第5話 勝気なカノジョから応援メール⁉︎ 脅迫メールがきた

 放課後、D組の教室に行くと、樹里が教室を出て行こうとしていた。

「どこか行くの?」

「ごめん。先生に呼ばれたの。校門のところで待ってて」

「分かった」

 しばらく校門で待っていると、樹里が走ってきた。

「ごめん。先生がしつこくてさ。行こう」

 樹里が先に立って歩き出す。

「何かあったの?」

「進路のこと」

「進路?」

「そう。進路希望書を検討中って書いて出していたから、早く決めるようにずっと言われてたんだ。だけど、考えるのも面倒くさいから知らんふりをしてたんだ」

 それは呼び出されるはずだ。うちの高校は2年生の3月に進路希望書を出し、それに基づいて先生方は指導するようになっている。様々な理由でなかなか決められない人もいるが、どんなに遅くとも夏休み前には出すことにはなっている。

 10月も中旬を過ぎたこの時期まで出さない人がいるとは聞いたことがない。

「それで進路は決まったの?」

「ヒミツ」

 樹里は悪戯っぽい顔をした。

「隆司は大学行くんでしょう」

「学校推薦もらって来月試験なんだ。もう時間がないから朝早く起きて勉強しているんだよ」

「へえー、もうすぐじゃない」

 3日に1度小論文の課題を先生に出してもらい、書いた物を提出して添削してもらっている話をした。

「どんな問題?」

「時事問題に関することが多いかな。先生が過去問を調べて、その中から選んで出してくれるんだ」

「そうなんだ。時間を決めて書くの?」

「うん。3日かけて書くんだ」

「テストって2時間ぐらいでしょう?」

 樹里はびっくりしたように言った。

「うん。でも、先生がわざわざ添削してくれるからいい加減なこと書けないからね」

「先生って、うちの担任?」

「うん」

 樹里の担任は国語の先生で、僕に問題を出してくれている。

「ふ~ん」

 樹里が何か考えるような顔をした。

 樹里はチイちゃんと同じマンションの前まで来ると立ち止まった。

「部屋番号を教えるわ」

 樹里はそっと部屋番号を僕に耳打ちした。

「覚えた?」

「大丈夫」

「明日からちゃんと迎えに来るのよ。じゃあね」

 樹里は操作盤に鍵を差し込むとそのままマンションの中に入っていた。

 部屋番号を忘れたらきっとグーパンチだろうな。忘れないようにしないと。

 僕は頭の中で何度も樹里の部屋番号を暗誦しながら帰った。

 

 6時にセットしておいた目覚まし時計のアラームが鳴ったので、約束したとおり樹里へ電話をかける。

「おはよう」

 しばらく応答がない。

“……Good morning……Who’s calling?”

 なんだ今のは?

 樹里の低音とは違う柔らかく女性らしい少し高い声の流暢な英語だ。英語というのは分かったが、英語は大の苦手だから、流暢すぎるうえに声が少しくぐもっているような感じだったので、聞こえたとおりかはっきり分からないし、なんと答えていいかも分からない。

 かけ間違えたか?

「もしもし、樹里?」

 僕は不安になって相手を確認した。

「……うん。隆司?」

 しばらくして、樹里の低い声が聞こえた。

「誰かいるの? いま、英語が聞こえたけど……」

 たしか、樹里は一人暮らしだと言っていたが……。ということは今の英語は、樹里?

