No.606 彼女らの名は

朝は好き?



「朝が好き?」と尋ねると大抵の人は「そんなに」とか「苦手」とか答えるのではないのだろうか。

 私は朝が好きだ。晴れた日の部屋に射し込む陽光の美しさも、雨の日の気怠い土臭さも、日の出からの数時間に凝縮されたあの空気が愛しい。夜も嫌いではないけど朝ほど好きじゃない。だって長すぎるんだもの。

 しゃこしゃことせわしく歯ブラシを動かしながら、朝のニュースを眺める。何やらどこかの会社の社長さんがホテルの一室で亡くなっていたらしい。ふーん……。

 洗面所に戻り、口をすすぐ。身支度を整える間に炊飯器が「へいお待ち!」と言わんばかりにブザーを鳴らす。釜の蓋を開くこの瞬間も朝が好きな理由の一つだ。

 ふかふかの蒸気の下から白銀の粒が現れる。うん、今日もたまらない。モリモリご飯を平らげ、それからあれやこれや支度しているともう家を出る時間だ。朝って忙しくてほんと短い。だから貴い。

 小気味良い足取りでマンションを出て駅へと向かう。雨上がりで道路にできた水溜まりに日光がキラキラと反射している。晴れと雨の良いとこ取りな光景に「ふふん、今日は幸先いいな」とにやつく。

 そんなほっこりとした気持ちのまま、電車を待っていると、同じ講義を取っていた知人に出くわした。何故「知人」なのか、友達かと言うと微妙な距離感の子だから。連絡先も知らないし、そもそも名前もうろ覚えだ

「おっはよー。眠いねー」

「おはよう。一限は大変だよねー」

 別に眠くないけど適当に合わせる。この子が眠いのならそれで良い。挨拶ってそんなもん。

「ほんとだよ。こちとらバイトにサークルに忙しい女子大生だっていうのに、あの教授、朝から小難しい講義しおって……」

「うん。バイトもサークルも良いけど勉強しようね」

「あんたはこの講義取ってないから気楽で良いよねー」

 向こうは友達のように接してくるけど、アルバイト先が同じってだけだ。プライベートで会うのも電車と大学だけで、一緒に遊んだこともない。

「去年取ってたよ。難しいけど、しっかり聞いていたらA評価いけるからガンバ」

「あんたってほんと真面目よねー。あ、嫌みとかじゃなくて心底感心してるのよ? 朝もキリッとしているし……。うちと同じバイトをしているのが信じらんない」

「私だって根っからの真面目って訳じゃないよ」

 苦笑いして適当にはぐらかす。たしかに私と彼女の職場は真面目もとい、まともと言える子が少ない。あの中なら私はわりかしまともな方かもしれない。それくらいいわくつきの人間があそこには揃っている。強烈な個性の集団をまとめ上げている「彼女」の人徳に感心する。

「あ、そうそう今朝のニュース見た?」

「見たけど、何?」

「ほら、会社の社長さんが……」

 そう切り出せば通じる程の事件らしい。たしかに今朝それらしいニュースをやっていたような……。「えー何々?」と答えたら話が進まないので、「あー」とわかった風な態度を取る。

「あれを担当したの、けっこう上の階の人らしいよ」

「ってことは大きな案件だったんだね」

「そう、びっくりだよねー。最近ニュースになるような大物ばっかりじゃん」

 仕事に然程熱意を持っているわけではないので、ニュースになった所で「あ、そう」で終わってしまう。他人の仕事ぶりにも興味がないので、誰がどうしたこうしたと言われてもピンと来ない。適当に合わせはするけど、この手の話はどうも息苦しい。

 あれこれと雑談に興じる内に電車は大学の最寄り駅に到着する。駅を出てすぐにある門へ向かって学生の群れがぞろぞろ列を作る。

「あ、ごめん。私、図書館行くから」

「え、そう? ところで今日は『巣』に行くの?」

「うん。行くよ」

「そ、じゃあまたね」

 それを聞きたくて話しかけたんだな。さっさと本題に入ってくれたら良かったのに。明るい性格して面倒臭い子だ。

 あーあ、何だかちょっぴり憂鬱。あの子とまた顔を合わせるの面倒だな。外で関係者に会うことは稀だし、あの子は嬉しくてお近づきになろうとしているんだろうけど、私としてはノーサンキュー。

 彼女はおそらく「巣」に入って日の浅い「ワーカー」だろう。いずれにしても記憶に残っていないってことは大した子じゃない。

 さて、気を取り直して女子大生やりますか。気持ちの良い朝を少しお邪魔されちゃったけど、一日はまだまだこれからだもんね。


 と、朝は思っていたんだけど、放課後になってげんなりした。何故なら朝に会った子が校門で待っていたから。ぴったりくっついてくるので、この子のことは「くっつきちゃん」と呼ぼう。

