第79話——————痛い

 

 ──◆◇◆◇──


 なんだか違和感を感じながらも目を開けると、そこは俺の部屋だった。


 ……アレ? 俺なんでこんなとこにいんだ?

 いや自分の部屋をこんなとこって言うのもなんだけど、さっきまで学校にいたはずだよな?


 なんかおかしいと思って体を起こして周囲を見回してみると、そこはやっぱり俺の部屋だ。


 だが、何か様子がおかしい。慣れ親しんだはずなのに、どこか違和感を感じる。


「——っ! なんでお前っ! 死んだはずっ!」


 とりあえず起きてみようとベッドから降りようとすると、突然部屋のドアが開いて、そこから一人の女性——美夏が入ってきた。


 美夏。それは俺の恋人だ。もう何年も前に死んだはずの、だが。


 そう。美夏は死んだんだ。あいつはダンジョンでの事故で死んだ。

 だってのになんでここに……。


 いや違う。そうじゃないな。


「……夢、か。そうだよな。お前が死ぬわけねえよな」


 そうだ。アレは夢だ。こいつが死ぬわけがない。


 我ながら馬鹿なことを言ったな。なんだってそんな夢を見たんだか……。


 起きて早々に変なことを言ったことで、まだ寝ボケてんだな、と頭を何度か横に振ってから謝ろうと顔を上げた。


「わりい。なんか変なこと言っちま——だっ!?」


 だが、俺の顔面にグーが飛んできた。


「は——なに、すんだ……っ」


 美夏は二級の戦士型で俺は三級の魔法型だから身体能力に差はあるが、それでも拳が顔面に迫ったのくらいはわかった。


 だが、訳が分からない。なんで俺は顔面を殴られてんだ?


 さっき「死んだ」なんて失礼なことを言っちまったが、それくらいでこいつが殴るか?

 いやまあ、普段から割と豪快ってか、行動的ってかそんな感じだし、しそうではあるけどさぁ。


 だが、美夏の行動はそれだけでは終わらなかった。


 殴られたことで頭が後ろに弾かれ、もう一度ベッドに横になることになった俺は体を起こしたのだが、そこで美夏は俺の胸元を掴んでガクガクと揺さぶってきた。


「お、おいっ! 死んだ、なんて、言ったのは、悪かったって! だから——がっ!」


 頭を揺らされていることで言葉を途切れさせながらも謝ったのだが、最後まで言い切ることはできずに今度は頭突きをくらった。


「っつ〜〜〜。いってぇ……」


 そうしてもう一度ベッドに倒された俺は、頭突きを食らった鼻を押さえるが、なんでか思ったよりも痛くないことに気づいた。

 きっと手加減はしてくれたんだろう。先殴られた箇所もあんまり痛みがないしな。


「悪いって思うけどよ、ここまでする必要あったか? お前の力で殴られたら、一般人の俺は大ダメージなんだぞ?」


 だが、手加減されたおかげで痛みはなくても、殴られたりなんだりしたってことには変わりない。

 いくら恋人とはいえ、これくらいは文句を言ってもいいだろう。


 だが、そんな俺の言葉に美夏は俺の方を見ながらもなにも言わない。


 ……そういえば、さっきから殴った時もなにも言ってなかったな。

 いったい、なにがどうしたってんだ……。


「なあ……なんで喋ってくれねえんだ? なんでさっきから黙ったままなんだよ? お前、そんな大人しいような性格じゃねえだろ? もっとさ、思ったことを好きに言うようなやつだろ?」


 こいつはこんな物静かな感じじゃなかった。

 言いたいことをハッキリ言って、誰も彼もを引っ張ってくような……恥ずかしいから誰にも口にはしねえが、それこそ太陽みたいなやつだ。


 ああ、浅田が近いかもしれないな。きっとあったら仲良くなれるんじゃないだろうか? もしくは太陽同士で反発するか?


「機嫌直せって、ほら、夢見が悪かったんだよ。そういう時ってあるだろ? お前が好きだったケーキ奢るからさ」


 でもまあ、そんなやつでも機嫌が悪い時はある。今日はたまたまそんな日だったんだろう。そこに俺が不機嫌にさせるようなことを言ったらか怒って黙り込んでしまった。そんなところだろう。

 じゃないと、こいつが喋らないなんて異常がある訳がないもんな。死人でもあるまいし。


「ダメか? なら今度旅行に行こう。ちっと先輩たちに文句言われっかも知んねえが、有給でも取るからさ。外国にでも行ってみないか? 俺もお前も日本から出たことなかったし、一度くらいはいいと思うんだ。結婚したらその時も旅行に行くって話をしたが、それ以外で行ってもいいだろ?」


 美夏は前からイギリスに行って庭を見てみたい、なんて言ってたし、今回を機に行っても構わないだろう。確かイングリッシュガーデンだったか?


 結婚の時の旅行はまた別のところに行けばいい。


 だが、それでも美夏は答えない……答えてくれない。


 なんでこいつはなにも言ってくれないんだ。どうして……。


 その答えは、俺自身気が付いている。

 だが、それは認められない。認めちゃいけない。


 だって、こいつはここにいるんだ。認めてしまったら、こいつは……俺はっ……。


 だから、俺は頭に浮かんだ考えを振り払うように、頭を振ってからもう一度美夏に話しかける。


「きっと楽しいぞ。何せ〝久しぶり〟に一緒にいられるんだからな。……だから、なあ? ——なんか喋ってくれよ」


 だが、美夏が悲しげに笑みを浮かべながら俺に近寄り、俺を抱きしめてきたことで、いやでも状況を理解せざるをえなかった。


 死んだ。死んだのだ。今見ているのは幻で、俺の前にいるこいつは偽物だ。

 そんなこと……………………わかってる。


「でもよぉ、それでも認められないんだよ。わかってたさ。お前が死んだなんて。それでももしかしたらいつか戻ってくるんじゃないかって思ってた。ふとした拍子にいつもみたいに顔を出して、馬鹿みたいに話して、そんな毎日が戻って来るんじゃないかって思って、それでも何も元通りにならなくて」


