其の五 歴史の清め屋③

「沙夜、明日はどんな予定にするんですか?」


 つき子さんのその言葉を待っていたかのように、沙夜の顔がぱぁっと明るくなる。


「よくぞ聞いてくれました、つき子さん!明日は午前中に御所へのリベンジをして、それから図書館に行きたいの」

「図書館、ですか?」


 沙夜の思わぬ言葉につき子さんが目を丸くする。そんなつき子さんへ沙夜は説明をした。

 沙夜は今回の体験をする前まで本当に歴史には無頓着だった。しかし今回、つき子さんと共に歴史を守ったことで歴史の中にある人々の想いに興味を持ったのだ。今日、明日で日本の歴史の全てを学ぶことは難しくても、せめて自分たちが関わった明治と言う時代、ひいては明治天皇について調べたいと思った。


「それは素敵な考えですね、沙夜。それでは明日に備えて今日は早めに寝ないといけませんね」


 つき子さんの言葉に頷くと、沙夜はシャワー室へと向かった。蛇口をひねるだけで温かなお湯が出てくる。現代では当たり前のそのことに、明治元年での生活に慣れていた沙夜は感動する。

 シャワーを浴びてさっぱりした沙夜は、宿に置いてあった浴衣に着替えると早々にベッドに横になって、気付けば深い眠りへとついていたのだった。

 翌日沙夜は、久々にふかふかのベッドと布団で眠ったせいか妙な感覚になりなりがら目が覚めた。それでもしっかりと眠れたことに変わりはない。


「つき子さん、おはよう」

「おはようございます、沙夜」


 あくびを噛み殺しながらの沙夜の挨拶に、つき子さんはしっかりとした声で返す。いつも沙夜よりも先にこの青年は起きていたのだった。

 沙夜は顔を洗いに洗面所へと向かう。井戸水に比べると少々ぬるく、それでも蛇口をひねるだけで波のように出てくる水道水に感謝しながら顔を洗う。

 身支度を済ませた沙夜はフロントでチェックアウトを済ませると、ナビに京都御所を入力して蛤御門を目指し歩き始めた。本日の京都も晴天で暑くなりそうだ。


 蛤御門前に到着した沙夜は門を見上げる。今日は沙夜とつき子さんを歓迎するように門は開いていた。

 中に入った沙夜は真っ直ぐに建礼門けんれいもんへと向かった。昼間の明るい時間に見ると、その門の重厚さが良く分かる。この先にはまつりごとを行った紫宸殿があるだろう。


「沙夜、中には入らないのですか?」


 観光客は皆、御所を見学するために清所門せいしょもんの方へと歩いている。沙夜はしかし、じっと建礼門を外から眺めていた。


「沙夜?」


 再度のつき子さんの問いかけに、沙夜はよしっと自身に気合を入れている。そんな沙夜の様子をつき子さんが黙って見守っていると、沙夜は清所門とは逆の方に歩き始めた。そして小声でつき子さんの問いかけに答えていく。


「中は、明治で見たからいいんだ。ただ、明治で見たものが現代にもあるって確認したかっただけだから」


 それに今後、御所の中を見る機会はいくらでもあるように沙夜は感じていた。それは漠然とした確信だった。つき子さんと言う付喪神が憑いている自分にはきっとまた、御所の中を見られるだろう、と。


(それも、当時の本物を、ね)


 そんなことを思いながら沙夜はナビに次の目的地である京都府立図書館を入力する。沙夜が今いる場所から図書館までは徒歩で30分と言ったところだろうか。


(30分かぁ……)


 他にルートがないか検索をしてみると、どうやら京都御苑の側からバスが出ているようだ。沙夜は歩くことをやめてバスで移動することにした。


 バス停でバスを待ち、目当てのバスに乗り込む。電車よりもゆっくりと流れる車窓を眺めながら目的のバス停で降りると、二条通を少し歩いていく。するとレトロな白っぽい建物が見えてくる。

 ここが本日2か所目の目的地の京都府立図書館だ。


 中に入った沙夜はどうやってこの本の中から目当ての物を見つけ出すか悩んでいた。何となく歴史の書物が並んでいそうなコーナーへと向かうが、本が多すぎて何を見たらよいか分からない。そんな沙夜の背後から、


「こんにちは、沙夜さん。何か困っとうとですか?」


 小声だったがそのしわがれた声と独特の訛りは聞き間違えるわけがなかった。沙夜が振り返るとそこには『LA』と正面に書かれた色褪せた黄色のキャップをかぶって立っている謙四郎の姿があった。