「誰もいないわ。寝ぼけてテレビのスイッチを入れちゃったのよ。その音声が聞こえたのかな。なんか英語番組やってるみたいなの」

 なんだテレビか。たしかに樹里の低い声とは違う高い可愛い声だった。樹里があんな声を出せるとは思えない。

「起きた?」

「うん……なんとか」

 明らかに調子が悪そうな声をしている。どうやら低血圧というのは嘘ではなさそうだ。

「大丈夫? 相当具合悪そうだけど。今から行って、お医者さんに連れて行こうか? 救急のあるところなら見てくれると思うけど……」

「大丈夫。薬を飲んだからもう少しすれば、良くなると思うわ。それより絶対に迎えにきなさいよ」

 調子が悪そうなわりには命令口調だ。

「分かった」

 本当に大丈夫なのか心配だったが、今、樹里の心配をしても仕方ない。行った時にあまりにも調子が悪そうだったら休んだらどうかと言ってみようと思う。

 僕は電話を切ると勉強を再開した。

 今が正念場だ。試験は小論文と面接だけだが気は抜けない。もちろん学校推薦で落ちる可能性もあるので、一般入試用の勉強もしているが、なんとか学校推薦で合格したい。

 母さんがご飯ができたと呼びにくるまで小論文に取り組んだ。

 ご飯を食べ終わるとついているテレビをしばらくボーっと見てから、学校へ行く準備をして玄関に出て靴を履く。

「なんだ。今日は早いんだな」

 トイレから出てきた父さんが玄関にいる僕を見て言った。

「あら、もう出かけるの」

 母さんも玄関に出てきて、僕の背中に声をかけてくる。いつもより10分ほど早い。

「うん。学校でちょっとしたいことがあるんだ」

 樹里の様子からすると、どれぐらい待たされるか分からない。いくら無遅刻無欠席が途切れたとはいえ、遅刻をするのは嫌なので早めに行った方がいいと思った。

「そう。これから毎日なの?」

「うん。たぶんそうなると思う」

 樹里が嫌がらせをすることに飽きて振られるまでは続けないといけないだろう。約束だから。

「そう。だったら、これからもう少し早くご飯の用意をしないと駄目ね」

「うん。ごめんね」

「何も謝ることはないわよ。10分ぐらいどうってことないわ」

 母さんは笑った。母さんに嘘をついていることは心苦しいが仕方ない。

「行ってきます」

 僕は家を出ると、樹里のマンションに向かった。

 マンションに着くと、樹里の部屋番号を押し、呼び出しのボタンを押す。

 なかなか応答がない。部屋番号を間違えたのではないだろうか。あるいは樹里が部屋の中で倒れているのではないかと不安になってくる。

 なかなか応答がないので、もう1度呼び出しを押そうかそれともスマホに電話しようか悩んでいると、「はい」と言う声がやっと聞こえてきた。

「澤田だけど」

「見えてるわ。そこでもうちょっと待ってて」

 たぶん部屋の中のモニターに僕の姿が映っているんだろう。

 女性専用マンションだから当たり前だが、出てくる人はみんな女性で、ほとんどの人がチイちゃんの時と同じように胡散臭げな目で僕を見つめて歩き去って行く。

 僕はだんだん居たたまれなくなってきた。外に出て待とうかなと思った時にようやく樹里の姿が見えた。

「行こう」

 樹里は僕の横に立つと、いきなり手を握り、引っ張るように歩き出す。

「体調は良くなったの?」

 電話の感じではかなり調子が悪そうだったが、今はさほどでもないようだ。

「薬が効いてきたみたい。さっきより調子はいいわ」

 そう言うわりには僕の方に体を少し凭れさせてくる。樹里のほうが背が高いので結構支えるのに力がいる。まだ、本調子ではないのだろうか。

「そう。良かった。安心したよ」

「朝、起きられなくなることが、時々あるのよね。薬を飲んでも効きが悪いこともあるし」

「大変だね」

 樹里からいい香りがしてくるような気がした。大きく息を吸い込んでみる。

「どうしたの?」

 樹里が不思議そうに僕を見た。

「いい香りするね」

「ああ。ちょっと香水をつけているのよ」

「香水?」

「そうよ」

 他の女子はコロンを使っていると聞くが、さすが樹里だ。大人みたいだ。

「なんていう名前?」

「『ジョイ』よ。それより私をいつまで車道側を歩かせる気なの? 自分が車道側を歩いてか弱いレディを守ろうとは思わないの?」

 車道側を歩いている樹里が文句を言う。とてもか弱いレディに見えないけど。

「ああ、ごめん」

 僕は慌てて樹里と場所を入れ替わった。

「隆司の家は朝はテレビを見るの?」

 家の食堂にはテレビが置いてあるから食事の時は必ずテレビはついている。

「見てるけど……」

「わたしも朝はいつもは情報番組を見てるんだけど、今日、たまたまテレビ点けてたらニュースをやっていたのよ。もうチャンネルを変える気力もなかったからそのまま見てたんだけどさ。全然言っていることが分からないのよ」

