夜は短い?長い?どっち派?


 亜香里への接触を終えて数日が経った。あれから家に帰ってはいるらしい。しかし、美琴の夢は依然として荒れたままで改善の兆しは見られない。それだけで「次」に進むに十分だった。

 私は午後イチの講義を終え、人が疎らな食堂で遅めの昼食を取っていた。女のぼっち飯が珍しいのか、何人かの男子学生がちらちらとこちらを見てくる。他の子とも話したことがあるけど「蜂」は男の視線をよく集めるらしい。ミステリアスな雰囲気を醸しているからとか、男は危険やスリルに惹きつけられるからとか、美人揃いだからそういう傾向が強いだけとか、多種多様な説が唱えられている。慣れていることなので特に気に留めずに小皿のオクラを練っていると、向かいの席にトレーが置かれた。

「ねぇ、ご一緒して良いかな?」

 声の主はくっつきちゃんだ。彼女はこちらの返答を待たずに席に着いた。どうせ話したいことがあるんだろう。先の講義からけられていたのはわかっていた。

「どうぞ……ってかそんなに構えなくて良いって言ったじゃん」と、私は素知らぬ顔でオクラをご飯にかける。

「いや、やっぱさすがにね」

 心の中で「めんどくさ」と毒づく。白米に視線を据えたまま「まぁ良いや。どうしたの?」と問いかける。

「あれ? 怒ってる?」

 思わず舌打ちが出かけた。顔を上げて「怒っていないよ」とにこやかに答えてあげると、彼女は安心したようで「あのね……」と話を始めた。

「仕事の方はどうなのかなって。先輩……になるのかな? とにかく話を聞いてみたくて」

「どうって……。別に普通だよ。この前受けた仕事もじきに終わるし」

「そうなの? あのね、こんなことを言うと変かもしれないけど、どんな心境でこの仕事をしてる? 罪悪感とか後悔を感じるのか、それとも……もっとヤりたいというか興奮する感じになったりしない?」

 言わんとしていることを察した。仕事を始めたばかりのワーカーがよく陥る病癖だ。

「あー……この前の仕事終わったの?」

「……うん。酷い男だったんだよ? 資料を一通り読んだ時点で擁護のしようがなかったけど、夢で会ったらもっとすごかった」

 そりゃ精神世界だからね。隠している本音がダイレクトにぶつけられる場合もある。

「あたしの獲物だったのは子沢山で外面は良い会社員。でも、裏では単身赴任中に複数の女を作っていたの。そのことを友人同士で咎められると、出まかせでごまかしてさ……」

 それくらいのことならよくある話だ。私達のターゲットになるほどではない。しかし、私が受け持っている仕事と妙に符合するような気がした。

「もしかしてさ、その不倫相手ってシングルマザーだったりする?」

「そう! よくわかったね! 本当は切りたいけど下宿に居座られて困っていたみたい。まぁ収入が良かったから、その女も必死だったんだろうね」

「不倫相手同士で揉めていた?」

「……すごいね。の人ってそこまでわかるの?」

「いや、よくある話だから」と適当にごまかす。どうやら本当に私の任務と繋がっているらしい。母はこの二つの案件の繋がりを知った上で私と彼女へ別個に依頼した。となれば……。

(妻子を置いて消えた亜香里の元夫も……?)

 絡み合った負の感情は濃厚な不幸の蜜を生み出す。より良き蜜を得る為に、不幸を生む人間にさらなる不幸を作らせる。それが「女王」の行動理念だ。私達「ワーカー」は熟した不幸の実りを収穫する為に存在している。

 亜香里は元夫について「お金の支払いがだんだん滞って雲隠れした」と語っていた。元夫がすでに死んでいて、それに蜂が関わっているというのもなくはない。

 もしそうなら、母がどうして案件を小分けにして分担させたのかは想像がつく。一人に情報を集中させると、トんだ時のリスクが大きいからだ。実際に一人のワーカーが機密を持ったまま失踪している。だから母が色々隠していた件については責めても仕方ないし、私は私の仕事をするしかない。

「それで昨日ね」とくっつきちゃんは話を続ける。

「対象への『執行』をしにいったんだけど、奥さんや友人、不倫相手への罵倒がまぁ出るわ出るわ……。要するに『俺は悪くない』って言いたかったみたいだけど、ほんとに酷かった。でももっと酷かったのは、そんな男を力任せに屈服させて悦に入っていたあたし。向こうは本当に殺されるとわかったら抵抗してきたんだけど、その度に腕をへし折り、脚の腱と骨をズタズタにし、もう口しか動かせないくらい全身を痛めつけて……。それがね、とっても気持ち良かったの」