「え? 何で?」

「今日、巣に行くって言ってたじゃん。前にこの曜日は五限終わりだって聞いてたし、それならうちも五限終わりでちょうど良いかなって」

 めんどくさ。昔の私よ、何で口を滑らせてんのよ。

「外では同僚とはなるべく関わらないようにって言われてなかった?」

「惚れ惚れするほど真面目ね。同じ大学なんだから仕方ないじゃん」

 撒いた所でどうせ巣で顔を合わせるから仕方ない。とほほ、仕事入り前にどうでも良い子の雑談に付き合わされるなんて、幸先の良い朝とは何だったんだろうか。


 うっすら暗くなり始めた暮れの往来を、人々が慌ただしく行き交う。雑踏に加わって私達は「巣」に向かう。

 景色はビジネス街から繁華街へ。日中はなりを潜めていたネオンライトもぽつぽつと灯り始める。呼び込みの店員が街路に立ち、仕事帰りの会社員が思案顔でうろついている。

 そんな表通りから脇道へ入って少し歩くと、低層とも高層とも言い難い階数のマンションにぶつかる。周囲の風景に溶け込んでいて、隠れ家のような雰囲気を醸しつつも、そこはかとない存在感を放っている。この建物こそが「巣」と呼ばれる私達のバイト先である。

 シックな装いのエントランスで番号を入力し、セキュリティを通過する。エレベーターに乗り込んで一番上の階のボタンを押す。最上階に着き、広々としたホールを歩いていると、コツンコツンと靴音が虚しく響く。うら若き乙女に不釣り合いな高級感の中を我が物顔ですいすい進み、重々しい木製のドアに辿り着いた。

 ドアをノックする。しばしの静寂――からの錠が外れる音。慣れた体でさっさと部屋に入る。毎度のことながら中途半端に厳重だなと思う。

 ここの主曰く、この一連は保安の為ではなく、必要な手続きのようなものらしい。よくわからないけどそういうものらしい。らしいらしいばかりで申し訳ないけど、よくわからないんだから仕方ない。


「おかえり」

「ただいま」


 甘ったるい蜜の香りのする居室で「母」に出迎えられる。彼女がここの主で、私達の雇い主。先のやり取りがここでの定型の挨拶、巣の中では私達は家族だから。でも家族の形としては少し変わっている。母が一人いて後は全て娘、以上。

 もう一つ、ここには変わった慣習がある。巣にいる時、私達は名を失うのだ。容姿の特徴や適当なあだ名、あとは「番号」で互いを呼び合っている。機密保持の為というもっともらしい理由でそうなっているが、実際の所どうなのだろう。

「あら? 一緒だったの?」

「うん。来る途中でね」

 外でも関わりを持ってはならないのは、あくまで原則であって別に御法度ではない。でも、あけすけに教えないに越したことはない。

 くっつきちゃんが「今入っている案件は?」と母に尋ねた。

「あなたにはこの獲物をお願いしようかしら。情報もほとんど割れているし、あとは煮るなり焼くなり自由よ。たっぷり責め立ててあげてね」

 母が彼女に手渡した資料をチラッと盗み見すると「不貞行為」という文字列が見えた。経験が浅いワーカーにはうってつけの小物だ。ただ、私達に狙われる辺り、それなりに恨みを買っていそうではある。紙束を眺めながら「うわぁ」と呻いたのが聞こえた。

「あなたはこいつね」と私には別の資料を渡される。パラパラと紙をめくって目を通していると、母がにこにこ顔で「どう?やれる?」と問いかけてきた。いつもは何も聞いてこないのに珍しい。

「珍しいね。そんなこと聞くなんて」

「こちらから聞かないと、あなたは何も言わないから」

「大丈夫。心配してくれてありがとう」

 つとめてにこやかに返事をして、母の部屋を後にする。そのままワーカーに割り振られている個室に向かう。エレベーターを待っている間、くっつきちゃんが緊張気味に話しかけてきた。

「けっこう慣れてるんだね」

「そうかな? 私も初めはガチガチだったしすぐ慣れるよ」

「だと良いけど」

 チンとベルが鳴り、エレベーターが到着する。くっつきちゃんは二階のボタンを押してから私に「何階?」と訊ねた。ふーん、思った通りまだ経験が少ないんだね。

「六階」

「わ、そんな上だったんだ。私なんてまだ二階だよ」

 ワーカーは個室が巣のどの階層にあるかでランク付けされており、新人には主に二階があてがわれている。私がいる六階は真ん中よりやや上の地位だと思って頂ければ。

「ふーん、何号室なの?」と、もしかしたら過去に自分が使っていた部屋かもと思いつつ、何気なく訊ねてみた。

「二〇三だよ」という素直な返答に私は引っかかりを覚える。

「入ってどれくらいだっけ?」

「もうすぐ半年ってとこかなー」

「…………」

 半年前……その頃に二階から上がってきたワーカーはいなかった。つまり、以前に二〇三号室を使っていた子は巣を抜けたか仕事をしくじったかのどちらか……。まぁ、よくあることかとすぐ頭を切り替える。