「僕もそういうことよくあるよ。見ていて用語とか分からなくて父さんに聞いたりするけどね」

 学校で習っていることは分かるが、政治とか経済のニュースを聞いていてもなんのことかさっぱり分からないなんていうことはよくある。

「そうだよね。でも、わたしってバカだからさ。それが沢山あるのよ。テストの成績も赤点ギリギリばっかりだし。カノジョがあんまりバカだったら恥ずかしいでしょう?」

「そうだね」

「隆司の家は新聞を取っている?」

「取っているよ」

 朝、母さんが郵便受けから取ってきて、父さんがいつも読んでいる。

「隆司も読んでるの?」

「時々ね」

 父さんが読んだ後、食卓に置いてあるのをたまには読むことはある。

「毎朝、新聞を読んで、わたしに書いてあったことを話してよ。テレビ番組とかスポーツとかは、いらないからさ。政治とか経済とか社会面とかで、隆司が気になった記事のことを話してよ」

「ええー、時間が……」

 小論文の書き方の練習だけでも大変なのにその上、毎朝、新聞を読んで話をしようと思ったら、その記事の内容をある程度自分で理解しないとできない。そんな余裕は今はない。

「可愛いカノジョが頼んでいるんだから、それぐらいしてもいいんじゃない? 朝早く起きてるから暇でしょう? 新聞を読むぐらいそんな何時間もかからないでしょう?」

 樹里が目を細める。きつめの美人顔が目を細めるとなかなか迫力がある。

「分かったよ。僕が興味のある記事でいいんだよね」

「それでいいわ」

 樹里がニコッと微笑む。笑った顔は本当に美人だと思うが、口は悪いし、性格も悪い。

 二人で手を繋いだまま学校のすぐ近くまで来ると、心なしか登校してくる生徒たちが驚きの目で見ているような……。僕は気恥ずかしくなり手を離そうとしたが、樹里が離さない。

 生徒指導の先生がいつものように校門の前に立っていた。

「石野、珍しいな。今日は余裕じゃないか」

「当たり前だよ。カレシが迎えにきてくれたんだもん」

「カレシ?」

 生徒指導の先生が訝しげに僕の顔を見る。

「澤田。お前、何か石野に弱みでも握られているのか?」

「いえ、別に」

「先生、どういう意味よ!!」

 樹里が今にも噛みつきそうな顔をした。

「澤田、相談ならいつでも乗るぞ」

 先生はニヤニヤしながら僕に向かって言う。

「はい。その時はよろしくお願いします」

 頭を下げると、今にも飛びかかりそうにしている樹里を引っ張るようにして校門を離れた。

「ちょっと、わたしが隆司を脅かしているみたいじゃない。ちゃんと付き合ってるんだからね」

 いまだ怒りの治らない樹里は先生に向かって怒鳴っている。

「ちょっと落ち着きなよ」

「ホント腹たつ。隆司も何よ。あの言い方。わたしが脅してるみたいじゃない」

 似たようなものだけど。

「ハハハハハ」

 僕は乾いた笑いをする。

「明日も迎えにくるのよ。忘れたら怒るわよ」

 樹里が僕をじっと見つめる。本当に目が怖いんですけど。

「大丈夫。忘れないよ」

 忘れたらただで済みそうもない。


 すぐ別れることになるだろうという僕の予想は外れて、樹里にモーニングコールをして、迎えに行き、読んだ新聞の話をし、帰りも一緒に帰るという付き合いを始めていつのまにか1ヶ月が経ち、僕の入試の日になった。

