とあるホテルの一室で

冬迷硝子

とあるホテルの一室で

闇から仄かに光を感じた。

眩しくはないが、暗闇でもない。

眼が覚める。

思いっきり背伸びをする前に自分が服を着ていないことに驚いた。

そして、ここは家のベッドではない。

どこかのホテルのベッドだ。

薄く新品の匂いが鼻を通す。

自室では嗅いだことのない匂いが新鮮味を感じさせる。

今、何時だ?

時刻を確かめようと腰をあげた時、裸である以上に衝撃を受けた。

一瞬にして頭が停止から開始へ動いた。


「誰だ?」


自分の隣には同年代か年下か、そのどちらかに当てはまる女性が居た。

状況分析にはまだ物足りない。

記憶に辿りを巡らせても何も思い出せない。

その女性がこちらに寝返りをうった時、彼女も裸体だったことに気が付いた。

顔の輪郭、身体の凹凸から察するに若い。

二十代前半といったところだろう。

頭を抱えても現実逃避にしかならないのでベッドに備え付けのデジタル時計を見た。

午前4時を軽く回ったところ。

今更だが頭に少し違和感がある。


ぼぉーとする。


これは、二日酔いか。

ということは前日、潰れるほど飲んだということ。

そして独り酒ではないことが大いに想像が付いた。

おそらくは、目の前で気持ち良さそうに寝息を立てている女性と飲んだのだろう。

加えるなら酔った勢いで手を出してしまった。

自分なら酷く哀れに思える。

これは決して他人事ではない。

つい数時間前に起こったことだ。

とりあえず音を立てないようにベッドから出る。

肌寒い。

何も着ていないからか6月の北風がそうさせているのか。

服を着なければ。

カーテン寄りのソファーを見るとそこには汚ならしく衣服が散乱していた。

おそらくはこの女性が見付けていたであろうブラジャーにショーツ。

これらが運悪く自分の衣服と重なっていた。

わざとそうしたのだろうか。

誰が?

疑うのは自分ともう一人しか居ない。

それらを何の躊躇いもなく退かし自分の衣服を着る。

肌に布が触れるのがこんなにもこそばゆいとは。

全て着用し、声を潜めて背伸びをした。

ついでに軽い運動を。

トイレにも行ったところでどうしたらいいか迷った。


一つ、この女性を起こし昨日なにがあったかを訊き出す。

一つ、そそくさと退室し帰宅。

一つ、あまりの現実に窓から飛び降りる。


最後のは冗談としてどちらか。

よくよく見ると女性の顔にはうっすらと化粧痕が見える。

だだ黒いアイライン。

薄く引き延ばした口紅。

化粧?

女性なら常識だろうが状況的に疑問を覚えた。

つまり昨日はシャワーを浴びていないということか?

彼女だけではなく自分も。

確かに冷静に考えれば納得がいく。

潰れ酔ったままシャワーを浴びるなんてなかなかできない。

手始めにバスルームを覗くと洗った後の独特の石鹸の香りがない。

排水口に吸引されたか、僅かにドアが開いていたか。

その可能性は低いと判断した。

女性の化粧。

バスルームの無臭。

酔った勢いなら仕方ないことだろう。

その証拠を裏付けるようにソファー前のテーブルには缶ビールと酎ハイの缶が無造作に置き去りにされていた。

何本かは床に落ちている。

試しに一つ振ってみるとまだ残りがあるようだ。


「………」


考えが纏まった。

彼女を酔わせそしてベッドへ押し付けた。

その可能性は高い。

これまで自覚症状からそう分析できる。

髪を整える仕草をして時間稼ぎ。

起こすか起こさないべきか。

ポケットに忍ばせておいた携帯電話を開く。

待ち受けがいつの間にか変わっていた。

白と黒のモノクロチェックシルエットから誰かと一緒に写る自分の写真に。

この女は…。

今さっきまで隣に寝ていた女性。

さらにアドレス帳を調べてみると知らない名前が一件登録されている。


『保科透子』


保科?

