第18話 ナタリーは夜の孤独に震える
街に戻り、新人のパーティーと別れた。
この街には拠点として俺が長期間借りている宿がある。その部屋まで戻ってきた。
「ここが今日泊まる部屋だ」
「ほほう、人間さんのお部屋ですか。里とは全然違います」
今までと違った雰囲気の廊下を、好奇心のまま見回すエルフの少女・ナタリーの手を引いて中に入る。
木造のベッド一つと、小さなテーブルが一つだけの簡素な一人部屋だ。
どこにでもある普通の構造だが、エルフであるナタリーには十分珍しいようだ。
「狭い部屋で悪いな。他はあいにく埋まっていたんだ」
「いえっ! 屋根のあるところに泊めていただけるだけありがたいです!」
笑うナタリーの言葉に、思わず表情を渋くする。
彼女の言葉の節々から、里から追放された後の悲しい生活が垣間見えてしまう。
「……森では、どんな場所で暮らしていたんだ?」
「木の上の大きな葉っぱの下で、がんばって雨風をしのいでいました」
「そんなんじゃ病気になるだろう」
「でも洞窟みたいな雨宿り出来る場所は、他の魔物さんで埋まっているのですよ。酷い生活でしたが、わたしは意外と大丈夫でした」
エルフなのでと笑いながら言うナタリー。
だが全く笑えない。
いくら森に住む種族でも、そんな壮絶な生活を続けられるのは異常としかいえない。
「人間さんのベッド、使ってみてもいいですか!?」
「あ、ああ……」
引いている俺をよそに、頭の布を外したナタリーが、唯一のベッドを指さした。
頷くと、幼い子供のように全身でダイブする。
「んーっ、あったかいですぅ。こんなものを作る人間さんは凄いです」
足をばたばたさせながら、楽しそうに枕の上で落ち着いて鼻歌を歌った。
確かにこの宿屋のベッドは快適な方だ。
(あそこで放っておいていたら、今頃はどうなっていたんだろうな……)
恐らくゴブリンに連れて行かれて、その後は悲惨な末路を辿ることになる。
……連れてきてよかったな、本当に。
(相部屋になってしまったが、仕方ないな)
男女だということを気にしていたが、その罪悪感も薄れる。本人も気にしている風ではなさそうだしいいか。
それに、人間の街のルールに慣れるまでは、そばにいてもらったほうがいいだろう。
「この部屋の外に出る時は、必ず俺に声をかけてくれ」
「どうしてですか?」
「人間の街にはルールがあるからな。下手に外に出ると、奴隷商人に売り飛ばされて、一生檻の中で過ごすことになるかもしれないから気をつけろよ」
ナタリーは慌てて飛び起きて、ばっと両耳を抑えて隠した。
「そそそ、そんなに危ないところで人間さんは寝るのですか?」
「部屋の中は鍵がかかっているから平気だよ」
「人間さんの街、怖いです……」
「……すまん、脅しすぎた。他に分からないことがあったら聞いてくれ」
ちょっと可哀想だが、まあ実際そのくらい怯えていたほうがいい。
夜中に出歩いて、犯罪に巻き込まれない可能性の方が低いのだから。
怯えるナタリーをよそに、バスケットと鍋を取り出した。
「……さてと。注意はここまでにして、飯にしよう。食えるか?」
「もちろんです。それを待っていました!」
一体不安がっていた様子はどこへいったのか。
飯の話をした途端、無邪気に両手を上げて元気を取り戻した。
俺は帰りの道中で買ってきた食事を広げていく。
ベッドから這い出てきたナタリーも覗き込んで、目を満天の星空のように輝かせた。
「なんですか、この白いスープはっ」
「シチューを買っておいたんだ。これもパンにつけて食うんだぞ」
「エルフの里でも見たことがないです!」
「まあ、そうだろうな。これは家畜の乳を使って作る飯だからな」
ふっくらとしたパンの詰まったバスケット。
鍋の中には、とろとろの肉入りシチューが入っている。
ナタリーの口の端からよだれが垂れており、ひとまずパンを渡した途端にかぶりついた。
「おいしいっ、おいしいですっ」
「携帯食用じゃないからな。こっちのほうが美味いだろう」
丸いパンを頬いっぱいに頬張った。
飲み込んだあとは、表情を幸せそうにとろけさせる。
可愛らしい目元がすっかり緩んで隙だらけだ。
「ふぁぁ……」
「そんなに美味しそうに食べられると、こっちまで腹が減ってくるな」
俺もひとつまみパンを掴む。
皿によそったシチューにつけつつ、口に含んだ。
「そう食べるんですか?」
「こういう風に千切って、つけて食べるんだ。やってみろ」
「はい! 中に入っているのは野菜と、お肉ですね!」
