第二話02 空耳流し  <言槻千咲 編>

昼食はカップラーメンを食べるつもりだった。

お湯を入れる前に階段から寝惚けた声が聞こえた。


「おなすきましたー」


さっきまでの不機嫌さを全く感じさせない軽い感じでキツちゃんが降りてきた。

お湯を入れようとする僕を見るなり眉を細める。


「それではイッピーになってしまいます。ここは外食にすべきです」


なんて提案してきたのでカップラーメンにお湯を入れるのは止めた。

外食といっても色々あるわけでどこに行くのか考えながら身支度をする。


「あっ、そうだ!お姉様も呼びましょう。食事は人数が多い方が楽しいです」


たぶん、あの人はもうキツちゃんとは関わらないと思っているだろうし、僕としてもあまりキツちゃんとあの人を接触させたくない。

あまり『変人』への世界を見せたくはない。

この子はこの子の『普通』の世界で生きていくべきだ。


「あの人は結構暇そうに見えるけど実はかなりのビジネスマンなんだ」


「それをいうならキャリアウーマンです。で暇、なんですよね?」


「いやーかなり忙しいと思うよ。あの人結構デリケートな部分があるから仕事中に口出しは禁物なんだよ」


「そうは見えなかったですけどね」


「それに不審者が居るってことはあまり出歩かない方がいいってことじゃないか。だからいっぱい宿題を出されたんじゃないの?」


「だからこそ行くんですよ」


「ん?どういうこと?」


「不審者さんは夜に行動すると思います。ですから昼は何もしてこないということ。だからお昼は外食なのです」


ふふふんっとドヤ顔をするキツちゃん。

そうだとしたら学校の教師は何故、昼前に授業を打ち切ったんだろう。

そんなこと野暮は言わない。

理由なんて後付けでどうにでもなる。

言訳で。


「何処か当てはあるの?」


「できれば近いところが良いですね。ミッケさんが免許を持っていれば別ですけど」


生憎あいにく持ってないんだ。僕ってそんなに見つけにくいかな」


「それか私がバイクの免許でも取っていれば二人乗りで行けるんですけどね」


「そもそも君は高校生だし乗れるっていっても原付だから二人乗りは厳しいと思うよ」


「あれ?そうなんですか?私はてっきりバイクの免許を取ったら車の免許も一緒に取れるって思ってました。じゃあ私が取れるのはまだまだってことですか」

「そうなるね。準備はできたけど、どこ行くの?どこにも行かないならこれにお湯を注ぐことになるけど」


「それだけは絶対にダメです。栄養が偏ります」


「それくらいが僕にはちょうど良いんだって」


「あんな毒素だらけの食べ物よく口にできますね。ヴェノムさん」


「あんなに舌は長くないよ!」


『普通』の会話を演じる。

こういうのが幸せの連続なんだろうか。

じゃあ次に待ってるのは不幸に決まっている。


「ささ、そんなこと言ってるヒマがあるならさっさと行きますよ」


この前着ていたロングパーカーを羽織る。

小走りで玄関まで行ってしまった。

僕はカップ麺を悲惨なテーブルの上に投げ捨てた。

――――――――――――――――――

▼雨文


「ぴちょ、ぴちっ、びたっ」


左腕から零れたそれはさっき触れたものとは違っていた。

色が付いていた。


赤い。


そして段々と藍に近づいていく。

なんだろうこれは。

それは何度か体験したはずなのに一度も体験したことがない様な感覚。


デジャヴ?

