第一話 言訳紡ぎ

第一話01 言訳紡ぎ <久槻月深 編>

▼雨文


ぽつり。

ぽつり。


空から流れ堕ちるものがあった。


ゆっくりと。

ゆったりと。

ゆんるりと。


それは世界を構築しているものを一つずつ流し消してしまうようなもの。

だから、人はそれを避ける。


自分が流されないように。

自分が消されないように。

自分が汚れないように。

自分が濡れないように。


傘を差す。

それが合図だったように雨女は、傘も差さずに立ち上がった。


「ぽたり、ぽたり、ざー」


――――――――――――――――――

▼序章 自宅


人は常識に囚われすぎている。

当たり前を当たり前だと思い込む。

それに、なかなか気付かないものである。

それはとても危険な事であり、正常なことでもある。


最も人生を楽に生きるためのコツ。

それは、故意に常識に囚われ続けること。

最も人生を長くための生きるコツ。

それは、常に常識を疑問視し続けること。


そんなものを言訳しながら窓の外を見る。

この雨の中ろくに買い物もできやしない。

今日は、家に居ることにする。

コンコンッとノックする音があったので玄関へ赴く。

ドアを開けるとそこには、ずぶ濡れの『溜息殺し』が立っていた。


赤色の長い髪。

紅色のトレンチコート。

朱色のエナメルブーツ。


全部がびしょびしょだった。

思わず絶句してしまった。

言葉も言訳も溜息も出て来なかった。


まさか傘を差さない人がいるなんて。

常識を疑った。

そのまま追い返すわけにはいかないので風呂を貸してやった。

もわもわした熱気を纏いながら、

血のような赤い髪をバスタオルで拭く。

拭き終えたタオルに血は一滴も付着していない。

今日は殺しをしてこなかったんだ。


「サンキュー、マッキー風呂まで貸して貰ってすまないね」


「お礼するか謝るかどっちかにしてください。それに僕はペンじゃありません」


「まぁ細かいことは気にすんな」


それは『溜息殺し』

この人の口癖。

全てをその一言で持っていく。

最後に溜息を遺すしかないように。

そして、殺される。

それを僕は一度眼にしている。

[第零話 溜息殺し  <霧霜霖・霧霜雫 編> 参照]


