第一話06 言訳紡ぎ <久槻月深 編>

▼カラオケ 店内


人前では熟睡できない体質の所為か、カフェインを摂取した所為なのか、半眠することしかできなかった。

その間、キツちゃんは唄っていたのかもしれない。

けれど今は夢の中で唄っているのだろう。

時計を見ると、まだ少しも経っていない。

二度寝する気はさらさら無いのでもう一度、コーヒーを買いに行った。

周りが暗い所為か自販機の光が妙に目立っていた。

果たして今日、何本目だろうか。

なんて考えながらプルトップに手を掛ける。


部屋に戻ると、ソファに腕を枕にして横向きで眠っていた。

この寝顔は可愛らしい。

よく考えなくても素性も知れない男の前で眠っているんだよな。

『信用されている』と思って良いのかな。

頬を触りたくなる。

上の階からは下手なロック調の歌が聞こえる。

それと外の騒音が何重にも重なって陰鬱な気分になる。

あの電話の後、この子は何を話していただろう。

今から電話するのも良いけど世間の常識として避けた方が良い。

そもそも、あの人に常識が通るのかは分からない。


どうしようかと考えているとテーブルの上にあるスマホが振動した。

メールらしく例のごとく『溜息殺し』からだった。

あの人は予知能力でも持ってるんだろうか。

あまりにも察しが良すぎる。


『暇だからそっち行く』


そんな短文が記されていた。

正直いうとあの人に 『暇』と呼べる時間区域があるとは今初めて実感した。

あの人は時間を時間として考えないタイプなので朝も昼も夜もなく、ただ今の気分でやることをこなしているだけ。

溜息を吐いてる人が居たら時間関係なく殺すくらいのスタンス。

そんなあの人が『暇』なんて言葉を使ってくるとは 。

まぁ僕に逢いたいだけなんだろう。

家族でもないのに。


『細かい事を気にするぐらいなら、まず前にある壁を殴ってからにしろ』


まぁあの人ならこう言うだろう。

僕も少なからずあの人に影響を受けちゃってる訳か。

人は人に影響を与えん。

よく言ったものだ、昔の人は。

上の階からの騒音が止んだ。


そうなると自然と外の喧噪が蘇る。

でも音量は変わらなかった。

むしろ大きくなった気もする。

五月蠅いうるさいくらいに。

なんの気無しに窓を開ける。

いきなり『ゴォオォー』という爆音。

部屋の中に矢か槍か何かが降ってきた。

降ってきた?

