第一話08 言訳紡ぎ <久槻月深 編>

▼雨文


「ぴちゃ、ぴちゃん」


コンクリートに映る二つの影。


一つは雨女。

一つは――――。


見上げてみると、そこには見ず知らずの人間が立っていた。

その人間はこっちに歩み寄せてくる。

蹴られると思い、反射的に両手で顔を覆った。

けれど何もしてこない。

転がっていた石ころが跳ねただけだった。

ふと指の間から眼を覗かせる。


「GnIoGuOyErAeReHw,Ro, EeSuOyOdTaHw?」


いきなり意味不明な言葉が聞こえた。

その人間は速度を落として停止した石ころを眼にも入れず、ただ鏡に映る群集を眺めている。

その発言は何を意味しているのか分からない。

訳の解らない事を二三言ふたことみこと発した後、一つ理解出来る納得がいく言葉を口にした。


「ぽつ、ぽつ、ぽつり」


――――――――――――――――――

▼カラオケ 店内


キツちゃんの両親が出て行って、一息ついた後、あの人が口を開いた。


「けっこう過ぎたな」


「はい?」


「だから、と言っているんだ」


時計を見る。

いや、見なくとも部屋の明るさで判る。

いつの間にか朝になっていた。

どうやら昨日の嵐は去っていったようだ。


「まだ判らないようだから教えてやるけど延長料金掛かるぞ」


僕は慌てて時間帯が書かれている紙をみた。

『17:00~28:00』と表記されている。

改めて時計を見れば、それはそれで足りない程に時が経過していた。

延長料は……。

壁に料金表と一緒にデカデカと張り出されていた。

30分で500円。

オールナイトは、表記通り3000円。

計算しなくても分かる。

とても財布に入っている金額で払える額じゃない。

ここの店員はなんで電話とか掛けてくれないんだ。

どれだけ放任主義なんだ。

あの人に対して申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「えっとですね…。すみません。払ってもらえますか。後で分割で返しますから」


「それならポテチ激うすシソ味。何袋分だろうなー」


しまった。

それもあった。

確か一袋700円ぐらいだったか。

胃がキリキリと痛む。

キツちゃんに蹴られた所為だと思いたい。


「ちなみに利子付きだから」


こうなったら情けないけどキツちゃんに頼むしか……。

見てみるとあの時の体勢から身動き一つしていないように見える。

もしかして寝てる…?

肩に手を置いてみると僅かに上下に揺れている。

いつから寝ていた。

僕が背中を見せてくれと言った後なのか。

両親が出て行った後からなのか。

あの人は、キツちゃんの眠っている姿を見て、「私も眠くなってきたな」なんて欠伸あくびをした。

こんな状況下で欠伸が出来る貴女が羨ましい。

『溜息殺し』より『欠伸殺し』が欲しいくらいだ。


「ど、どうするんですか!こうしてる間にも値上がっているんですよ!」


「いちいちうるさいやつだな。だったらこれで何とかしろ」


差し出されたのは一般的な茶封筒。

郵便番号欄に仕事料と見覚えのある字体で書かれている。


「報酬、というやつですか」


「まぁそんなところだ」


「中、見ていいですか?」


「見ないと払えないだろうが」


素直に開けてみる。

中には万札が2枚と千円札が数枚。

まぁ、これだけあれば足りるか。


「団体交渉権など認めんぞ」


「僕には仲間なんていませんよ。とりあえず払ってきますんで」


ドアを開け抜きざまに、あの人が溜息を吐いたとこは見逃すことにした。

カウンターで支払いを済ませて近くにあるソファーに座る。

あの人が来るのを待っていた。

何か忘れてるような…。

何を…。

あっ、キツちゃんを置いてきてしまった。

慌てて戻ろうとするとキツちゃんをおんぶしたあの人が姿を現した。


「まったくお前というやつは」


「あ、僕が持ちますんで」


「別にいい。どうやらこの子、私の背中が気に入ったみたいだ」


キツちゃんはあんな背中であんな惨事さんじが嘘であったかようにすやすやと気持ちよく寝息を立てていた。

もう、あんな事を受ける必要はない。

もう、あんな被害を被ることはない。

もう、あんな痛みを我慢しなくていい。


これからは楽しい。

そう、楽しい日常を歩んでいけばいい。

そう、これからは。

この子には僕のような反面教師が必要だろうから。

『溜息殺し』に背負われている背中を見てそう思った。

言訳だけど。


「どこ行きましょうか」


「お前の家」


「せめて理由を」


「一人で占領するには広すぎるだろ」


「はぁぁぁ……」


――――――――――――――――――

▼雨文


「ぽつ、ぽつ、ぽつり」


それだけ云って人間は来た道を戻ろうとした。


「ぽつり、ぽと、ぽとぽと」


すかさず私は、人間との共鳴を目論んだ。

だが返ってきた言葉は相変わらず理解不能。


「sEe,TahT」


人間は意味不明な言葉を紡いで鏡に映る群集を指差した。

指の先を見てみると。

そこには赤色が『わたし』を背負っていた。

『わたしは』気持ち良さそうに眠っている。

まるで嫌なことから逃れたいと願った哀れな姿に見えた。

そこには『わたし』を背負っている赤色以外にも黒色が居た。

なんだかその人は自分の知っている誰かに似ていると思った。

その瞬間、左眼から、ぽつりと一粒のそれが流れ堕ちた。


雨女は、出そうになった溜息を殺して代わりに言葉を吐く。


「ぽ、ぽ。すぅー。ぽとんっ」

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