第20話 ハラルドとナタリーは早朝に互いの仲を深める


 眩い朝日が差しこんだ。

 ここは始まりの街・コルマールの安宿だ。

 起き上がるためにベッドの上に手をついて、何か柔らかい感触を押しつぶした。


「あ……?」


 押し返された部分から手を外して、もう一度。今度は優しく確かめる。

 柔らかくて掴み心地は最高だ。

 視線をその方に向ける。


「…………あ」


 絶世の美少女が横たわっていた。

 朝日で黄金色に輝く長髪がベッドの上に散らばっている。

 澄んだ白色の肌はどこを見ても艶やかで、若干はだけた寝巻きからのぞく太ももの色が白くて眩しい。

 そんな細い女性の体。

 その、控えめな胸の膨らみを掴んでいた。


「うわっ!」


 眠気が吹き飛んだ。

 慌てて手を離したが、遅かった。

 美しく生まれたエルフ族の少女はゆっくりと目を開けてしまう。

 寝ぼけた様子でまぶたをこすりながら、自分の体に視線を落とした。


「す、すまん。これは、違うんだ」


 慌てて弁明しようとする。

 いくら何でも今のはまずすぎる。

 怒鳴られるか、大泣きされるかもしれない。

 覚悟を決めて、かたく目を瞑った。


「朝から悪戯するなんて、子供みたいで可愛いですねえ」

「は、悪戯……?」


 呑気に大きく背伸びしたあと、軽く言って微笑んだ。

 ナタリーは子供の悪戯を見つけたときのような悪い顔をするのみだ。

 怒っている様子はない。


「ここの触り心地がいいのは分かりますが、だめですよ」

「…………」

「エルフは契りを結んだ相手以外は触っちゃいけない決まりなんです」

「…………」

「どうかしましたか?」

「いや……」


 エルフは一体どこまで世間知らずなんだ。


「俺も寝ぼけてて悪かったと思ってるけど、もっと怒っていいんだぞ」

「子どもによくやられるので、怒っていたらきりがないですよ」


 嘘だろ。

 エルフ族の子供は、大人の女性の胸を揉み放題なのか。

 何という楽園だ……ではなく。

 なんて常識外れなんだ。

 顔をおさえていると、俺はふと気付く。


(このまま何も教えなかったらどうなるんだ?)


 その可能性に思い至った。

 常識の欠片もないピュアな少女のままでいてくれれば、また揉める・・・

 いや、それ以上だっていけるかも――


(いやいや、それだけは駄目だ!)


 まあ、自分の中に顔を出した悪魔を押さえつけて首を横に振り続けた。

 裸を見るのも、胸を揉むのもだめだ。

 無知につけこむのは悪魔の所業だ。


「他人に裸も見られたり胸を触られたら本気で怒るんだぞ。いいか?」


 断腸の思いで、ナタリーに常識を語る。


「そ、そうなんですか。分かりました」

「常識だから間違えると大変だからな。外では気をつけてくれよ」

「では、次はハラルドさんにも、怒ったほうがいいですか?」


 その返答に、俺は若干口をつぐむ。


「……いや、俺には、そのままでいてくれると、嬉しいんだが」

「よかったです!」


 日和った。

 常識を教えると言った矢先にこれだ。

 自分の意思の弱さが嫌になる。

 でも、だって、無理だ。


 欲望に負けた俺は、罪悪感を感じながら一階に降りた。




 日が登っているいま、一階の食堂は宿泊客が大勢集まって談笑していた。

 カウンターに待機していた宿屋のオーナーが、笑って俺たちを見る。


「おはよう。ゆうべは、よく眠れたのかい」

「……ああ」

「ベッドは汚れてないだろうね」

「思っているようなことは何もないぞ」

「何だい、その様子じゃ本当に何もなかったんだね」


 面白くなさそうな顔で息をついた。

 噂好きのオーナーは、つまらなさそうに言う。


「で、朝食はガールフレンドの子の分も用意するの?」

「四人前で頼む」

「は。あんた、他にも連れがいるのかい」

「いいや。ナタリーが三人前食うらしい」

「楽しみです!」


 おばさんは一転して怪訝な顔に変わった。

 銅貨をカウンターに渡すと、冗談ではなく本気だと分かったらしい。


「……ずいぶん元気な子だね。残すんじゃないよ」


 タオルで耳を隠したナタリーを、じろじろと見つめた。

 怪しまれないうちにテーブルに向かおうとすると、背後から呼び止められた。


「ああ、ちょっと待った。あんたに客が来ているよ」 

「客? ギルド絡みか?」

「街の外から来た子みたいだけどねえ。あそこで待っているよ」


 しわがれたオーナーの指が差したのは、宿屋の一階に作られた食事処の隅だ。


 他の客に紛れて、ローブ姿の誰かが席についている。

 俺と同じように深くフードを被っており、正体を隠そうとしているみたいに見えた。


「心当たりがないな」

「ずっと待っているんだ。とりあえず声だけかけてやんな」

「ああ、ありがとう」


 わざわざ俺を訪ねてくるということは、ギルド関連しか考えられない。

 面倒ごとだ。

 そう感じながら、ナタリーと二人でその相手に近づく。


「そこの人。俺に、何か用があるのか?」


 声をかけると、その相手は俺を見た。

 フードの内側から覗く顔は見覚えがない。

 本当に、この女は誰だ?


「あっ……」


 ナタリーのほうが反応した。

 ん? もしかするとギルド関連ではなく、ナタリーの繋がりだろうか。


「お前の知り合いか?」

「いえ。ですが森に住んでいる人の匂いがしましたのです」

「……っ」


 かすかに動揺したように肩が震えた。


「狐族の獣人か」


 フードの下に見える彼女の顔が上を向いたとき、頭の上で曲がっていた狐耳がひょっこり動いたのが見えた。


「エレンと言います。初めまして……」


 謎のフードをかぶった存在を気にしていた、周囲の客の視線が集まった。

 俺も予想外の相手に、目を丸くする。

 しかし注目されたのは一瞬だけで、すぐに客の興味は離れていく。



 獣人はあまりこの街には訪れない。

 街に来るのは取引のときや、親しい人間と交流するときくらいだ。

 そして、俺に狐族の友人はいない。


「森の獣人が、わざわざ街に来て俺に会いに来るなんて。何の用だ?」


 彼女がここにきた理由が分からずに尋ねると、顔を近づけてくる。


「わたしたちの村が、大変なんです!」

「うおっ」

「助けてくれる人を探していました。それであなたを探して、ここまで来たんです!」

「何だって……?」


 彼女は頭を深く下げて、深く懇願する。

 俺はナタリーと顔を見あわせた。

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