もう少し眼を凝らして見ると雨と風が楽しくダンスをおどっていた。

すぐさま締める。

雨か。

いや、雨というより嵐って感じだ。


「んにゃ......」


キツちゃんの身体がうねりと傾き、ドサッ!と擬音を付けてソファーから落ちた。

身体がうつ伏せになる。

どれだけ寝相が悪いんだ、この子は。

部屋にあった簡易ベッドで寝れてるのか心配になってきた。

その衝撃で少しTシャツの中が見えた。


今なら確認出来るんじゃ…。

落ちても器用に腕を枕にしながら床に突っ伏しているので持ち上げる訳にはいかず隣にあるテーブルを少しずらす。

両手の人差し指と親指でTシャツの裾をゆっくりと上げる。

ウエストベルトが腰辺りにあったため見えるのは僅かな部分だけだ。

こんなに躊躇うものなのか。

頭の後ろでは天使と悪魔が口論している。


天使はこう言う。

『なに変な気分に浸ってるんだ!』

悪魔はこう答える。

『少しぐらい見たって良いだろ。彼女だってそれに及ぶ言動をしていたんだ』

それぞれの誘惑と抑制。


「おいおい。細かい事気にしている暇があったら目の前にある壁を殴ってからにしろよ」


「うわぁぁ!」


突然の来訪者の声。

衝撃のあまり彼女にもたれ掛かってしまった。

倒れた拍子に唇を重ねることがなかっただけでも良かった。


「それでいいんだよ、それでこその私の『弟子』だ」


「痛っててて…ん?うぎゃぁぁぁー!えいっ!」


バシッ。

ドカッ。

バコッ。

様々な効果音が何度かして視界が反転して痛みと同時に戻る。

キツちゃんを見るとファイティングポーズ。

『溜息殺し』は腹を押える僕と戦闘態勢のキツちゃんを見比べて笑った。


「ふふっ残念でしたね。ギリギリで私の勝ちです」


「うっ!…いてて」


「お二人とも仲の宜しいことで」


「「貴女だけには」」


「言われたくないですね」


「言われたくありません!」


ハモった。

最後は『溜息遣い』の十八番で締められた。

細かいことは気にするな。

お決まり台詞。


「大丈夫ですか?ジャッキーさん」


「あんなに身体能力があれば受け身でもできたよ、う、いてて…」


蹴られた場所は運が悪く腰のべルト付近だった。

さすっていたらどうにか痛みは少し弱まる。

この子は、この人が来るのを分かった上で蹴ったんじゃないだろうな。

あの人を睨み付けると戦闘態勢を解いたキツちゃんへ視線を移した。

軽口を開く。


「まぁ、その辺はキツがイタイのイタイ飛んでけーってしたら治るだろ」


「やってやれないことはないですけど本人がたぶん嫌がりますよ。なにぶんこんな人ですし」


「キツちゃん?子供が大人を子供扱いすると後で嫌な目に逢うよ」


「ペインさんは、ちゃんと意味が通る日本語を喋ってください」


あの人も、キツちゃんも誰も味方にはなってくれなかった。

どうせこの腹の痛みも誰も分かっちゃくれない。


「はぁ…もういいですよ」


「何がだ?」


「色々です」


「ニャッキさん。しっかりしてください」


「あんなイモムシだったらキャベツ食べる事だけ考えていればいいから逆に羨ましくなってきたよ」


「まぁ細かい事は気にするな。では、久々に私も唄おうかね」


「でしたら、私もご一緒に。お姉様」


『溜息殺し』をお姉様というキツちゃん。

いつからこの2人は意気投合したんだろう。

せめて一時の気の迷いでありたいと願う。

溜息が出そうな気分に浸る。

また二人にわらわれそうなのでその溜息は殺した。

キツちゃんが自分の世界に入ったときあの人が話しかけてきた。

演歌を熱唱しているキツちゃんを見る。


「元気な子だろ」


なんで僕にわざわざ捜させたんだろう。

同性が苦手な割には、かなり意気投合していたみたいだけど。

昔を思い出せばそういう人だった。

[第零話 溜息殺し <霧霜霖・霧霜雫 編> 参照]


「あの、何故この子を捜しに?」


試しに訊いてみる。

あの人は演歌なのに踊っているキツちゃんに笑顔で返した。

哀れみと羨望の眼差しで眺める。

紅い服と同じような真っ赤なグロスが塗られた唇が開く。

それは思ってもみない単語だった。


「虐待児なんだ」


虐待児。

最近よく聞くドメスティックバイオレンスというやつか。

家族のことを訊いたときあの子はどうでもよさそうな言い方をしていた。

両親を『あの方達』なんて呼ぶくらいだ。

触れられたくなかったから敢えてそういうフリをしていたのかもしれない。


「苦痛に耐えられなくなったところで私のところに連絡が来たというわけだ」


「この子はどこで貴女のことを?」


「さぁーな、風の噂じゃないのか」


この人の噂なんて『』が無い限り、聞かないはず。

今回はその『よっぽどのこと』が起きた、ということ。


虐待、か…。

改めて踊る女子高生を見る。

ダサいTシャツが揺れている。

あの奥にあるんだろうかその疵痕きずあとが。


「さいですか。同性嫌悪って割にはかなり仲良く見えましたが」


「人は人と接する時、自分が相手に良く思われたいという想いから無意識に『人格』を変えていくもんだ。それがたとえ、良くない方向でもな」


「それでこの子は…?」


「ああ、虐待児というのは単に気に入らないっていうのもあるが逆に過保護という理由もある。この子の場合、親がその過保護というわけだ」


過保護。

それは僕にとっては羨ましいけれど実際体験してみたら辛いものだろう。

隣の花は赤いという。

家に帰るとそういう扱いをされるから帰りたくないのか。

だからオールナイトがどうとか言いだしたのかもしれない。


「おそらく、この子のスマホには数十件の着信履歴があるだろう。そのうち親はGPSで居場所ここを捜し当てる」


そりゃあこんな時間帯まで何の連絡もせずに家に帰らなければ過保護でなくても心配する。

今だって帰らせてあげたい気分なのに。


「それってヤバくないですか?親御さんが来たら僕たち犯罪者扱いですよ」


にやぁっと笑う。

なんでこの状況で笑う余裕があるんだ、この人には。

マイペース過ぎる。

『溜息殺し』は僕以上にマイペース。

ひとつ勉強になった。


「そこでだ。親が来る前に作戦を立てようかと」


「今から、ですか…」


「といっても私には考えがあるんだがな」


僕を見つめるその朱い眼。

きらきら星は描かれていないが不安しか感じない。

さっきのおまじないの方がまだ信じられる。

どんどんと不安と恐怖と緊張が押し迫ってくる。


「眼が物凄く怖いのですがその考えとは…」


「私がトイレに行っている間にお前が親を説得する」


やっぱり。

概ね予想は付いていた。

動揺を隠しつつ無駄な抵抗を試みる。


「僕より貴女の方が良いかと」


「ふん、立場が偉くなったもんだな。いつも壁にぶち当たったら人に頼むのか」


細かい事を気にするなら目の前の壁を殴ってからにしろ。

そんな言訳にも満たない為域ためいきになぜか納得してしまった。

そうでなければ事が進まないような気がして。


「はぁ…わかりましたよ」


「今度、私の前で溜息を吐くと殺してやるからな」


そう何度目かの脅しをされてさっさと出て行ってしまった。

なんて人遣いが荒い人なんだ。

壁から逃げてるのは貴女の方では?

なんて抵抗も思いついたがそれは僕の方にも当てはまる。

『お互い様』ということだ。

どうしたものかと考えてると部屋の扉がもの凄い音を立て開いた。

計りきったように2人の大人が入ってくる。


「大丈夫っ!?何をされたの!?」


怒声を張り上げているのは見た目、40代ぐらいのおばさんだった。

この人がキツちゃんの母親なんだろう。


「さっさと帰るぞ」


冷静に言ったのは黒縁眼鏡を掛けたこれまた40代ぐらいのおじさんだった。

じゃあ、こっちが父親か。

当の本人は、マイクを左手に驚きを隠せず眼と口が開きっぱなしの状態。

2人を唖然とした感じで見ていた。

踊っていたからか動いていた腰が中途半端な位置で止まっている。

まるで録画した音楽番組を一時停止したような画。

その体勢に笑いたいが笑えない。

このままだと手が滑ってマイクを足に落としてしまいそうなのでテーブルに戻した。

リモコンを操作して演歌を停止させる。


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