 入試当日もいつもと変わらず5時に目を覚して、6時になると、樹里にモーニングコールをする。何度か呼び出し音が鳴って樹里のいつもより気だるそうな声が聞こえてきた。

「今日は迎えに行けないけど大丈夫?」

「……うん。分かってる。それよりいいの? 大事な入試の日なのにわたしにモーニングコールなんかしてきて。今日はかかってこないと思ってたのに」

 樹里が眠そうな声で応える。

「毎日モーニングコールをするという約束だからね。僕が入試でも関係ないよ」

「そう。でも、入試はしっかり頑張ってよ。受験に落ちたのをわたしにモーニングコールをしたせいにされたらかなわないから」

 僕は落ちたことを人のせいにしようなんて思ったことはない。落ちたらそれが自分の実力だ。

「そんなこと言わないよ。それより、遅刻したらダメだよ」

「遅刻なんかしないわよ!! 人の心配より自分の入試のことを考えなさいよ!! スベったら許さないからね」

 ブチッと電話が切れた。眠そうな声だったけど、本当に大丈夫だろうか。また、寝ないだろうか。


 高校入試ではまったく緊張しなかったが、今回はちょっと緊張している。

 家を出るときに、母さんが緊張して顔を引きつらせている僕を見て、笑い出した。

「隆司が緊張している顔かわいい。ずっとそんな顔だったらきっとカノジョができたろうにね」

 いくら親でも緊張している息子の顔を見て、笑うというのは酷いんじゃないの。

「そんなに緊張してたら、実力を出せないぞ。深呼吸でもして、もっとリラックスしないと」

 父さんの言っていることは分かるが、いくら深呼吸しても全然リラックスしない。

 家から大学まで1時間半ほどかかる。9時からの試験に間に合わすために、7時に家を出た。

 緊張したままの固い表情で歩いていると、メールの着信音が鳴った。

 駅に着いて、メールをチェックすると、樹里からだった。

『入試頑張りなさい。合格したら、豪華お弁当を作って、お祝いしてあげる。不合格だったら、気合いを入れるためにわたしのグーパンチを食べさせてあげるからね』

 と、書いてある。

 これ一応励ましのメールなのかな? それとも脅迫メール? 

 その樹里らしいメールを読んでいると、緊張がなんとなくほぐれてくるような気がして、試験に落ち着いて臨めそうな気がしてくる。

 ここは一番行きたい大学でどうしても合格したい。

 この大学は僕の勉強したい「妖怪学」を専門に研究している先生がいる。たとえ、推薦で落ちても一般入試でもここ一本でいこうと思っているぐらいに通いたい大学だ。

 何としても合格を勝ち取るぞ。心の中で呟きながら、教室に入った。

 席に着くと、僕は顔を軽く叩き、自分自身に気合いを入れ、母さんが家の近くの神社でもらってきてくれた御守りを握りしめる。

 しばらくすると、数人の試験官が入ってきて、試験用紙を配り始める。

 試験用紙が目の前に配られると僕は大きく深呼吸をした。

「始めてください」という試験官の声で僕は問題を見て、ビックリした。

 数日前、樹里に喋った新聞記事に関連することを論じる問題だった。

 これならいける。僕は自信を持って答案用紙を書いていく。

 樹里が僕に新聞記事の説明をしてくれと言ってくれたおかげだ。たまたまかもしれないが、樹里に心から感謝した。

「時間です。鉛筆をおいてください」という声が聞えた時、やりきった感でいっぱいだった。

 昼休みになると僕は母さんが作ってくれたお弁当を開いた。高校になって食堂で食べたり、樹里が作ってくれるお弁当を食べているので、母さんのお弁当は久しぶりだ。

 母さん得意の野菜炒めやオムレツ、縁起担ぎのトンカツ、ご飯には海苔とふりかけをうまく使って『ガンバレ!!』と書いてある。

 いかにも母さんらしい。僕は久しぶりの母さんの弁当を食べた。樹里も料理はうまいが、母さんも負けてはいない。

 午後からの面接も無難にできたので、自分の中ではなんとか合格できたんじゃないかなという手応えを持った。だが、実際のところは結果がきてみないと分からない。

 家に帰ると、母さんがニコニコしながら僕を出迎えた。

「お弁当どうだった?」

「うん。美味しかったよ」

 空になったお弁当箱を渡した。

「よかったわ。最近、隆司がお弁当を持って行ってくれないから、腕の振るいようがなかったのよね。今日は気合い入れて作ったからね」

 母さんが自慢するように言う。結局、母さんは一言も試験のことを聞かなかった。

 父さんも夕食前には帰ってきたが、やっぱり試験のことには一言も触れてこない。

 二人とも気を使っているのかな。

 夜、部屋に戻ると遅刻せずに行けたかどうか気になっていたので、樹里に電話した。

「はい」

 不機嫌そうな声がする。

「ごめん。忙しかった?」

「別に。それより試験はどうだったの?」

「たぶん、出来たと思う」

「よかったわね」

「うん。メール、ありがとう」

 本当に樹里からのメールは嬉しかった。

「不合格だったら、わたしの期待を裏切った罰として、本当にグーパンチだからね」

 なんの期待だ? 樹里のいつもより低い声が本気度を示している。

「それよりも、樹里、今日は遅刻しなかった?」

「も、もちろんよ」

 なぜか樹里の声が焦っている。

「本当に? 生徒指導の先生に聞くよ」

「本当よ。ギリギリだけど間に合ったわ」

 樹里がちょっと自慢げに言う。それ自慢になるか?

「明日からまた迎えに行くよ」

「当たり前でしょう。必ず来なさいよ」

 プツッ。また樹里は一方的に電話を切った。

 僕のカノジョは気が短い。

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