第15話 ハラルドはナタリーと水浴びを楽しむ



 猪の魔物が、木々から突進してくる。

 土煙をあげて真っ直ぐに向かってくる相手から、ナタリーが涙目で逃げてくる。


「ななな、なんとかしてくださいっ!」

「早くっ、手を!」


 全力を出しているエルフの素早い脚力で、まだ追いつかれていなかった。

 俺は側に来たナタリーの手を握る。


 視線は逸らさずに猪の方を向けている。

 用意しておいた魔法に魔力を注ぎ込み、即座に、水系統の中級魔法を発動させた。


「『ウォーター・キューブ』ッ!」


 伸ばした杖先で、あっという間に巨大な水の立方体が形成された。

 猪は慌てて足を止めようとした。

 だが勢いを殺しきれずに突っ込んでしまう。


『ブモゥッッ!?』


 森に、派手な水音があがった。

 不自然に形成された水に猪の魔物が浮かんだ。赤い瞳と鋭い牙を何度も振り乱してもがいたが、そこからの脱出は不可能だ。


「や、やりましたですっ! 閉じ込めましたよ!」

「いいやもう一度だ!」

「はいっ!」


 ナタリーに手を握られながら、次の中級魔法を発動させる。


「これでトドメだ、『グランド・スピア』ッ!!」


 杖に茶色に変換された魔力の光が輝いた。

 次の瞬間。

 槍のような土塊が迫り上がり、もがいてた猪の体の中心を貫いた。


 口の端から大量の泡を溢した。

 紅色に染まった瞳から光が消える。

 魔法で作り出した水が散って巨体が落ちてきた。

 これで本当に討伐は完了だ。


「す、すごいです。本当に倒せてしまいました……」


 魔物に近づいたナタリーが恐る恐る、指先でぐったり倒れた身体を小突いた。

 ゴブリンに攫われるほど弱い彼女にとって、これは信じがたいことだったようだ。


「これだけ楽に魔物を倒せたのは初めてだ。お前のおかげだよ」

「えへへ。何もしていませんよう」


 ナタリーは照れ照れで、赤く染まった両頬に手をあてがった。可愛らしい。

 しかし冗談ではない。

 俺は本気で感謝しているのだ。


(こんなにスムーズに討伐が進んだことはなかったからな)


 他人の指示でしか魔法が使わせてもらえなかったので、どうしてもうまくいかないことが多かった。

 イメージ通りに動けて、討伐ができた。

 それだけのことで、狩りがこんなに楽になるとは思わなかった。


「じゃあ魔石と牙だけ取るから、手伝ってくれるか」

「ほえ。お肉は食べないんですか?」

「こいつの肉は硬くて臭くて、食えたもんじゃないからな。食うなら他の魔物にしておいたほうがいい」

「勿体ないですね……」

「オークとかなら美味いんだがな」

「い、いえ。オークは勘弁してください」


 ナタリーがあまりに全力で嫌がったので、少し不思議に思った。


(オーク肉は美味いんだが……ああ、そういうことか)


 オークは街でも大人気の食材。

 多くの人間に親しまれる食材だ。

 だがまあ、ゴブリン族に拐われかけたナタリーだ。苦手になるというのは分かる。


(オークを見つけても食べられないなんて、難儀だな……)


 そんなことを考えながら、解体と土葬を済ませ、汗をぬぐって息をつく。


「次の場所に行く前に少し休憩しよう」


 しかしナタリーは座らない。

 耳をピクピク動かしながら、森の別な方向を見つめていた。


「どうかしたのか?」

「あの、少しだけここから離れていてもいいでしょうか」

「ん? 構わないが……」


 俺が言い切る前にナタリーは立ち上がって、木に飛び移った。


「えっ。おい! どこに行くんだ……!?」

「すぐに戻ってきますので、一走り行ってきますね!」


 慌てて呼び止めたが、ひょいひょいと木々を飛び越えて行ってしまう。


 行くって、どこに行ったんだ……?

 あっという間に見えなくなってしまったエルフに伸ばしていた手をおろす。

 ……まあすぐに戻ると言っていたし、待っておこうか。



「……戻ってこないな」


 しばらく待っていたが、戻ってくる気配はなかった。

 こういう時は、正確に戻ってくる時間と目的地くらい告げていくものなんだが……

 いまさら後悔しても遅い。


 俺は、ちらりと猪を埋めた穴と見た。


「血の匂いに引かれた魔物が来るかもしれない……仕方ない、追いかけるとするか」


 そう遠くには行っていないはずだ。

 俺は重い鞄を背負って、ナタリーの跳んで行った方向に歩き出した。

 




