第一話05 言訳紡ぎ <久槻月深 編>

▼カラオケ 店内


静かすぎる。

カラオケボックスにこれほどの静けさは似つかわない。

終了時刻までまだ5時間以上もある。


「はぁー…」


そりゃあ溜息も出る。

喫茶店から出た僕らはキツちゃんの思惑通りカラオケに行き、オールナイトを選んでしまった。

店員も適当だったせいか、彼女が未成年に見られなかった。

それからはもう修学旅行の夜よろしくハイテンションになり、そして冷めるのも早かった。

こんな展開になるなんて想像も出来なかった妄想ですらも。

空想だったらできたのかもしれない。


「ふぅー……」


また溜息を吐いてしまう。

いくらなんでも女の子の寝顔の前で、異性の前で。

ふと、あの人を想起してしまう。

全然似ても似つかないのに。

類似している部分なんてないのに。

僕はあの人に恋でもしているのだろうか。

恋。

今の僕には縁も所縁も皆無な言葉だ。

小学生の時、近所の女の子と席が隣りになって初々しい会話をした覚えもない。

中学生の時、廊下の角でぶつかった拍子で相手を押し倒してキス寸前になった事もない。

高校の時、可愛い転校生が来て自分の横に座った覚えも無い。


人が人を好きでいられる理由。

人が人を嫌う理由。

そもそも、それ自体に理由など無いのかもしれず人間の本能なのかもしれず。

そんなものただ考えたところで今の僕にできることは女子高生の寝姿を見るのに徹しているだけ。


「ん、にゅ~にゃい」


猫みたく寝返った。

その反動で髪が口に入る。

顔が僕の正面になる。

キスを誘っているように見えてしまう。

間接ではなく直接。

しようものならお縄に捕まること必至。

もう一度、溜息を吐くと寝息が止まった。


「ふん?、ん?、ふゅう?」


どうやら吐息で眼を醒ませてしまった。

髪をベタベタと触る。


「あれ?私寝てた?」


「うん、ぐっすりとね」


「わ、私寝言とか言ってたかな」


口調が変わってる、まだ寝ぼけているのだろう。

それともこっちが素の声だろうか。

今までのそれは演技していたかのようにも見える。


「言ってたような気もするし言ってなかったような気もする」


「なにその言い方」


「聞かなかった事にしておくよ」


「やっぱり寝言言ってたんですね。うぅぅ…はっず。何時間ぐらい寝てました?」


「さぁね。自分で確かめれば?」


「何ですか、その他人事は」


「他人事だから」


「もぉーポッキーさんは意地悪です」


「僕はそんなに甘くできてない。さて眠気覚ましに唄う?もう一眠りする?」


彼女は考える素振りをし手を叩いた。


「お手洗い行ってきます」


そう来たか。

まぁ考えを先延ばしにするのも選択肢の一つ、か。

さっさと出て行ってしまう。


さて、独りになってしまった。

特にやることもないので歌の練習でもするかなと思いマイクを掴んだところでテレビ画面ではなくスマートフォンの方がメロディを流した。

歌うこともなく開いてみると赤色をまとうあの人だった。

『溜息殺し』

通話を押す前に液晶画面に無秩序に流れている曲を停止した。


『よう元気してるか、ハッピー』


「元気も何も今は幸せどころじゃないですよ」


『じゃあ私が元気になるオマジナイを教えよう』


「僕はオマジナイ自体信じませんけどね」


『信じるか信じないかはグロッキーが決める事さ』


「疲労感は溜まっていますね、主に貴女の所為で。それでそのオマジナイとやらは?」


『教えてほ・し・い・の?』


うぜぇ。

アイドルのような甘えた声色を出す。

貴女にそういうのは合わない。

自分の仕事を他人に渡したからテンションが上がってるのか。

本当、めんどくさい人だ。

たまに無視してやるか。


「じゃ別にいいです」


『まずは両手を頭の上に乗せてっとスクワットをいーち、にーい、さーん、それを3セットやるんだよっ、いーち、にーい、さーん』


貴女が元気になってどうするんだ。

その五分の一でも良いから分けて欲しい。

騙されたと思って試しに僕もやってみる。


いーち、にーい、さーん。

いーち、にーい、さーん。

いーち、にーい・・・。


残念ながら、さーん、までできなかった。

僕の今の現状は頭に手を当てながら屈んでる。

この醜態を女子高生に見られたらどう反応すれば良いだろう。

女性のトイレの時間が長いと思っていた自分がどれほど愚かか自覚した。

彼女はシンプルな水玉模様のハンカチを片手に戻ってきた。


「私もやっていいですか。いーち、にー、さーんっと」


同じく、スクワットをしだした。

なんかこっちが恥ずかしくなってきた。


「なんか少し気分が良くなったような気がします」


そう感想を述べて再び始めた。

どうやらあの人のオマジナイは信じるに値するものらしい。

ふとテーブルに開きっぱなしのスマホが眼についた。

試しに耳に当ててみる。


「もしもし?」


『すまない。すっかり夢中になっちゃったみたいだ』


「貴女はいつも若々しいですよ」


『どうだ?元気になっただろ』


「ええ、別の意味でね」


『ま、お仕事が順調なら良いんだけどね』


この人は自分が請け負ったにも関わらず仕事の話を一切振ってこない。

元々そういう肝心なところが抜けてる性格だ。

中間報告ぐらいはした方がいいだろうか。


『ん?ニッパー以外にも誰かオマジナイをやっているのかな』


いつの間にかキツちゃんの声が入ってしまったようで気付かれた。

だったら話が早い。


「僕はもう何も切れませんよ。確かに今、一人ではないですけど。今、隣に居るのは貴女が請け負った仕事の子です」


『さてはて、どの子だったか』