 沈黙を別の意味で捉えたのか、くっつきちゃんは自嘲を込めた笑みを浮かべる。

「ごめん。私みたいのが軽々しく話しかけちゃいけなかったね」

「関係ないよ。同級生なんだし、ここでも外と同じでいいよ」

 正直、こういう反応されるから一緒に来たくなかった。そこまで仕事ぶりが優れている訳でもないのに、今の階層にいるから引け目もある。母は私の何を高く買っているんだろう、と常々思っている。

「私の場合、ちょうど空きができてたまたま上がれただけだよ」

「そうかなぁ」

「あ、六階だ。じゃあね」

 話を無理やり切って私は先んじてエレベーターを降りる。やれやれ、やっと一人になれた。コツコツとヒールの音を廊下に反響させながら部屋に向かう。まだ他の部屋の子は来ていないのかな。

「606」と刻まれたドア……ここが私の部屋だ。鍵を開けようとポケットをまさぐっていると、隣のドアが開いた。明るい髪色に朗らかで穏やかな雰囲気、一言で言い表すならほんわかとした女性がひょこっと出てきた。

「あら?ロクロクちゃんお疲れ様」

「ロクゴさんお疲れ様です」

 六〇六号室だからロクロクちゃん、ここでの私の呼び名の一つ。わかりやすいでしょう? それで彼女はその隣だからロクゴさん。先に述べた「番号」で呼び合うとはこういうことだ。

 ロクゴさんは「これから?」とゆったりとした口調で語りかける。

「はい。ロクゴさんは……?」

「今日はもう上がりなの。夫が早く帰ってくるからご飯の支度しなくちゃ」

「自分でさせたら良いのに」とぼやくと、彼女は幸せ満点得意満面な顔でのろける。

「ダメダメ、そういうのは冷え切ってからで良いのよ。新婚の間くらいは良き妻でないと! と言っても――」

「『うちは永遠に熱々だけどね』でしょ?」

「ふふーん、その通り! それじゃあ行ってきまーす」

 上機嫌で出ていった彼女を見送りつつ、人は見かけに寄らないなーと心の中で呟く。あんな人がこの仕事をしているのが不思議でならない。

 部屋に入ってひと先ずくつろぐ。中はビジネスホテルのような簡素な装いだ。自宅のように色々小綺麗にしたり家具を持ち込んだりする人もいるらしいけど、私は元の内装のままで特にいじっていない。

 ソファに寝っ転がりながら案件の資料に目を通す。そういえば私達がどういう仕事をしているかを説明していなかったね。まあでも大よそ察しているでしょうし、わからなくてもこれから追々明らかになるんだから、特に時間を割かなくても良いでしょ。

 淡々と標的の情報を頭の中に入れていくものの、長々と綴られたテキストにだんだん目が滑っていく。調査班が徹底的に調べ上げてくれているけど、ここまでやる必要はあるのかしら。獲物の事情を気にかけた所で、どうせ結末は同じなのに。

 獲物は若い女性、選ばれた理由は……これもこの仕事をやっていたらたまに見かける理由だ。気の毒だけど、私達に目を付けられても仕方ない。

 途中まで読んでも、他愛のない事実しか書かれていない。二階のワーカーでも遂行可能な案件にしか思えなかった。あくびをかみ殺しながら読み進めていると、珍しく目に留まる情報が見つかった。

「ん? 前担当?」

 これは誰かが仕事をしくじっていると設けられる項目だった。私の前に受け持った子が何らかの要因で使い物にならなくなった為に、こちらに回ってきたのだ。

「えっ……? 二〇三番?」

 くっつきちゃんではない。あの子ならピンピンしているから担当を外されるはずがない。おそらくその前にあの部屋にいた子が担当だったのだろう。それはすなわち半年前にいなくなった新人ワーカーを指す。

「なるほどね」

 こちらに回ってきた理由も何となく察した。ショッキングな出来事に遭遇する仕事だ。新人が抜けるのはよくあること。

「まとめてヤっちゃいなさいってことね」

 私はベッドに移り、枕元の引き出しから小瓶を取り出す。中には粘り気のある琥珀色の液体が詰まっており、それを一滴だけ指に落としてぺろっと舐めた。そのまま布団に入って眠りにつく。これで仕事の準備が整った。えっ? それのどこが準備なんだって? まあまあ……見て……いなさいよ……。

 間もなく抗えない眠気がやってきて、私の意識は一旦遠のく。


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