 数分も歩けば、木々の合間から小川が見えてきた。

 そこにナタリーはいた。

 最初は背を向けるように立っていた彼女だったが、俺が来たことに気づくと大きく手を振ってアピールしてきた。


「お待たせしてしまいましたか! ハラルドさん、すみません!」


 俺はその声を耳だけで聞いていた。

 川辺に座り込んだまま、目を瞑って反対方向に顔を背けている。

 決して、声の方に目を向けない。


「すまん、本当に悪かった……」


 ナタリーに聞こえるように謝罪した。


「何を謝っているのですか? 別に、悪いことはしていないと思いますが」


 なぜ謝られているのか。

 本当に理解できないという風な声色だ。

 ナタリーが足を動かして近づくたびに、チャプチャプと水音が鳴る。


 だから俺が、魂から叫ばなければならなくなった。


「なんで水浴び見られて、そんなに平然としてるんだよっ!?」


 森の中から出た俺は見た。

 緩やかに流れる川に立った細い肢体。

 身を清めている最中の、美しいエルフの少女の裸だった。


「別に見られて減るものでもないですよ?」


 少女の禁断の聖域を目にしてしまった俺の反応に、恥ずべき当人のナタリーは首を傾げるばかりだ。

 何一つとして、彼女は気にしていない。


「それでいいのかエルフ……!」


 声を荒げて、頭を掻きむしる。

 ナタリーは最高に可愛くて美しい。

 それなのに羞恥心がないなんて。

 おかしい。


「人間さんは気にするのですか?」

「当たり前だろう!」


 エルフ族の教育は一体どうなっているんだ。


「ふむむ……ハラルドさんは一緒に入るのが嫌なのですね。常識は難しいです」

「え。いや、そういうわけじゃないが……」


 嫌なわけじゃないんだ。

 隠すべき本心が僅かに出てしまうと、ナタリーはほほえんだ。


「わたしは全然気にしないのですよ。一緒に身を清めましょう、冷たくて気持ちいいですよ!」

「え、いいのか一緒に入っても」

「どうぞ!」


 釣られて振り返りかける。

 視界の隅に肌色が見えて、すんでのところで理性が戻ってきて顔を背ける。


「一緒に入るわけないだろう!」

「どういうことですか!?」


 正気にかえった俺はまた叫んだ。

 全裸のナタリーは混乱の声をあげた。

 俺は罪悪感で頭を抱える。


 どういうことだはこっちのセリフだよ……

 森の亜人族でも、裸を晒して平気なやつなんていないというのに。


(森の奥地で他の亜人族と交流がないとはいえ、こうも世間知らずになるのか)


 悲惨すぎるほどの羞恥心のなさを嘆いた。

 エルフ族は伝説の種族だ。

 全く違う常識で生きているのだ。

 だが、こうまでかけ離れるものか。



 このまま全てをかなぐり捨てて、一緒に水浴びに興じてやろうか。

 叱ってくるやつなんて誰もいないんだし。


(駄目だ!)


 そんなのは許せない!

 無知につけこんで騙すのも同然だ。

 ナタリーは大切な仲間だぞ。

 俺を信じてくれているんだ。裏切れない。

 でも、一緒に水浴びはしてみたい……


「入らないんですか?」


 川から出て、俺のいる川辺まで寄ってきたナタリーの気配を感じて背筋を震わせた。


「これからは、人前で裸にならないでくれ」


 絞り出すように言った。

 かろうじて、甘い誘惑から耐えたのだ。


「わかりました。ですが、わたしは気にしませんから一緒でもいいですよ?」

「頼むから誘わないでくれ!」


 無知なエルフの少女は首を傾げて、水浴びに戻った。

 気配が離れていく。

 安心するのと、残念な気持ちが入り混じって複雑だった。


 だがこれでいい。

 ナタリーは初めて出会った冒険者仲間だ。

 不埒なことなんて、しちゃいけないんだ。


「空は青いな……」


 俺は背を向けたまま、ぼんやりとナタリーが水浴びを終えるのを待った。


「すみません、ハラルドさん……」


 やがて、再び背中の方まで近づいてきたナタリー。

 振り返らずにどうしたのかと尋ねてみると、衝撃の答えがかえってくる。


「人間さんの服の着直し方が分からなくなってしまいまして、見てもらえませんか」


 思わず振り返る。

 太陽の下でほぼ涙目になっている半裸のエルフの少女がいた。


 我慢は無駄だった。

 全部見えた。

 控えめな胸に張りのある肌。

 少女らしい細さと、大人に近づいている膨らみを備えた、しっかりと白く透き通る裸を脳に焼き付けてしまう。


「……ハラルドさん。これ着せてください」


 欲望に負けた俺が全部着せた。

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