第3章 チビとベル②

 そんな生活を一ヶ月ほど過ごした頃。

 ベルの指先の火は安定してきていた。ただしまだ持続力はない。

 チビはそんなベルの様子をじっと黙って見つめていた。


「チビ、見ていて。今度こそ、もう少し長く火を点けてみせるから」


 ベルはチビに話しかけると、また指先に火を灯す。今度は先程よりも数秒だけ長く灯し続けることが出来た。


「見た? チビ! 私、さっきよりも出来るようになったわ!」


 嬉しさにチビの頭を抱きしめる。ベルはチビの顔に自分の顔を押しつけるようにして喜んでいた。チビも嬉しそうに、くるっ、と喉を鳴らすのだった。


「練習は、順調かね?」

「おじいちゃん!」


 扉の方から声がした。狩りをしていたヴァンじいさんが帰ってきたのだ。ベルはヴァンじいさんに飛びつくと、


「見ていて、おじいちゃん!」


 そう言って、指輪をしていない方の指先に火を灯す。一ヶ月前には出来なかったことが出来た喜びに、


「どう? おじいちゃん」


 笑顔で言うベルに対して、ヴァンじいさんも喜んでベルの頭を撫でるのだった。

 ベルが嬉しそうにしていると、傍にチビがやってくる。どうやらチビも仲間に入りたかったようだ。

 ベルはチビの頭を撫でながら、一緒に喜びを分かち合っていた。その様子を見ていたヴァンじいさんが口を開く。


「ベルや。どうじゃ、そろそろ魔法を習ってはみんか?」

「魔法を?」


 ヴァンじいさんの突然の申し出にベルはきょとんとした。

 今まで行ってきたのは魔法を使うための基礎中の基礎の練習だった。まだまだその基礎が不十分だと思っているベルは、ヴァンじいさんの言葉に少し不安になる。


「私に、出来るのかな……?」

「もちろん、指輪は両手にしてもらうぞ? もしベルが他に魔法を使いたいと思うのなら、おじいちゃんが教えよう」


 ヴァンじいさんの優しい声音に、ベルは少しの不安とワクワクを感じるのだった。


「私、魔法使いになりたい!」


 改めて自分の目標を宣言するベルに、ヴァンじいさんは決まりじゃな、と言うと、


「ベル。指輪をはめて外に出ておいで」


 そう言って扉を開けて外へと行ってしまった。ベルはチビと目を合わせると、机の上に置いていた指輪をはめてヴァンじいさんの後を追った。当然のようにチビも一緒に外へと出る。

 外へと出たベルたちを待っていたヴァンじいさんは、笑顔でベルとチビを迎えた。


「いいかい、ベル。これから教える魔法は、疾風しっぷうやいばの魔法じゃ」

「疾風の刃?」

「そうじゃ。その名の通り、風を刃のように飛ばして、相手を傷つける技になる。だから絶対に、人に向けてやってはいけないよ?」


 ヴァンじいさんの説明に少し背筋が寒くなりながらも、ベルは神妙に頷いた。


「じゃあベル。あの木を見ておくんじゃ」


 ヴァンじいさんはベルに奥にある大木を指さして言った。ベルがこくりと頷くと、


「グリンゲ・デ・ウェントゥス」


 ヴァンじいさんが呪文を唱える。ヴァンじいさんの八の字を作った両手から、刃のような風が一直線に大木へと襲いかかった。そして切り刻まれた大木の表皮が飛び散り、大木は今にも倒れそうになっている。その魔力の強さに、改めてベルはヴァンじいさんの凄さに圧倒されるのだった。


「どうじゃ? ベル」

「すごい……」


 感想を聞かれたベルはぽかんとしてしまった。これを、自分が出来るのだろうか?

 不安に思っていると、


「ベルはワシの孫じゃ。絶対に出来る」


 ヴァンじいさんが確信を持ったように言うと、ベルの頭の上に大きな手を乗せる。ベルは、よしっと気合いを入れると、


「私、やってみる!」


 そう言ってヴァンじいさんを見上げるのだった。


 こうしてベルの新しい修行が始まった。疾風の刃の魔法を使うためには、まず、呪文を正確に言えるようにならなければならない。ベルは舌を噛みそうなこの呪文を一生懸命復唱し、なんとか言えるまでになった。

 その一部始終をチビは黙って見守っていた。ベルが呪文に苦戦している時、チビはそっとベルに寄り添って慰めた。そしてベルが初めて呪文をしっかり言えた時も、チビは傍にいた。呪文を言えたベルは喜び、傍にいるチビの頭をぎゅっと抱きしめるのだった。


 こうして呪文を習得したベルは、いよいよ実践への練習に移る。


 魔導院から帰宅すると、ベルはまず、指輪を外してから指先に火を灯す基礎の練習を行う。基礎練習も大事だとヴァンじいさんに教わっていたのだ。

 ベルは基礎練習を終えると指輪をはめて外へ出る。チビも後ろをついて外へとやってくる。

 外に出たベルは胸の前に両手で八の字を作る。そして意識を集中させて、傍にある木に向かって魔力を放つ。


「グリンゲ・デ・ウェントゥス!」


 気合いを込めて放った初めての魔法は、しかし疾風の刃とはほど遠い、そよ風のような風がベルの両手から放たれた。


「これじゃあ、木の葉も切れやしないわ」


 ベルはがっくりと肩を落とした。ようやく覚えた呪文だったが、自分の力量不足を痛感してしまった。


「でも、練習あるのみ、だよね! チビ!」


 ベルの問いかけにチビは、くるるっ、と喉を鳴らした。


 こうしてベルは毎日、魔導院から帰ると指輪を外した基礎練習から始めて、その後、疾風の刃の練習を行う。両手に指輪をしていても、そよ風程度の風しか出てくれないが、それでも風が出ることに意味があると、ヴァンじいさんが教えてくれた。この調子で練習を続けていれば、きっとうまくいく。

 ヴァンじいさんの言葉を頼りに、ベルは毎日練習を重ねていくのだった。


 そうして一ヶ月が経った頃。


「グリンゲ・デ・ウェントゥス!」


 ベルがそう呪文を唱える。すると近くにあった木の葉に小さな傷が出来た。


「チビ、見て! 私が作った傷よ!」


 ベルは嬉しくなって傍にいるチビに声をかける。チビも嬉しそうにくるくるっ、と喉を鳴らした。

 ベルは居ても立ってもいられなくなって、家の扉を開いて中にいるヴァンじいさんへ木の葉を持って行く。


「おじいちゃん、見て! これ、私がつけた傷なの!」


 一枚の木の葉を目にしたヴァンじいさんが驚いたような表情をしていた。それから柔らかな目でベルの頭を大きな手で撫でてくれる。


「さすがは、ワシの孫じゃ。よくやった」


 ベルは嬉しくなって、チビと一緒に喜ぶのだった。

 疾風とはほど遠い小さな木の葉の傷だったが、ベルにとっては大きな自信となるのだった。

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