「それで何の用です?雨宿りだけしに来た事はないでしょう」


「おっ、察しがいいね、メッキー」


「僕はあんなにキラキラしてません」


「まぁまぁ細かいこと気にするな」


「はいはい…で、何の用なんです?」


「そう焦んな、急がば回れって言うだろ」


すると真っ白のバスタオルを枕にしてソファーに寝転がった。

赤い髪と紅い靴下がハミ出る。

案の定、ソファーにも血は着いていない。

僕の目線に気付いたのか、

文句を垂れてくる。


「あん?ここで寝ちゃ悪いか?」


「そこで寝ると後で背中にきますよ。まったく貴女って人は…」


「まっ、そういう訳だから朝になったら起こして」


「本気でここで寝る気ですか」


呆れて怒る気力も無い。

冗談だよ、冗談と手をひらひら振って眼を閉じた。


「今日は雨に濡れたからシャワーを浴びに来たんじゃなくて眠たくなったから寝に来たんじゃないんだ。まあ略して話すけど、これから人捜しをする」


それはいくらなんでも略しすぎだ。

最近の若者でもそこまで単刀直入に略すことはしない。

そして僕の顔を見ずに続ける。


「なんだ?パンに醤油を塗ったくったような顔は」


「パンに醤油はやったことがありません」


「アレは美味いぞー、食ってみろって」


「貴女の味覚がおかしいのは既に知ってるので試しません」


「細かいことは気にせず食ってみろって。ロッキー君」


「あそこまで格好付けて食べたいとも思いません」


「でさー、その人捜しのことなんだけど」


急な原点回帰。

さっきまでのアホアホトークは何処に。

朱い眼を瞑ったまま紅葉色にネイルした指を僕の顔に向かって差した。


「お前に行って欲しいわけよ」


いきなり何を言い出すかと思えば理由なんて飛び越えて結論。

なんで自分で請けた仕事をテキトウに同居人に放り投げて自分だけ金儲けしようとするんだろうか。

不信感極まりない。


「じゃあ頼んだぞ」


むくっ、と起きあがるや否や腰まである赤髪を翻してさっさと部屋を出ていった。

わざとらしくドアに手を着いて溜息を吐くようにボソッと一言、遺して出て行った。


「そいつ高校生だから」


後3つくらいヒントをくれてもいいのに。

まぁ、いいや。

細かいことは気にしない。

気にしていたら殺される。

理由はどうであれ報酬は貰えるんだ。

僕はそれに釣られた。


「はぁ…」


さぁ、溜息を吐くほどの言訳を紡ごうか。

――――――――――――――――――

▼雨文


「ぽたり…ぽたり、ざー」


雨が止む気配もなく

真っ直ぐに降り注ぐそれに呆れをなした。

雨合羽のフードを被る。

濡れた髪に指を絡ませる。


「ざー、ざー、ざー」


退屈を紛らわせるために放った唄は周囲の雨音に融合してすぐに消えた。

その現実に言訳も紡げない。溜息も殺せない。

今できることはただただ鏡に映る群衆と雨空を見るだけ。

雨女は、またひとつ唄を歌う。


「ざーん、ざ、ざー」


――――――――――――――――――

▼自宅


はたして一体この世界にどれだけ学生と呼べる人が居るだろう。

下は子供から上は大人まで。

そんな中から一人を見つけだすなんて神業かみわざができる人が居たら紛れもなく探偵向きだ。

僕は、そんなことはできないので赤色に染まった人に電話を掛ける。


『おうっ!カッターか』


「僕の身体はそんなに切れ味良くありません」


『なんだ?私も忙しいんだ』


パチンコホールに居るような雑音が飛び込んでくるのは幻聴だろうか。

うるさい。


「あの!人捜しの件なんですけどぉ!『高校生』だけじゃ捜しようがないです。せめて何処の学校とか教えてください!」


『どうしよっかなー。じゃあポテチの激うすシソ味を買ってくれたら教えてあげてもいいけど。ちなみに1個700円だから』


無駄に高い。

この人の好物は駄菓子だ。

別にそれは良い。

問題はその種類。

好みの味が地方限定のものばかり。

激うすシソ味なんて隣街の隣街の隣街の都会にしか売っていない。

まだ通販で買った方が楽だ。

めんどくさいな、もう。


「はぁ…分かりましたよ。まず学校名は何です?」


天蒲あまがま市立高等学校。1個追加な』


「そこってここから遠いんですか?」


『さぁな。私も行ったことがないから分からん。2個追加』


「じゃあ学年とか性別とか分かります?」


『欲張りさんだな。ラッキーくんは』


「今以上にアンラッキーなことはありません」


『2年で女だ。これで3個追加だ』


「女の子、ですか」


『何だ?私みたいに同性嫌悪だったか?』


「いえ。僕は健全な男子ですから」


『女って言うのはだな…』


「もういいです。情報ありがとうございました」


この後は女性とは『どういう生き物か』をさんざん聞かされるハメになるのでこちらから切った。

