第10話 謎によって舗装された一本道

 正直、ストーカーじみた言動を露呈するこのメンヘラコスプレ女子と一刻も早く別れたかったが、それゆえに軽率な行動で最悪の展開を迎えてはならないのだと警戒した。

 手がかじかむのをさすって誤魔化すが、内心は一向に温かくならず、“病は気から”検証実験と言わんばかりに、頭が痛くなってくる。


「同じ大学なんですか?」

 今はアルバイトもしていないのだから、こうも親密にされるとすれば選択肢はこれくらいだ。考えたくないケースとしては100パーセント彼女の妄想で、偶然にも彼女の目に留まったが故に運命という名の天災が起きている場合。

 もしそうなら、僕は無力にも為す術はなく、悲運を嘆きながら再び届けられる原稿用紙に目を通す日々が待っているという事なのだ。

「これまでの事に意味なんて無かったんだよ。だから、初めましてって事にしてもいい?」

 僕にとっては紛れもなく初めましてなのだが、話の展開としてはこれが妥協点だろう。全く記憶にない昔話をするのは親戚のおじさんおばさんくらいで十分なものだ。


「改めまして、ボクはかの」

 リアルでボクっ娘なんて存在するのかという感慨よりも、さっきと何ら情報に変わりがない事に引っかかってしまう。封筒の件といい、もしかすると案外、彼女の言う通り、本当は身近な人間なのかもしれない。

「僕は秋君です」

 情報リテラシー・情報モラルが何よりもマナーとして求められる昨今において、相手が嫌に奥手な場合、こちらとしても彼女の知っている範囲のみで会話をするのが賢い選択なのだ。嫌味ではないが、少しだけ含みのある自己紹介をしたにもかかわらず、彼女の方はものともせず、ニコニコとこちらを見つめ、ようやく国交が回復したかのようなムードを醸し出す。


「とりあえず、もうこれからはポストに入れたりしないでもらえるかな?」

「…………」

 困った時はだんまり。この親密さが詐欺的な技術であることに早くも気づいた僕は、彼女の言質が取れないものは何一つとして信用、誤解してはならないと悟った。

 指先で青髪を数秒弄び、ようやく発したのは「病みそう」の一言。

 この言葉ほど、現代において同時刻に何万の人間が声にする負の感情はそう多くない。

 ネットではあくびのようにそこかしこに飛び交い、もはや心療内科の権威であろうが生徒に人気な保健室の先生だろうが、かつてのような文字通りの危険信号としては捉えない。

 だがしかし、たとえメンヘラのイメージ画像のような女性であっても、初対面の相手に面と向かって言えるかと問われれば、また話は別でありうんぬんかんぬん。


「もし書けて、他に見せる人がいないなら………まあ、持ってきてもいいよ」

 売れ行きが良くないのに業界風を吹かせる雑誌編集者のような口ぶりだと我ながら嫌気がさしたが、彼女はコロッと表情を変えて、それでいて恥ずかしそうにぴったりとくっ付いてきた。

「やっぱり私には秋君だけ…………」

 嬉しそうな横顔は、僕が瞬きをしている間に、憂いを帯びた年頃の女性の顔に変わっていた。

 端の方が焦げた原稿用紙を抱いた姿とその表情によって、彼女の周りにはシングルマザーのような孤独さが漂っていた。

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