待ち受けと隣に寝ていた女性の名前だろうか。

カバンをまさぐっていると1つのメモ帳が出てきた。

そこには確かに保科透子の名前が明記されていた。

その下になにかメモがしてある。


『私の好きなもの。理解者。傷』

『私の嫌いなもの。嘘つき』

『私の宝物』


その欄には何も書かれていない。

綺麗な字だ。

まるで書道のような。

女の子らしい小さく可愛い字体ではない。

そこから察するに優等生なんだろうと予想できる。

その他のページには、カレンダースケジュール等が記されている。

もう一度、保科透子に目線を向けてみる。

すやすやと可愛い寝息を立てながら眠っていた。

前髪で隠れてここからでは素顔が見れない。

さっきみたところブスという不純種な感じではなかった。

逆に美人ともとれる顔立ち。

鼻は細長く、眼は二重。

口は普通で髪は長い。

そういえば傷とか書いてたような。

恐る恐るシーツを捲ってみると眼に飛び込んで来たのは二つの乳房。

掴みがいのある乳だ。

今はそれを無視して腕に眼をやる。

そこにはいくつか線が引いてあるように見えた。

昨日切ったのかシーツにも血痕がこびりついている。


「リストカットか」


若者で人気というか盛んな儀式であることは耳に入っている。

それにしてもこの傷痕は酷い。

瘡蓋ができており、腫れている部分もある。

大部分は適切な処理をしているのか傷は閉じている。

両腕ともに傷を遺していた。

痛くはないんだろうか。

視線を戻し、開きっぱなしのカバンに眼を戻す。

筆記用具。

何冊かのノート。

クリアファイル。

化粧道具。

制汗剤。

それらは丁寧に箱詰めされていた。

なにか光るものを見つけて取り出してみた。


「これは………」


カッターナイフ。

なんでこんなものを…。

そう考える間もなく安易に想像が付いた。

人の鞄をあまり漁るのはよくないが気になって仕方がなかった。

筆記用具とは別に黒い袋を見付けた。

唾を飲み込む。

意を決して開けてみる。

そこにはさっきカッターナイフとは別に剃刀(安全カバー無し)が三つ。

包帯に消毒液みたいなボトル、市販のガーゼ、マイスリーと書かれた錠剤、デパスと表記された錠剤が入っていた。

そのいくつかは使用済みみたいだ。


「…、…、……」


長く長い沈黙の後。

嫌な結論しかでなかった。

その確証を得るためその子、保科透子の携帯電話を開いてみる。

アドレス帳のボタンを押すとパスワード入力画面に切り替わった。

用意周到だな。

おそらくパスワードはどこかに書いてある。

浮かぶものを調べていった。

筆記用具、クリアファイル、ノート、そしてメモ帳。

そのページをパラパラ捲っている時になにかに気付いた。

真っ白のページに何か書かれている。

しかも背景の白に合わせて文字色も白だった。

修正液だろうか。

暗い場所を探してなんとか解読してみると日々あったことを書き記しているらしい。

日付と共に一文で。


『4月3日。最悪だ』

『4月18日。嫌われた』

『4月19日。友達みんな嫌い』

『4月20日。最悪の月曜日』

『4月30日。痛いのくる』

『5月1日。痛いのきた』

『5月2日。痛い痛い痛い血が出る』

『5月15日。やられた』

『5月20日。みんな敵だ』

『5月21日。敵だ敵だ敵だ』

『5月22日。怖い怖い怖い』

『5月25日。剃刀とカッターを買った、これで楽になる』

『5月28日。死にたい』

『6月2日。消えたい』

『6月12日。私の理解者が見付かった。この人ならあげてもいい』


それ以降は書かれていない。

なんでわざわざ同色にさせているんだろう。

それに理解者が見付かったって。

あげる?


