第30話 ハラルドは古巣のギルドと決別する


 森から現れたのはギルドの受付嬢。

 それに五十人以上の人間の戦闘要員だ。


 だがギルド受付嬢と、狐族代表のジェムの交渉が始まろうかという時だ。


「おい、この疫病神野郎!」


 ひときわ怒り狂いながら、ギルド職員を無視して前に出てきた男がいた。

 Aランクパーティ『赤蛇の牙』。

 彼らのリーダーのデニスだ。


(また、あいつか……随分酷い格好だな)


 トロールの張り手攻撃のせいでボロボロで、頬も大きく腫らしている。

 情けなさすぎて、爆発しそうになった怒りはおさまっていた。


「テメェ、よくもやってくれたな。俺様をこんな目に遭わせやがって……!」

「…………」


 そんな酷い様子で俺のそばまでやってきて、睨み上げてきた。

 以前は恐れていたデニスの怒りはまったく心に響かず、逆に冷めた目で見返した。


「トロールを俺様にけしかけたな。覚悟はできているんだろうなあ、ああ!?」

「勝手に村に来たのはそっちだ。何の覚悟をしろと言うんだ?」

「この野郎……! ぶっ殺してやる!」


 デニスは自分の武器である双剣を持ったアリアネに、後ろ手を伸ばして唾を飛ばした。


「寄越せ! あいつを叩き斬ってやる!」


 だが彼に武器が手渡されることはない。

 苛立ちながら振り返る。


「何をしてやがる、さっさと武器を寄越しやがれ!」

「デニス、今はやめたほうがいい」

「ああ!?」


 アリアネの言葉を受けたデニスは、そこで固まった。


「なんだその顔は。何か文句でもあるのか、ああ!?」


 普段デニスを崇拝しているギルド構成員の表情が変わっていた。

 軽蔑するような白けたものばかり。

 さすがのデニスも動揺した様子だ。


「な、なんだよ……おい!」

「…………」


 デニスは必死に雰囲気を打ち払おうとする。

 だが全員から視線をそらされる。

 彼に最も近いアリアネでさえ暗い顔を浮かべた。


 彼らが冷めた視線を向ける理由は明らかだ。


(あいつはトロールにダメージも与えられずに負けた。その瞬間は大勢が見ていたからな)


