第16話 ハラルドとナタリーは異変の予兆に気付く


 川辺で休憩している間、俺はぼんやりと川の流れを見つめていた。

 その一方でナタリーは水を浴びたおかげで、上機嫌だった。


「久しぶりに安心しながら水浴びができたので、とても気持ちよかったです!」


 ビクッと、俺の背中が震える。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない……」

「人間さんの服は難しいですが、頼らずにちゃんと着られるようになってみせますので安心してください!」

「ああ……そうだな、はぁ」


 ナタリーは、単に手伝わせてしまって申し訳ないと思っている様子だ。

 俺は肩を落として息を吐いた。


(女性の下着なんて初めて見たぞ……)


 十分に恋愛対象になりうる年齢の女性だ。

 そんな相手の着替えを手伝うなんて、どんな経験だと頭を抱えたくなる。


(我慢して見ないように頑張ったのに……)

 

 結局全部脱ぎなおしになって、何もかもをすっかり見てしまったのだ。

 俺はなんてダメなやつなんだ。


「いっそ一緒に楽しんだほうがよかったな……」

「だからそう言ったじゃないですか。一人より、二人のほうが楽しいですよ」


 確かにそうだが、こればかりはそうじゃないと思う。

 エルフ族の教育はどうなっているんだ。


「エルフの里では、男女混じって裸で水を浴びるのが普通なのか?」

「はい。だってそうしないと水浴びに時間がかかりすぎますよ」


 エルフの里が楽園だと確信した。

 竜神の森、奥地の池の中。美男美女が裸で水を浴びている様子が思い浮かぶ。


 俺の知っている常識なんて、世界から見れば屁でもないものなのかもしれない。

 冒険に出たら、こんな風に常識が打ち壊されていくのだろう。


 ……エルフの里、か。


「そういえば」


 話を切り替えるために、隣のナタリーを見ながら、新たな口火を切った。


「聞いたことがなかったが、エルフの里ってどこにあるんだ。何も話を聞いたことがなかったと思ってな」

「そうですねえ。距離でいうと、ここから真っ直ぐに進んでも一ヶ月はかかるのではないでしょうか」

「それは、エルフの移動速度基準で?」

「はい。人間さんならきっと、さらに三倍くらいの時間がかかりそうです」


 頭がくらくらした。

 三ヶ月、凄まじい数字だ。

 森を歩き通しで進まなければ辿り着くことができないなんて相当だ。遠征でも二週間でも長い方だというのに。


「この森がそんなに広いとは思わなかった。そりゃあ誰もエルフ族と出会わないわけだ……」

「掟で里を出てはいけないことになっていますから、それもあると思いますよ」


 確かにそんな場所で生きていれば、常識もかけ離れていくだろう。


「エルフ以外にも、森の奥に住んでいる種族はいるのか?」

「そうですねえ。トレント族の方や、妖怪族の方にはお会いしたことがあります」

「聞いたことがない種族だな」

「森を愛している方ばかりですよ」


 未知の話に、感動で胸が躍った。

 どちらも全く聞いたことがなく、エルフと同じくらい希少な種族に違いない。

 

「この森にも、まだ俺の知らないことがたくさんあるんだな」

「エルフ族でも、森のことで知らないことはいっぱいありますよ」


 感慨深く息をつく俺のそばにナタリーが肩を寄せてくる。

 森の川辺に広がる緑の隙間から、ずっと遠い空の果てを見上げた。


「いつか俺も行ってみたいな」

「森なら、わたしがいればご案内できると思いますよ」


 何となく、ナタリーが浮かない雰囲気になったのを悟った。

 俺が見つめると視線を背けてしまう。


「……今はできれば、しばらくは里から離れたいです」


 言いづらそうに、そう言った。

 それはそうだ。追放されたばかりのナタリーが里に近づきたいと思うはずがない。

 俺は当然、首を横に振った。


「森の奥は死ぬ前に一度いければ十分だ」

「本当ですか?」

「他にも冒険したい場所はいくらでもある。わざわざ仲間が嫌がる場所に行くことはないだろう?」

「……! えへへ。ハラルドさんは、やっぱりいい人間さんです」


 ナタリーは、ふにゃりと柔らかい笑みをこぼして、寄せた肩に体重がかかった。

 信頼されているみたいで、悪い気はしなかった。



 しばらく最高の心地で、川辺で休憩していたが、俺のほうから切り上げた。


「そろそろ移動しよう。まだ金を稼ぐ必要があるからな」

「はいです!」


 ナタリーを連れて、再び移動を始めた。



 探索を再開した俺は、魔力を感じることに集中した。

 ナタリーは長い耳で周囲の気配を探った。

 森は静かだ。

 しばらくは魔物の気配を感じなかった。

 

「ちょっと待ってくれ」


 だが、ふと感じ慣れない魔力を察知して、俺はナタリーを呼び止めた。


「どうしましたか?」

「嫌な魔力を感じるんだ」


 木々の上で屈んだナタリーに報告する。


「まだ離れてるが、これは魔物か」

「魔力ですか。わたしは何も感じませんよ……?」


 目を丸くするナタリー。

 ああ、そういえば説明をしていなかったな。


「これはスキルの恩恵だな」

「んん? 誰かの代わりに魔法を使うスキルですよね」

「色々な人間の魔力をもらうたびに、魔力を感じる感覚が鋭くなったんだよ」

「おお、そうだったんですね」


 長年このスキルと付き合ってきた俺は、人一倍、他者の魔力に敏感だ。


 本来は、触れた相手から魔力を受け取る効果だが、空中に存在する微量な魔力も得ることができる。

 だからいつの間にか、敏感になったのだ。


「人間でも魔物でも、感情が昂ったときには無意識に魔力が溢れるものなんだ」


 この感覚には何度も助けられた。

 魔物の存在を事前に察知したり、仲間のパーティメンバーの機嫌の悪さを察知したり。

 これがなければ、この数年はもっと酷い生活だっただろう。


「今、怒っている魔物さんが近くにいるということですか……?」

「断言はできない。しかし、そうだろう」


 嫌な予感がした。

 今までにも魔力の気配を感じたことはあるが、この規模のものは初めてだ。暴力的で粗雑な雰囲気で、悪い予想が頭をよぎる。


(危険な気配だ。引き返すか……?)


 避けるべきか悩む。

 すると、ナタリーが袖を引いてきた。


「ん?」

「森が危ないのですか?」

「それは分からん。だが、何か異変が起きているのかもしれない」


 そう言うと、ナタリーは少し言い淀んだ。

 しかし、少しためらってから俺に言う。


「もし駄目なら言ってください」

「ん?」

「森の様子が心配なんです。様子だけでも確認したいのですよ」


 申し訳なさそうに言う、ナタリーの申し入れを考える。

 ……そういうことか。

 里から見放されたとはいえ、この土地は彼女にとっての故郷だからな。


(ここはコルマールの街からも近かったな)


 様子を見に行く理由は一応ある。

 場合によっては、街に警告することもできる。

 今なら魔法も使えるのだから、調査に出向くのも悪くはない。

 

「分かった。危なくない程度に様子だけ確認しよう。できるだけ戦闘は避けるぞ」

「ありがとうございます! では、出発しましょう!」


 身軽に木の上に飛び乗ったナタリーは、周囲を見回してから次の枝に飛び移る。

 そのあとを追いかけながら、首を捻った。


(こんな浅い場所に、こんなに強い魔力を感じるほどの魔物が現れることなんて、ありえるか……?)


 こんなにも濃い怒りの魔力を感じたのは、これが初めてだ。

 俺たちは不穏な空気の元に向かった。

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