 夢の中では蜂は無敵の力を得る。か弱い見た目の女でも屈強な男を楽々とねじ伏せられる程に。向かいの席からうっとりと目を潤ませつつ、彼女は語る。

「最期にね、『あなたの奥さん、あなたに何かあった時の為にしっかりがっつり保険金を掛けているよ。今なら不名誉な行為がバレない上に、突然死に遭った悲劇の夫として奥さんに義理を果たして死ねる』って言ってあげた時なんか……ほんと最高だった……。これまでいくつか案件を受け持ったけど、命乞いする気力も失って芋虫みたいに這うしかできなくなった獲物はどれも魅力的に見えて、全部覚えているわ。とどめを刺した後なんかは全身がフワフワしてしばらく動けなくなっちゃうし。全部が終わって夢から醒めたら、いつも下着どころかベッドまで……正直今も話していてちょっと濡れてる。ねぇ、こういう気持ちになるのって、私だけなのかな? ありがちなことならいつかは慣れて落ち着いちゃうのかな?」

 恍惚とした語り口が異常であることに喜びを抱く中学生のようで痛々しい。「あたしは悪くないよね?」と言いたげなのがあからさまで辟易した。

「それって、まだ人間だからそう思えるんだと思う」

 私の答えにくっつきちゃんは首を傾げる。

「蜂はね、女王っていう心臓がいて、ワーカーっていう四肢がいる。脳じゃないのは、女王さえも巣の存続のための一ピースでしかないから。重要度の差はあれ、巣という共同体全体を一つの命として存在している。蜂に染まれば染まるほど、個々の考えなんて消えて各々の務めだけを果たす機関になっていく。手足や臓器は考えたりしないでしょ? あなたが仕事の中でそうやって心理が揺れ動くのはまだ人間に近いから」

 じゃあ脳に当たるのは何なのか。この集団の意思決定を下すのは巣の中の誰なのか。それは女王である母でさえも知らない。いつしか尋ねた際には「風が運んでくる」と言っていた。私はまだその意味がわかっていない。

「えー……。自分の意思がなくなったら嫌だなぁ。それにあの時の快感を感じられなくなるのはもっと嫌」

「でもね、蜂に近付くと巣全体の『悦び』を感じられるようになるよ。それは人であることなんかより、ずっと気持ちよくって温かくってたまらない」

「それ、ホント?」

「うん。先輩……じゃなくてお姉ちゃんからのありがたーいアドバイス。と言っても私もまだちょっとしか感じられないけどね」

「それでもすごいよ」と、くっつきちゃんは感嘆の息を漏らした。上には上がいるとわかって、途方もなさと同時にちょっぴり安心がこみ上げたようだった。彼女の質問に答えられていない気がするけど、納得してもらえたなら良いか。私はさっさと食事を済ませようと残ったみそ汁に口を付ける。

 が、向かいの席で「そっか……巣では皆、娘だもんね」と呟かれたのを聞いて、嫌な予感が走った。

「ねぇ、『お姉ちゃん』って呼んでいい?」

「ぶち〇すぞ」という言葉をみそ汁と一緒に飲み込む。冗談のつもりで出した単語なのに真に受けられても困る。スゥっと一呼吸置いてから努めて優しい口調で窘めた。

「ダメでしょ。外で関わりをもっているのもあまり良くないのに」

「じゃあさ、巣では良いでしょ? むしろそっちのが秘密の関係っぽくて燃える!」

 この手のはあれもこれもダメと否定すると面倒だ。そのくらいの譲歩ならまだ傷は浅い。

「わかったよ。巣で会った時だけね」

「うん! じゃあさ、今日この後一緒にバイト行こ! 今日はもう講義なかったよね?」

 新人に好かれるのは過去にもあった。物心ついて間もない頃からあそこにいて歴が長いせいか、仕事のことで相談に乗る機会が多かった。その中で頼りにされたり好感をもたれたりすることはままあった。でも、彼女の熱は今までの子と違う。私の何が彼女をここまで惹きつけているのだろう。

「あー……この後は図書館で調べ物するから」

「それにも付き合うよ! あたしもちょうど後回しにしてた課題があるんだー」

 厄介なのに好かれたなぁ。蜂じゃなかったら殺していたと思う。


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