 恋人の前だってのに、俺は涙を流しながら美夏に縋り付き、みっともなく、情けなく泣き言を重ねていく。


 こんなかっこ悪い姿なんて見せたくないのに、それでも口は止まらず、勝手に言葉が漏れていく。


「お、お前は怒るだろうけど、死んだらお前に会えるんじゃないかって馬鹿みたいなことを……本気で思ってた」


 怒られるだろうと思って震えながら口にした言葉だが、それでも美夏は優しく抱きしめてくれるだけだ。


 美夏が死んだ直後、俺は本気で自殺を考えた。

 だが、止めた。怖かったんだ。死ぬのが、じゃない。俺は、こいつに嫌われるのが怖かったんだ。


「でも、そんなことしたらそれこそお前に嫌われるんじゃないかって思って、お前との思い出を捨てることになるんじゃないかって思って、死ななかった……死ねなかった」


 そんな俺の言葉を聞いて美夏は、それまでよりも強くギュッと抱きしめると、そっとその力を抜いて俺から離れていった。


 またどこかに行ってしまうんじゃないか。このまま消えてしまうんじゃないか。


 そう思って慌てて見上げると、美夏は腰に手を当てて怒っているような顔でこっちを見ている。


 いや、『ような』、じゃないな。本気で怒ってる。


 俺はそんな美夏から視線を逸らして俯いてしまう。


 ……ああ、なんて情けない。


 でも、顔をそらしちまったけど、わかるさ。お前が文句を言いたいんだってことくらい、そんなの、顔を見なくたってわかる。それくらい俺は馬鹿なことを言ったって自覚はある。


 だが、女々しいことかもしんねえけどさ、俺にとっては、お前が死んだ世界は色褪せて見えるんだよ。

 全てが空虚で、何をしても満たされなくて、埋まらない喪失感が呪いみたいに付き纏ってる。


 人生はまだこれからだったはずだ。

 結婚の約束だってしてた。

 将来のことを話したりもした。


 なのにお前は死んだ——俺を残して。


 何かをしても、常にお前のことが頭の隅にチラつく。


 お前だったらどうするかって。お前はこんなことを言ってたよなって。お前と一緒だったら、楽しかったんだろうなって……。


 だがなにを問いかけても答えてくれないし、思い出が増えることもないし、一緒にいることもできない。

 だって、お前は死んじまったんだから。


 一人はつらい。一人は苦しい。一人は悲しい。一人は寂しい。


 この先ずっとこんな思いをしなくちゃならないなんて、なんの罰だって思う。


 だがそれでも……


「それでも立ち上がれってか………………はっ」


 俺がもう一度見上げると、夏美は相変わらず俺のことを見ていた。


 その顔は怒っていると言うよりも、むしろ心配しているようで、好きな人にそんな顔をさせてしまっていることが情けなくて、悔しくて、俺は歯を食いしばって立ち上がった。


 散々みっともないところを見せといて今更かもしんねえけどさ、それでも、これ以上は情けなさすぎんだろ。


 これが夢だなんてのはわかってるさ。幻、一時だけの妄想、実際に美夏がここにいる訳じゃない。

 ああ、そんなのはわかってる。


 だがよぉ、たとえ幻だったとしても、起きたら忘れるような夢だったとしても、好きな女の前でくらいかっこつけられないでどうする!


 俺は情けない自分の心を叩き潰して、舐めんじゃねえぞって挑発的な顔を美夏に向けた。


 だが、幻のはずなのに、俺が生み出した妄想のはずなのに、その表情はまるで「よくできました」とでも言わんばかりに笑っていた。


 それは俺の思い描く本人以上に本人らしい姿で、俺は思わず目を見開いて固まってしまった。


 だが美夏は、そんな固まった俺の胸に拳をトンとぶつけると、笑ったまま背中を向けて歩き出した。


 それをきっかけに俺の視界は真っ白に染まり、見慣れた俺の部屋から見たことのない薄暗い部屋へと切り替わった。


 多分、ここが現実なんだろう。じんわりと殴られた頭が痛む。


「——あー、くそ、いってぇな……」


 俺は殴られたはずの頭ではなく、胸を押さえて涙を堪える。


 でも、このままここにいるわけにはいかない。だってそんなことをしたら……


「またあいつが心配して化けて出てきちまうな」


 だから俺は立たないといけない。前に進まないといけない。


 そう覚悟を決めて深呼吸をすると、辺りを見回した。


 ここは……どっかの地下室か? ……っつーか俺、服着てないじゃん。


 拘束はされていないが、その代わりとばかりに俺は服を着ていなかった。

 幸いパンツだけはあるが、多分他のは武装解除的な感じで剥がれたんだろう。


「——っ!!」


 だが、状況はそんなことを気にする時間を与えてくれず、爆発音が聞こえ、パラパラと天井から埃が落ちてきた。


 ……チッ、まずいな。


 崩落の危険もだが、それ以上に宮野達が心配だ。こんな音がしたってことは、結構な規模の戦闘が行われてるってことで、あいつらがその戦闘に参加してる可能性は高い。


 急げよ俺。できるかぎり早くここから出て助けに行かねえと。


 あれは、あの夏美は幻だったかもしれない。

 でも、恋人〝だった〟奴の前で情けねえところを見せてたことに変わりはないんだ。なら、次はかっこいいところを見せねえと情けなくて仕方がない。


 だから——今度こそ、死なせやしねえ!

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