天蒲市。

場所を調べるに適しているのは地図なのでスマートフォンのアプリを開く。

AIが位置情報から検索してくれる。

隣街、か。

じゃあ僕の住んでいるこの町よりかは都会のはずだ。

詳しく調べようとするとメールの通知が画面上部を邪魔した。


『背中にきずあり。計2700円也』


主語も書かずにそれだけ見たらなんなのか分からないじゃないか。

背中に疵。

そもそもどうやって女子高生の背中を見るんだ。

セクハラじゃないか。

僕は、健全な男子だから変態じゃない。

まず、その高校の場所を突き止めなければ何も始まらない。

天蒲市立高校は駅近だったので割と迷わずに行けた。


はずだったのに…。

自分が方向音痴だという常識を忘れていた。

迷路の行き止まりに次々とぶち当たったみたいな感じに襲われた。

AIも当てにならない。

さて、ここからは自分の勘が頼りだ。

財布を覗くと、1000円もなかった。

――――――――――――――――――

▼街道


「あの、そこの変な人、変しゅちゅ者でうつたえますよ」


後ろから声がした。

子供っぽさが残る声。

付け足すなら難しい言葉は噛むらしい。

振り向くと―――。


制服を着た女の子。

黒を基調としたセーラー服。

赤いリボン。

ベージュのカーディガン。

ぴろんっと跳ねたアホ毛が1本、触覚のように生えていた。

肩にギリギリ届かない黒茶色の髪。

後ろにはリボンのような赤いヘアゴム。

眼はつぶらで口が小さい。

そしてなにより背が小さい。

その制服を除けば小学生にも見える。


「道を歩いているだけで、いきなり変しゅちゅ扱いは酷いな」


「なんですか?その赤ちゃん言葉。キモイですよー」


この子は、いちいち引っかかる言い方をする。

こういう性格なのか遺伝なのか。


「一応言っておくとお前が間違えて言ったんだからな」


「またまたー。照れちゃってー絶対に貴方はへんしゅつしゃだ!」


ビシィッ!と指差してきた。

それも人差し指でなく中指で。

どうリアクションをとればいいんだ。

ツッコミ待ちなんだろうか。

僕はそんなボケには乗らずに冷静に対応する。


「テンション上がってるところ悪いけどさ。天蒲あまがま市立高校ってどこか知ってる?」


「しょうがない。おぶってあげましょう」


そうボケつつもおぶられくことはなく、会話もろくに合わないまま僕を天蒲市立高校まで案内してくれた彼女は自分の名を『言槻瑞歩ことづきみずほ』と表した。

モンスターの特徴みたく自分の性格を話してくれた。

基本的にさばさばしていて悲しいことがあっても楽観的だと。

必殺技は髪に付けているリボンから出るらしい。

血のビームとかじゃないだろうな。


「案内ありがとう、言槻」


「貴方に苗字で呼ばれる筋合いはありません!と自分の娘の結婚相手がお父さんと言うこと前提にした 『お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない!』と言うとお思いですか」


「あー…えっとーじゃあ瑞歩ちゃん?」


するとワザとらしく手で紅くもなってない顔を隠す。

ぺたぺたと。


「そ、そんなに私に近づいてはいけません。毒が移ります」


「照れながら怖い事を言うな」


「そういえば貴方の名前訊いてなかったですね。まさか人には色々と訊いておいて自分だけ言わないつもりですか?」


「そんなつもりもなかったけども」


「ふふん。どうです?ミンチさん」


「僕は肉じゃない。名前は斎藤だ」


「それは苗字です。名前ではありません」


もう良い加減にめんどくさい。

いちいち屁理屈で返してくるのは、この年頃の常套句じょうとうくなのか。

それともこの子特有の話し方なのか。


「苗字は斎藤で名前は宵春よいはるだ」


勿論、偽名だ。

人捜しをするためには相手の情報を聞く代わりに身元を晒さないといけない場面がある。

そのための名前。

昨日見た探偵ドラマでやってた。


「なんかフツーな名前ですね」


「悪かったな、普通で」


「ではではー私はこの辺で」


「って、おい!ちょっと待て!」


片手ではなく両手をひらひら振り回す言槻を呼び止めた。

もうひとつ訊いておかなくてはいけない。

そんな常識をアホバカな言槻の所為で忘れていた。


「あのさ、2年生で背中に傷がある子って知ってる?」


「うひゃーやっぱり、へんしゅつしゃだー」


さささーっと校門に向けて去って行った。

僕の声が聞こえてないのか、敢えて聞き流しているのか、その声は言槻には届かなかった。

そこで思い返した、訊くべきではなかったと。

アホバカなのは僕だった。

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