「性犯罪を数回犯した様な口振り止めてくれませんか」


すると彼女の顔が少し蒼くなった。

そして3歩、ささーっと僕から下がる。


「ほら貴女がそんなこと言うから引かれちゃったじゃないですか」


『お前なら冗談だと分かるだろ』


「それ以上は未成年のキツちゃんに悪影響を及ぼしますんで」


隣へすりよってくる。

というかさっきより接近してきている。

感情表現が慌ただしい子だ。

あだ名を呼ばれるのが好きなのかもしれない。


『キツちゃん?』


「貴女が探してこいと言ったんじゃないですか」


きずはあるか?』


着替えの時は前を向いていたから分からない。

だから背中を見せなかったんだろうか。

あの人には今確かめると伝えた。

眼の前の子と向き合った。

こちらを透き通る眼差しで見てくる。

なにか期待されているのかもしれない。


「あのさ......」


面と向かっては恥ずかしいので下を向いた。

端から見ると今から告白するような男子生徒に見えるかもしれない。


「背中、見せてくれない?」


「胸なら見ます?」


わざとらしく幸薄そうな胸を張る。

やはりそうくるか。

予測はついていた。

だったら、どう言訳で説得するかだ。


「胸はいいからさ、背中を」


「あははー。それは可笑しいですね。一般男性だったら背中より胸が見たいはず、では?それとも背中フェチ?うわーうわー」


「今はそれどころじゃないんだ。それに知らない人に胸見せるとか言わない方がいいよ」


「知らない人ではありません」


「人の揚げ足を取るんじゃない。だったらどうしたら見せてくれるかな」


「胸をですか?」


意地でも見せない気だろうか。

だったらこっちも身を乗り出せばいい。

けれど僕にはそんな度胸などない。

親御さんに通報されるのが目に見えている。


「じゃあ胸を見せてくれた後で良いから背中も見せてくれると」


すると彼女は何の気も無しにTシャツの袖に手を掛けた。

少し露出度が増える。


「ごめん、やっぱいいや......」


「なんですか、それ」


羞恥心のあまり僕は部屋の外に逃げた。

さて、どうするか。

まず背中を見ない限りは分からない。

それに傷が無ければ、

時間と金を無駄にした様なものだ。

家に入っていったとき。

着替えをしていたとき。

どうして気付かなかったんだろう。

頭を冷やすため自販機でコーヒーを買ってから部屋の扉を開けた。

キツちゃんは僕の携帯を勝手に耳に当てていた。

そういえばあの人と通話しぱっなしだった。


「ええ、しっかりと。あっ戻ってきたから」


耳から電話を離し僕に渡してきた。


「電話代は払った方が良いですか?」


「いいよ、別に 」


「まだ通話切ってませんので」


見てみると、まだ電波のアイコンが波を発していた。

さっきの口ぶりからいってあの人ではないのか。

誰かと訊くと「貴方のよく知ってる方です」 と答えがきた。


『どうもどうも!言槻でーすー。へんしゅちゅ者の方ですか?』


こちらから訊かずともあっさりと名乗ってくれた。

相変わらず噛んでいる。

ワザとではないから素なんだろうな。

とりあえず否定する。


『女子高生を誘拐までするなんてやっぱり』


「いやいや、許可は取ってるから。というか、むしろあっちが」


するとキツちゃんは2歩ほど下がる。

また背中を見られるとでも思ったんだろうか。

さっきまで見せたがってくせに。

胸だけど。


『それに深夜のカラオケなんかに連れ込んでヒワイな事を言うなんてケイチャツにうったえますよ』


「訴えられたくはないなぁ」


『素直に先輩に謝ってください。それを拒否するならわたしもそこに行きます』


お前のような女子高生の皮を被った小学生は飴1つでついて行きそうだ。

目の前の子は飴1つどころか何もあげずについてきたけど。


「分かった分かった。謝ればいいんだな」


反抗しても長引かせるだけだ。

僕は携帯を耳に付けながら彼女に悪かったと頭を下げた。


彼女の反応は―――

「いえいえこちらこそ」と謙虚になることもなく、

「あったりまえじゃない」とお嬢様口調にもならずに茫然ぼうぜんと座っている。


一方、電波の向こうでは―――

『悪かったですって?』と叱られる事もなく、

『それでおーけー』 と軽々と領承される事も無かった。

僕がこれでいいかと訊く。


『まさか貴方みたいな人が何の罪もなく人に平気で謝罪できるとは』


低い声で真面目に貶された。

何故そこだけ噛まない!

一杯食わされた。

沈黙の間に矛を入れたのは目の前の子だった。


「私、唄っていい?」


僕は暗黙の承認をした。

入れた曲は、見掛けに似合わず演歌だった。

調の狂った大和魂みたいなイントロを聴きながら言槻との通話を切った。

そのコブシの聞いた音頭を聴いていると視界が霞んでいく。

僕はそれに負けた。


――――――――――――――――――

▼雨文


「ばちゃぱちゃ」


頬から流れ堕ちるそれは徐々に量を増していた。

手で拭うことも敵わない。

こそばゆい感触だけが麻痺していく。

流れた道筋は朱く染まった。


鏡の奥はもう光を取り戻している。

今までの陰鬱な空気は自分にすべて吸収でもされたのか、もう前までの日常には戻れない。

想い出してみると、そもそも私には、晴日にちじょうが無かった。

あったのは、雨日いじょう

希望に満ち溢れた気持ちに浸りながら影のある場所へ帰ろうと振り返る。

そこに、二つの影が重なった。

一つは雨女、もう一つは―――。


「ぴちゃ、ぴちゃん」


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