかたしてるんだな」


 笑いながら、未来を語り合う。

 伝説のエルフ族と冒険するなんて、不思議なことが起こるものだなと思う。


「わたしも冒険に出られるんですね」


 何となく無言でいると、ナタリーはしみじみとつぶやいた。

 俺たちは、綺麗な夜の星空を見上げる。


「ああ。今日からやっと冒険が始まるんだ」


 顔を見合わせないまま同意した。

 いよいよ俺も本物の"冒険者"になれる。

 外の世界に出たいと願うエルフの少女との未来に、心躍らずにはいられない。


 魔法を使う時のように。

 俺たちは自然に手を絡め合っていた。


 二人はきっと、今、人生で一番自由だった。

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