「………!」


真実とは常に非情なものだと何処かのお偉いさんが言っていたな。

認めたくないものだ、自らの過ちというものを。

女性にとって初めての相手は誰だって慎重になるものだ。

それをこんな安々…。

この子には常識というものがない。

それにしては鞄は整頓され字体は書初め並。

おまけに容姿端麗。

どうして自分なのだろうと疑問を浮かべは解答し、浮かべは解答しを続けた。

あれから何分ほど経っただろうか。

カーテンの隙間から朝日のこもれびが差し出した。

ベッドを薄く照らしている。

開けるべきか開けないべきか。

また新たな問題にぶち当たる。

開ければ清々しい朝を迎えられるがそれと同時に今日が最悪の日になりかねない。

なにが早起きは三文の得だ。

大凶じゃないか。

むしろ早起きは大凶の鐘というべきか。

ここは開けるべきではないだろう。

まだしばらくは大丈夫なはず。

そういえば今日は平日だったような。

この子、学校はどうするんだろうと

危ない自分を差し置いて他人に矢先を向ける。

敵に情けをかけても今時の女子高生はそれを倍にして怨みで返上してくる。

というか起こすのは不味い。


もう一度試してみようか、

いっそ殺してしまおうか、


理性のはたらかない部分での想像が広がっていく。

たちまち限界に達してしまえば何をするか分かったものじゃない。

男は理性より欲望の方が断然強い。

女性と違い、冷戦的ではなく戦争をおっぱじめる。

嫌な性別だ。

自ら呆れを起こしてみる。

しかし今、その打開策は見付からない。

勿論、これがゲームだとしたら

もう何回も同じ場面に出くわして痛い目にあってきたんだろう。

そう、思うだけで悪寒が走る。

虫酸が走る。

鳥肌が立つ。

身震いする。

全身が凍る。

激しい動悸に襲われる。

だからといってキャラクターは、

プレイヤーに怒りをぶつけることなく現実を全うする。

嫌なものだ。

ゲームなんて。

現実逃避をしている場合じゃない。

早く手を打たなければ。


さっき、一つの可能性を考慮していなかった。

日記の最後に書かれていた『理解者』

そして『あげてもいい』

おそらくは彼女自身、自分を信用してくれているのかもしれない。

初めてをあげた。

つまり処女を奪った。

そんな相手を自分で見付けたとまで書いてある。

ただそれが自分自身である可能性は半々だが。

その可能性を考慮するならここは紳士的に接してあげるのが普通だろう。

わざと一緒に起きた振りをして昨日したことを覚えている定で。

演じなければならないな。

果たして演じることができるだろうか。

演劇なんて一度もやったことのない。

ただこのまま逃げ出すという手を使えば収拾は付くが罪悪感と彼女、保科透子自身が辛い思いをする。

或いは、ネットで名前を公表し自分の初めてを奪われたあげく逃げたと。

おそらくは友達にも。

友達から学校。

そして教育委員会。

街。

いずれは指名手配されるかもしれない。

処女強姦罪なんて罪は存在しないだろうがこれは万引きをして逃げるようなものだ。

そして、二度とその店には近付けない。

甘い誘惑に乗ってしまえば今度こそ見つかってお縄状態。

それと同じことが起こるやもしれないのに。

一度でもそう考えてしまうと恐怖が理性の代わりをし先程の考えが失せてしまう。

前頭葉が判断した答えに心の猶予を待たせる時間がない。

その焦りとは裏腹に少女はまるで睡眠薬を飲まされているように眠りに付いている。

昨夜の酒に睡眠作用が含まれるアルコールが含まれていたんだろうか。

それかこの子自身が酒に弱いだけなのかもしれない。

あるいは、カバンに入っていた錠剤か。

テーブルの上だけ見ても軽く一升は越えていた。

どれだけ自分が飲んでこの子が飲んだかは分からない。

事実として自分が先に目覚めてしまっただけ。

いっそあの名も知らない薬物を飲んで無理心中を計るのもいいかもしれない。

あの二つの錠剤が単なる抑鬱剤だったり風邪薬だったら愚の骨頂だ。

もし成功したとしてもあの子を犯罪者にしてしまう。

とまぁ色々模索していては始まらない。

ここは紳士的行動に出る。

肩を揺さぶってみる。

この子がどう反応しようが何でも受け止めるしかない。

なにせ手を出したのは自分だ。

揺さぶっても反射で反応するだけで何の兆候も見えない。

いっそ唇を合わせてみれば起きるかもしれない。

試しに顔を近付けてみる。

香水の匂いと共に酒の匂いが混じっている。

とても愉快な匂いではない。


「んっ…」


なにか如何わしい声がした。

もう一度、肩を揺さぶる。

そして髪に触れてみる。

ざらざらだ。

昨日、シャワーを浴びてないから水分が抜けているんだろう。

枝毛たちがわいわいとはしゃいでいる。

あまりにムカつく寝顔だったため拳を叩き込むことにした。


スッ。


鼻元で寸止める。

勢い余って本当に殴ってしまいそうになる。

髪が靡いたがそれでも気付かず、すやすやと寝息を立てている。

呆れて溜息を吐いた。

やってられない。

なんだってこんな少女の為に何を紳士ぶってるのやら。

自分で言ってて自分で呆れた。

これほど馬鹿な行為はない。

自呆。

そんな略では自分を阿呆だと言っているようなものだ。


「……んっーーーにゃ~~!」


一瞬、猫が鳴いたかと思った。

保科透子が眼を覚ました。


「んっ、と…」


目の前の人物が誰か脳内検索を掛けているようだ。

仕方なく口を開こうとすると人差し指で塞がれた。


「貴方が私の夫ね。よろしく」

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