 デニスが敗北したトロールは、高ランクの魔物だ。本来なら同情も集まるためこうはならない。

 しかし、その負け方がみっともなさすぎたのだ。


 ギルドでは強い人間が尊敬される。

 評価が下がるのは当然だ。


「デニスさん、やばくないか……?」

「Aランクにあがる実力がなかったんだろう。一人じゃ何もできないのかも」


 信頼を失ったことで、そんな陰口さえ聞こえてくる始末だ。

 デニスは、今まで調子に乗って偉そうにしていたツケを払わされているようだ。


 いよいよ、中立であるはずのギルド職員の女性にまで戒められる。


「デニスさん。申し訳ありませんが、ギルドとしての仕事を進めさせてください」

「っ……くそがっ。分かったよ」


 デニスは苛立ちながら地面に唾を吐いた。

 納得はしていなかったが、今の彼はギルドには逆らえない。

 仕切り直しだ。

 村長ジェムが改めて、代表として訪れたギルド職員に話しかけた。


「ギルドの方、今晩はどのようなご用件でしょうか」

「こちらの村でトロールを発見されたということで討伐に来たのです」


 ギルド職員は、川辺に放置されて干からびているトロールを見て視線を細める。


「ですが、その必要はなかったようですね」

「ええ。ハラルドさんが討伐してくださいました。彼こそが狐族の恩人です」

「そうですか」


 少し棘のあるジェムとの会話を聞いて、周囲のギルド冒険者がざわついた。


「疫病神に魔物を倒せるわけがない」

「また嘘をついたのか」


 いつものように、俺を疑うような言葉が流れ始める。

 だが、いつもとは反応が少し違った。

 普段あれほど馬鹿にしていた俺が、討伐を果たしたことを認めはじめていたのだ。


「ハラルドさん。あなたが、この村に現れた魔物を討伐したと?」


 受付嬢は表情を変えずに尋ねてきた。


「ああ、そうだ」

「てめぇ! 俺様の手柄を横取りするつもりか!」


 うなずくと、今まで黙っていたデニスが我慢できずに叫んだ。

 俺は大きなため息をつく。


「お前が何の手柄を立てたっていうんだ」

「テメェがいなけりゃ、トロールを倒していたのは俺だっただろうが!」

「だから俺は気絶するまで一切手は出さなかったんだ」

「何だと?」


 こうなることを見越し、狐族には『あれ』に手を出さないように伝えてあった。

 俺が示した視線の先を全員が見る。 


「……お前が唯一倒したオークは、そのまま残してあるよ」

「な、何だって……?」


 ぽつんと二匹、小型のオークが森の側に倒れている。

 デニスが森から追い立てて倒した個体だ。

 それに比べて、川辺に集められた数十匹のオークやトロール達の数は膨大だ。


 遠目に見ても差は歴然であった。


「っ……な、なんだお前ら、俺様に対してその目はッ!」


 追い込まれたデニスは顔を赤くして、慌てふためいた。

 俺の白い目だけではなく、ギルド冒険者からの痛い視線がデニスに突き刺さる。

 それを無視して、ギルド職員の女性は俺に言う。


「それで、トロールの魔石は回収されたのですね」

「まあ、そうだな」


 何を聞きたいのか分からず、怪訝な表情になる。


「それでは今回討伐した魔物の魔石の提出をもって、ギルドへの除名処分を解除とします。よかったですね。さあ、この場で出してください」

「は?」


 受付嬢は手を差し出してきた。

 当然のようにありえない要求をしてくる。

 俺は呆気にとられた。


 こいつは一体、何を言っているんだ。

 そうするのが当然と言わんばかりのギルド職員の態度に、訳がわからなくなった。


「どうしたのですか。ギルドに戻す手続きをしてあげるのですから、早くしなさい。時間が勿体ないです」

「馬鹿かお前は」

「は……?」


 ギルド職員は唖然とした表情を浮かべた。

 すんなりと差し出すのが当然だと信じ切っていたような表情だ。


「不当になすりつけられた借金なんて払うつもりはない。なんで差し出さなきゃいけないんだ」


 そう告げると、わなわなと震え出した。


「ギルドに従わず生きていけると思っているのですか。今なら聞かなかったことに……」

「なぜ俺が、俺を追放した場所に戻らなきゃいけないんだ」


 ×印のついたギルドカードを見せつけながら、はっきりと決別した。


「しゃ、借金百金貨が……」

「難癖で押し付けた金を払って戻れだって? お断りだね」


 ぱくぱくと、怒りで顔を赤くしながら言葉もなく口を開閉させる。

 高圧的なギルド受付嬢を追い詰めた。


「そもそも俺はAランクモンスターの魔石の相場くらい知ってる。お前達のところで売らなくても、金貨二百枚は余裕で回収できる」

「ッ……」

「それをなんで半値以下で寄越さなきゃならないんだ」

「そ、そんなことは……」


 普段は冷淡な対応をしてる職員が明らかに動揺した。

 Aランクモンスターの魔石は貴重。金貨百枚の借金の支払いをしても倍以上余る。


 俺は確かに虐げられていた。

 だが、それに乗るほど世間知らずじゃない。


「今更引き止めても、もう遅いんだよ。二度と俺の前に現れないでくれ」


 淀みなく、まっすぐに言い切った。

 ギルド職員は諦めきれないのか、後悔を煽るような口調で吐き出した。 


「……最後の忠告です。街を出歩けなくなる前に、魔石を差し出しなさい」

「俺はもう街に戻らない。だから何の問題もない」


 俺はそう言いながら背後に視線を飛ばした。


「ナタリー」

「はいです」


 ナタリーは理解している顔だった。

 俺たちの荷物は全て彼女が背負っていた。


 伸ばした手を握りあわせる。

 触れた部分から綺麗な魔力が伝わってきた。

 その様子を見て焦ったのがギルド職員だ。


「待ちなさいっ! 魔石を持って逃げるつもりですか!?」


 ……逃げるって。そもそもお前達のものじゃないだろう。


「言っておくが。魔石以外の素材は魔導契約で譲渡してある。お前たちが取り立てることはできないぞ」

「何ですって!? 疫病神の分際で余計な真似を……!」


 悔しがるように歯軋りし、恨みがましい視線を向けてくる。

 この人数を連れてきたのはトロール狩りのためではなく、俺や狐族を威圧するためだったのだろう。

 だが、全て後の祭りだ。


 俺は村長のジェムと、その隣で見守っていたエレン。大勢の狐族のほうを見た。


(別れの挨拶くらいしたかったけど、仕方ないか)


 ジェムは苦笑いだったが、他は気前のいい笑みを浮かべている。

 感謝してくれているようだ。

 その気持ちが伝わってきて嬉しく思った。


「いくぞっ……!」

「はい。お任せください!」


 俺たちは脚力を強化する魔法をかけて、反対側の森に飛び去っていく。

 彼らの姿は、すぐに見えなくなった。


「じゃあな。二度と追いかけてくるなよ!」

「疫病神の分際でッ、覚えておきなさい!」


 ギルド職員は、最後まで狂ったように俺に罵声を浴びせてきた。

 だが、俺が振り返ることは二度となかった。

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