第172話佳奈ちゃん
「——って、ちょっと待って。昨日? ……なんで昨日言ったこと知ってんの?」
これなら安心して修学旅行を楽しむことができるだろう、なんて考えていたのだが、浅田がハッと気づいたように眉を寄せながら宮野へと問いかけた。
「え? あ——」
浅田の言葉を受けて宮野は何かに気がついたようで、目元が赤くなった瞳でチラリと俺のことを見てきた。
……そういやあ、こいつには昨日の電話を宮野が聞いていることを伝えてなかったっけ。
あー、こりゃあ……もしかしてまずい状況だったりするか?
……いや、気のせいだな。俺は悪くない。
「えっと、ごめんなさい? 昨日の伊上さんとの電話、その……私も聞いてたのよ」
「は——」
宮野の言葉を聞いた瞬間、浅田はその視線を俺と宮野に交互に向け始めた
こっちを見たり宮野のことを見たりと忙しいやつだな。
とりあえず笑顔で親指でも立てておいてやるか。
なんか知らんが、勢いよく立ち上がって俺のことを睨み始めた。いやー怖いわー。
ああそれと、もう少しお淑やかに立ち上がったほうがいいぞ。
「あ、あああ……」
「どうした? 声が震えてるぞ。嬉しくて震えてるってか?」
「あんたなにしてんのよ!」
音を立てながら立ち上がって俺のことを睨んでいた浅田は、手を振り払って大袈裟に感情を表しながら怒鳴った。
……ふぅ。まあ、確かに勝手に話を聞かせたのは悪いと思わなくもないが、昨日のあれは必要なことだったと思ってる。
「どうせあのままじゃお互いにろくに話もできずにつまんねえ旅行になってたろ。お前、宮野とまともに話す自信あったか?」
「それは……ううう〜〜〜〜。そうだけど……! そうだけどおおおお!」
浅田も自身の心や宮野の態度を理解していたからか、言いたいことはあるようだがそれをはっきりということはできないようだ。
「なに、教導官の気遣いってやつだ。気にすんな——っぶねえ!」
浅田は食堂のテーブルの上に置いてあったティッシュの箱を掴むと、それを俺に向かってねげつけてきた。
「すっごく恥ずかしいこと言ったじゃない!」
かもしれないが、そんな照れ隠しで物を投げるなよ。ティッシュの箱だってお前が投げれば凶器に早変わりだぞっ!?
「元から俺が聞いてたんだから気にすんな」
そもそもの話、恥ずかしいことを言ったっつっても、そんなもん最初っから俺は聞くことになってたんだ。
あの時点で多少の確執はあったが、それでも俺より付き合いが長くて同性で同い年の宮野に聞かれたところで、そんなに恥ずかしくないだろ。普段からあんな雰囲気のことを言ってるし。
まあ、あそこまで直球ではっきりとしたことは言わないが、似たようなもんだろ。
「それとも何か? 俺なら恥ずかしい言葉も聞いてもいいってか?」
だがまあ恥ずかしいってのもわかる。だからそんな空気を誤魔化そうと冗談めかして言ったのだが……
「……」
なぜか浅田はモニョモニョと口を動かしながらついっと視線を逸らした。
「……そこで口籠んのやめてくんね?」
「別に……いいかもって思ったし……」
……そりゃあ、まあ、お前がどう思ってるかなんてのは散々聞いてきたが、それでもここでそんなことを言われてもどう反応すれば良いのか反応に困る。
俺たちが黙ったことで他の三人も喋らないし、なんか変な雰囲気になってしまった。
「伊上さんって、割と自爆する時ありますよね」
そんな沈黙を破るように北原がそんなことを言ってきたが、この場合は変な空気を作ったのは俺のせいになるのか?
自爆っつったら、俺じゃなくて浅田のせいじゃね?
「この場合はこいつじゃねえか?」
「どっちも」
そうかー。どっちもかー。なら仕方ねえな。
「あー……まあいい。そろそろ行くぞ。もう時間だろ」
そう言って俺が立ち上がると、安倍と北原も立ち上がり、宮野もそれに続いた。
その時に見た宮野の顔には、今後の人生を左右する可能性さえあった真剣な話をした直後のものとは思えないほどに、なんの陰りもなくなっていた。
良い感じにほぐれたようだし、ふざけた甲斐があったな。
だが、浅田だけはまだ立っていなかったので、さっきこいつが投げたティッシュの箱を拾って机の上に置きながら話しかける。
「脳筋娘。お前もさっさと立て。行くぞ」
「……またそんな呼び方して。もうちょっと違う言い方があんでしょ」
浅田はそう言うと不貞腐れたように立ち上がり、俺たちは集合地点に向かうために歩き出した。
「伊上さん、私たちのことを苗字で呼びますけど、そろそろ名前で呼んでも良いんじゃないでしょうか?」
だが、和解してからは嬉しそうに笑っていただけだった宮野がそう口を挟んだ。
その目元は泣いたとは思えないくらい元に戻っているので、多分北原が治癒をかけたんだろう。
「佳奈も一応女の子。流石に脳筋って呼ぶのはひどい」
「一応ってなによ。あたしは立派な女の子よ!」
安倍の言葉に浅田はそう叫んだが、まあ無視だな。
「あー? 名前ぇ〜? あー、まあ特に考えてのことじゃないが……慣れっつーか、流れか?」
俺は正直そこまで呼び方に重要性を見出していない。名前で呼ぼうが苗字で呼ぼうが、そこに感情さえ込められているのなら、どっちだって親愛を表すには十分だと思ってる。
逆にどれほど親しく接していようが、そこになんの感情も込められていなかったり、侮蔑が込められていたのなら、その態度に意味はない。
俺は俺なりにこいつらに親愛……ってーとあれだが、まあ親しみは込めていた。
が、態度や言葉で示せってのも、まあわかる。人間はテレパシーで意思疎通ができるわけじゃないんだからな。
しかしなんだな。こいつらのことを名前呼びか……。
「じゃあそうだな。佳奈ちゃんおいで〜、なんて呼べば良いのか? ……悪い、自分で言っててキモかったから、無しだ」
四捨五入すればもう四十になるおっさんが女子高生のことをちゃん呼びしてるのははっきり言ってキモい。
名前で呼ぶのはありだとしても、流石に『ちゃん』はなかったな。やばい。はずい。
が、そんな顔を覆いたくなるようなことを言った俺の他に、実際に顔を顔を覆っている奴がいた。
「そいつはどうしたんだ?」
「悶えてる」
「……」
それはあれか? 名前を呼ばれたからってか?
……まあ、放っておこう。突っ込んでも藪蛇になるだろうし。
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