其の五 歴史の清め屋②
「時間については以前お話したと思いますが」
「逢魔が時、だったよね。あっちの世界とこっちの世界が交わる時間」
「そうです。その時間に沙夜が居た場所が、一条戻橋です」
一条戻橋には明治時代よりもずっと昔の平安時代、安倍晴明や片腕を切り落とされた鬼女の話などが残っている。歴史的に深い橋なのだ。逢魔が時にその橋を渡ることでつき子さんの中に眠っていた、人間を過去へタイムスリップさせる力が暴走し、現在に至ると言う。
「そうだったんだ。じゃあつき子さんが力にちゃんと目覚めていたら、あの後すぐに現代に帰ることが出来ていたの?」
沙夜の質問につき子さんは
「じゃあ、結局は歴史を守らないといけなかったわけだし、つき子さんが気に病む必要はないよ」
「ありがとう、沙夜」
笑顔で言う沙夜につき子さんも笑顔を返す。2人の間に穏やかな時間が流れた。その時間を破ったのはつき子さんの意外な言葉だった。
「さっそくですが、沙夜。今夜、現代に帰りませんか?」
「今夜?また急だね、つき子さん」
沙夜の言葉につき子さんは微苦笑して答える。今夜は満月なのだと。満月には不思議な力がある。つき子さんの力はまだまだ不安定な状態なので、この満月の力を借りて現代へ帰るのだと言う。
「分かったよ、つき子さん。帰ろう、私たちの時代に」
沙夜の言葉によって、2人は夜を待って現代へと帰ることになったのだった。
その日の夜、沙夜は久しぶりに着物ではなくスーツへと袖を通していた。半年間世話になった空き家を見回し、忘れ物がないかを確認する。スーツのポケットにスマホを入れてからつき子さんを見る。
「帰ろうか、つき子さん」
つき子さんが沙夜の言葉に頷くと、ポケットの中でスマホが震えた。
『音声案内を開始します』
沙夜はこの不思議なナビに従って明治元年の夜の町を歩いていく。何も知らなかった歴史のことや、人々の生活、想い。それらに名残惜しさを感じながらも、沙夜は自分たちのいるべき時代への帰り道を進んでいく。
そしてこの時代の入り口となった一条戻橋へと辿り着いた。ナビは橋を渡るように指示している。
「沙夜、振り返ることなく真っ直ぐに橋を渡り切ってください」
「つき子さんは?」
「私も後からついて行きます」
笑顔のつき子さんへ頷き、沙夜は橋を渡り始める。橋の中央へ差し掛かった時、足元が小さく揺れるのが分かったが沙夜は歩みを止めることなく、一条戻橋を渡り切る。ぐにゃりと視界がゆがみ、広いコンクリートの道路と建物が姿を現した。遅れて町の喧騒が戻ってくる。
『音声案内を終了します』
ナビの無機質な音声に沙夜がゆっくりと辺りを見渡してみると、夕刻に差し掛かっている時間のようだ。電源が切れてしまったスマホの電源を再び入れ直し、腕時計を見てみる。明治元年では時を刻むことをやめていたアナログの腕時計は今、再び時を刻み始めていた。
小さな電子音の後にスマホの液晶画面に現在の日付と時間が表示された。それは沙夜が京都へ到着した日付を表示している。驚いて後ろにいるだろうつき子さんを振り返ろうとした沙夜は呆然とした。
「つき子さん……?」
沙夜の小さな呟きに答える優しい声音は聞こえない。人と車の往来がある町中では大声でつき子さんの名前を呼ぶのもはばかられる。沙夜は一条戻橋を戻って渡ると、きょろきょろと周囲を見渡してみる。しかしつき子さんの姿は見当たらなかった。
「どうなっているの?」
独りごちる沙夜の背後から、
「沙夜」
「つき子さん!」
「少し遅れてしまいましたね。まだ力の使い方に不慣れなようです」
困った顔のつき子さんが姿を現した。沙夜は一安心して橋の上から新緑が生い茂る桜の木を眺めた。
ガソリンくさい空気を胸いっぱいに吸い込むと、沙夜は現代に戻ってきたのだと実感するのだった。
その後沙夜は会社へと電話を入れた。開口一番に会社に自分の席の有無を確認する沙夜に、電話口の編集長は大笑いをしてもちろんある旨を伝えてきた。電話口でほっと胸をなでおろす沙夜に向かって編集長は、
「杉本、お前疲れてるんだろ?記事も写真も確認できたことだし、せっかくの京都だ。今日はそっちで1泊して、明日の夜には帰ってこい」
そう言って電話を切った。思ってもみなかった休みに沙夜は面食らったものの、ありがたく編集長の言葉に甘えることにする。沙夜は京都御苑近くの宿をスマホで予約すると、一条戻橋から一条通を御苑に向かって歩いていく。
「沙夜?晴明神社には立ち寄らなくて良かったんですか?」
一条戻橋から晴明神社まではさほど距離はない。沙夜はつき子さんの言葉に小さく頷くと晴明神社を背にして予約した宿へと向かうのだった。
宿の部屋に入った沙夜はんーと伸びをすると、ベッドへと腰を掛けた。そしてスマホの充電を始めながら液晶画面を眺めている。
「どうかしましたか?沙夜」
「んー?不思議なスマホだなぁって思ってさ」
道すがら通り過ぎていく車や人、自転車の中、沙夜は現代の時間を肌で感じていた。その間スマホのナビは明治時代の時のような妙な挙動は見せず、この宿まで正確に案内をしてくれた。
「勝手に電源が入ったり切れたり。ナビがおかしいのかなぁ?」
沙夜はそんなことを呟きながらスマホのナビ画面を見つめていた。そんな沙夜につき子さんは苦笑しながら口を開く。
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