第13話 酔生夢死的メンヘラリズム

 目が覚めたの時には既にまごうことなき夜であった。

 ミニマリストはホテルのような内装を理想とするが、病室を理想とする派閥はいっこうに現れない。それは彼らが求めるのは無機質であって、決して無菌室ではないからである。彼らは秩序を欲しつつも、制限を望みはしない。

 したがって、ミニマリストだろうがマキシマリストだろうが、病室という生命維持の為に精神性を排するという二律背反的空間にはなるたけ居たくないという共通項が認められる。

 自由を知るには不自由を知らねばならないように、ミニマリスト病気説を打破することができる論者は入院患者だけなのである。


 どうして僕は自宅のベッドではなく、ましてや先輩と焼肉の香りをまとって訪れたラブホテルでもなく、こうしていっさいがっさい消毒され、外界と断絶した空間で蛍光灯を眺めているのか。

 その答えは医者とて分かるはずもなく、理化学や医学の権威であっても最終的には運命を持ち出さずにはいられない。

 だがしかし僕は運命に唾を吐きかける者なれば、消灯などという些末なしきたりに屈することなく、妄想という特権であると同時にもはや原罪の領域でもある手段によって、完璧な焼肉デートを遂行しなくてはならない。

 三次元でも二次元でもない、完全完璧な本質世界を漂うのだ。仮に現実に帰ってこれなくとも、ここなら医療ミスとして賠償責任を問う事も不可能ではないはずだ。


「そうして彼の旅は今始まるのである」

 ナレーションの声は多くの場合、聞き覚えがあるが大抵、その人の名は知らない。

 だが、顔と声が一致すれば、へこへこと媚びへつらうのを職務とする冴えない中年であっても、親しさを含んだコミュニケーションをすることはできる。

 そこに居たのは、先輩でも、かのでもなく、いつぞやのキザなタバコ男だった。

「偶然だな」

「果たしてそうかな」

「僕は運命を信じない」

「それもまた一興だね」

 やはりこの男の一言一句は軽薄だ。たとえ僕が吃音きつおんであっても、彼を羨ましく思う事はないだろう。沈黙は金、雄弁は銀という言葉が今ようやく身に染みた気がした。

「タバコで肺でもやられた?」

「まさか、かつての文化人はタバコをインスピレーションの源としたことを君も知らぬ訳ではないだろう」

 どうやら彼は過去の文化サロンには精通していても、昨今の健康科学にはめっぽう疎いらしい。その論理に従えば、彼は酒か麻薬でろくでなしの権化となってみせるだろう。


「あの女性ひとなら、退屈そうにしていたから代わりに僕と寿司を食べに行った。だから君は安心して眠るといい」

 そりゃ安心だ。お礼に水でもかけてやろうかと思ったら、彼はシワ一つ無い真っ白なシャツのボタンを外し、ゆっくりと、病室でストリップのように怪しげな微笑みを見せながら、細見の真っ白な素肌をちらつかせてきた。


「君は今日、初めて、求めずして他人から救済がもたらされる」

 なるほど、僕は既に死んでいるという可能性に目を向けていなかった。やはり神は偉大なお方だよ。

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