シチューからは湯気が上がっている。
温めてきたので、最高の味わいだ。
ナタリーは新しく掴んだパンにシチューをつけて、大口を開ける。
頬を膨らませたあと、ごくんと飲み込んだ。
「んーっ! 人間さんの作るものはおいしいです!」
「口に合ってよかったよ」
俺は誰かと食事をすることは滅多にない。
だが、いつもよりずっと楽しく感じた。
「誰かと一緒に食べるってのは、いいもんだな」
「こんな美味しいものが毎日食べられるんですから、それは幸せですよう」
今までに感じたことがないような、ふわふわした気持ちで食事ができた。
明日も、今までとは全然違う日常になるんだろう。
ゆったりとバスケットに手を伸ばした。
しかし中身は空だった。
ナタリーが幸せそうにお腹を膨らませて、椅子の背もたれに体重を預けている。
最後の一つを口に運んでしまう。
そして、息をふぅと吐き出した。
「お腹いっぱいで、幸せです」
「あれを全部食べたのか……」
これを見越して、結構多めに買ってきたんだがな……
エルフの胃袋は本当にどうなっているのだろうと、呆れてしまう。
「まあ、いいか。食器を片付けてくるから待っていてくれ」
「お手伝いしましょうか」
「いや大丈夫だ。任せてくれ」
食器を洗うために外に出る。
そして数分後に部屋に戻った。
夜用の服に着替えたナタリーがベッドに横になっていた。
「さあ、寝ましょう!」
ぱんぱんとベッドの淵を叩き、俺を隣に招こうとしていた。
「いや寝ましょうってお前。俺と一緒のベッドで寝る気か?」
「はい。だって、ベッドは一つしかないですよ」
「お前がいいならいいんだが……」
きょとんと首を傾けている。
一番身の危険を感じるべき本人がこれだから、余計に心配になった。
「……さすがに人間をもう少し警戒したほうがいいぞ」
「でも人間さんは、ゴブリンさんみたいにエルフを襲わないですよね?」
「いや襲ってくるやつのほうが多いぞ、多分」
「えっ」
ナタリーの表情が、ピシリと固まった。
確かに今日は何かと疲れ果てたので、ベッドで寝たいという気持ちが強い。
水浴びの件で一線を超えているとはいえ、さすがに常識を教えていかなければならないだろう。
「襲われるということを覚えておけ」
「は、ハラルドさんも、わたしを襲うのですか」
「え。そういうわけじゃないが……」
そう言うと、ナタリーはホッとした。
「なら大丈夫ですよ。エルフ族は親しくなりたい相手と寝食をともにするのです。仲間ならきっと問題ありません」
「俺は床で寝てもいいんだがな……まあ、そこまで言うのなら」
まあ、これくらいならいいか。
要するに、手を出さなければいいのだ。
とりあえずベッドにもぐりこんでみる。
背中に他人の気配を強く感じて、何となく落ち着かなかった。
「ちょっと狭いですが、人がいてくれた方が落ち着きますね」
「そ、そうか。じゃあ……ランプを消すぞ」
反対側を見ると、立っているのとは違う近距離でナタリーと視線が合って動揺する。
俺は逃げるように火を消した。
部屋が暗闇に包まれた。
何も見えなくなったところで、つんつんと背中をつつかれた。
「何だ?」
「今日はありがとうです」
窓の外から差し込んでくる月の光が、綺麗な少女の微笑み顔を照らし出す。
「明日からも、よろしくお願いしますね」
「……ああ」
急に恥ずかしくなった。
視線を離れている窓の方に向けてそらす。
……早く寝てしまおう。
空に浮かぶ月を眺めて、昂った気持ちが落ち着くのを待った。
静かな夜。
自分の呼吸音しか聞こえない。
だがしばらく眠れずにいると、不意に呻くような声が聞こえてきた。
背を向けた少女のほうからだ。
「……?」
首を回して、距離を離して眠っている少女を見る。
蹲るように胸に両手をあてがっている。
つむった目から、涙を流していた。
「っ……ぅ……」
すでに眠りに落ちて、夢を見ているようだった。
「おかあさん……っ」
苦しそうな寝言を聞いた。
俺は黙って反対側に顔を背ける。
この街に来るまでに一体何があったのかは分からない。
だが、彼女を哀れに思った。
(仲間から、捨てられたんだよな)
ギルドなんて組織から見放されただけの俺よりも、ずっと辛かっただろう。
ナタリーのことが、どうしても他人事に思えない。
俺は空虚な気持ちに襲われながらも、かたくなに目を瞑って意識を逸らした。
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