「おじいさん」

「何ば探しよっとですか?」


 謙四郎の問いかけに沙夜が明治天皇についての文献を探している旨を伝えると、謙四郎はニヤリと笑って胸ポケットからスマホを取り出す。


「そいやったら、本よりもインターネットで調べた方が早かっちゃなかですか?」


 謙四郎の言葉は沙夜にとっては盲点だった。確かにインターネットなら知りたい内容の検索ワードを入れるだけで知りたい情報が出てくる。


「便利な世の中になったたいね」


 謙四郎はそう言うと飄々とした態度で図書館を出ようとする。沙夜は反射的にその黄色のキャップを追いかけていた。

 図書館を出た謙四郎は後ろの沙夜とつき子さんを振り返ると、


「ちょっと早かばってん、ランチでも行きましょうか」


 謙四郎からの誘いに沙夜は頷くと、謙四郎の後に続いて小奇麗な喫茶店へと入って行った。奥の窓際のテーブル席に案内されて謙四郎はメニュー表を沙夜に渡す。


「好きなもんば頼んでください」


 にこにこと言う謙四郎の言葉に甘えて、沙夜はランチメニューを1つ選んだ。謙四郎はと言うと、コーヒーを1杯注文しただけだ。注文したメニューが運ばれてくるのを待っている間に、


「何でまた、明治天皇のことが知りたかったとですか?」

「それは、あの少年が一体どんな思いで生きたのかを知りたくて……」


 謙四郎の言葉に沙夜が答える。沙夜が出会った明治天皇はまだ生き方に迷いがあったように見えたのだ。その彼があの後、どのように生き、明治と言う時代を駆け抜けたのかを沙夜は知りたかった。


「そうねそうね」


 沙夜の話を聞いた謙四郎は満足そうににこにこと頷いている。そんな話をしているうちに頼んでいたランチメニューが運ばれてきた。沙夜はいただきますと手を合わせると、ランチを食べだす。

 そんな沙夜の隣の席に座っていたつき子さんが、


「謙四郎さんは何故、図書館に?」

「お2人ば探しとったとです」


 謙四郎の言葉に沙夜の手が止まる。どういう意味かを沙夜から視線だけで問われた謙四郎は、手に持っていた包みを沙夜とつき子さんの前にすっと差し出した。


「これは?」

「開けてみてください。あぁ、食べ終わってからで良かですよ」


 沙夜は風呂敷に包まれた円形の物の中身を気にしながらランチを平らげた。


「ごちそうさまでした」


 両手を合わせて言う。食前の『いただきます』と食後の『ごちそうさま』は沙夜の幼い頃からの癖なのだ。謙四郎はそんな沙夜をにこにこと見ている。

 沙夜はお冷を1口飲むと、謙四郎から差し出された包みに手を伸ばし、中を見た。


「これは……!」


 中身は見覚えのあるものだった。明治にいた頃、謙四郎が沙夜に預けた鏡だ。


「こいば、沙夜さんに渡したかったとです」

「そんなことしたら、おじいさんの付喪神が……」

「付喪神ごと、沙夜さんに譲りたかとですよ」


 謙四郎は真顔で言った。

 今回、明治元年へ行った時の沙夜とつき子さんの力は本当に凄いものだったと謙四郎は続けた。人神との直接の対峙は、謙四郎でもしたことがなかったのだ。今後もしかしたら人神は今まで以上に本気で歴史を変えに来るかもしれない。そうなった時、自分ではもう力が及ばないだろう。


「付喪神が2人揃っている状態やったら、今後も歴史ば守りやすくなると思ったとです。人の想いを守る仕事、どうか引き継いでくれんですか?」


 謙四郎の言葉に逡巡した沙夜は小さく頷くと、鏡を受け取り自身のカバンの中へと大事にしまった。それを見た謙四郎はほっと安堵するといつものにこにこ笑顔になった。


「こいで『歴史の清め屋』の誕生たいね」

「歴史の、清め屋?」

「覚えとらんとですか?沙夜さん。沙夜さんが天皇に歴史ば清めるって言うたとじゃなかですか」


 どこで知ったことなのか、謙四郎の言葉に沙夜が初めて明治天皇と出会った夜のことを思い出す。確かにそんなことを口走った気がする。咄嗟のことだったとは言え、我ながら恥ずかしいことを口走ってしまった。

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