いや、違う。

それは初めてなのに何度か体験しているようなこと。

ではなんだろう。

不思議な感触が身体中をほとばしる。

それを質問しようと人間の姿を捜したがいつの間にか消えていた。

影の無い場所へと移ったのだろう。


視線を戻すと一つの紙飛行機が落ちていた。

拾い上げる。

折り目にそって丁寧に折られていた。

そのまま世界に飛ばしてもよかった。

試しに折り目を元に戻すと何も記されてはいなかった。

左腕から伝って折り紙に色が移る。


白から赤へ。

無色から有色へ。


それが愉快に想えた。

まるで信教しようとしたものが狂気だったかのように。

まるで理想としようとしていたものが惨たらしい現実となったように。

残酷を求めていたはずなのにつかの間の楽園になったようでれたそれを固くなった唇で雨女は一舐めした。


「ぺろ、ぺろり、ぺちょり」


――――――――――――――――――

▼街道


「ふぅー。お腹いっぱいになりました」


「おかげで僕の財布はからになったけどね」


「細かいことは気にしない方がいいですよー」


「はぁ………」


『溜息殺し』の十八番。

キツちゃんまで影響を与えてどうするんだ。

知らず知らずの間にかなり広がりそう。

その決め台詞。

特にキツちゃんのクラスメイトとかに。

この子は僕の隣を歩きながら溜息を指摘する。


「溜息吐くと幸せが逃げますよー。まるで何か大切なものが今にも誰かに奪われそうな顔ですね」


「もうとっくに奪われたけどね」


そんな暗澹あんたんな気分になった経緯いきさつは、ぶらぶらの街を探索していたら

素通りしようとしていた店にいきなり小走りで入って行った。

後はお決まりで客もそんなに並んでいないのに勝手に名簿に名前を書き込んで、勝手に店員に付いて行って、勝手に注文して。


「別に勝手じゃないですよ。ここで良いですか?って訊きましたけど」


「まさかキツちゃんも読心術がっ!?」


「てへぺろ!使ってみました!と言えば満足してくれます?ヤンキーさん」


可愛らしく舌を出していつもの軽口に戻った。

ヤンキーね。

すると4人ほどの群棲ぐんせいが楽しそうに僕らの横を通り過ぎて行った。

その中で一人だけ俯いている。

あれは………。

あの子は、今朝、レポートを出しに行った時にカツアゲに逢っていた被害者。

よくよく見ると他3人も見覚えがある。

加害者のあいつらだ。

その中の1人が奪った財布を手に持っている。

後ろをびくびくと着いていく被害者の子。

あの哀愁を帯びる背中を見ると隣に居る子の背中が想起されてしまう。

「あのー」


おっと危ない。

キツちゃんが声を掛けてくれなければずっとそこに佇んでいた。

道のド真ん中で立ち止まってるのはよくない。

顔を前に出してきて訊ねてくる。

セミロングの髪が揺れた。


「あの人達とお知り合いですか?」


「いや、違うよ。何か楽しそうだなって思ってさ」


「そう、ですか…」


歩みを進もうとすると今度はキツちゃんが歩みを止めた。

後ろを振り返ると泣きそうな顔だった。


「どうしたの?」


「私と一緒に居るのは楽しくないですか」


あう…。

マズいな、これは。

今、この子はこういうことに敏感になってる。

なんとか言訳を紡がないと。


「全然そんなことないって。だったらキツちゃんは僕と一緒に居ると楽しくない?」


「7割3分6りんで楽しいです」


思わず前倒まえのめる。

そんな返答を寄越すとは思わなかったのでということは2割6分4厘はそうでもないって訳だ。

全部で10割だとするならばの話だけど。

完璧な人間など居ない。

そう、こんなの些細なことだ。

言訳に過ぎない。


「とりあえずここに居てもなんだから。家に帰ろう?ね?」


それから終始、無言だったが僕が歩くとついてきてはくれた。

やっぱり年頃の女の子を預かるというのは荷が重すぎたのか。

たしかに僕はキツちゃんの親としては年齢的にも経験的にも浅い訳だし。

そうは言ってもいずれ僕もそういう立場に立つだろうし。

いや、あまり先々の事ばかり考えるのはよそう。


『単に先の事を考えるのは生きる希望にはなるが詰めすぎればそれは絶望となってしまう』


『溜息殺し』ならそう言い換えるだろうと思った。

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