其の五 歴史の清め屋①

 沙夜が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって謙四郎が口を開いた。


「良か報告があるとばってん」

「良い報告、ですか?」


 沙夜の問いかけに謙四郎はにこにことしながら、


「明治天皇から、歴史通り9月3日に詔書が出たことになったとよ」


 想像していなかった謙四郎の言葉に、沙夜もつき子さんも目を丸くする。謙四郎の言葉通りだとしたら、明治天皇は江戸への遷都を受け入れたことになる。


「つまり、歴史は守られたってことですか?」


 沙夜の言葉に謙四郎は大きく頷いた。


「今回は沙夜さんとつき子さんが大活躍やったね。私の予想は大ハズレやったけん」


 謙四郎はガハハと豪快に笑いながら言う。


「まさか天皇が天皇をそそのかすとは思っとらんかったけん。私もまだまだってことたいね」


 そこで言葉を区切ると、謙四郎は改めて沙夜とつき子さんの2人の方を見た。そして少し困ったような笑顔を浮かべる。


「私がまだまだやったけん、2人には危険な思いばさせてしまった。そいは本当にすまんかった」


 そう言って頭を下げる謙四郎に沙夜は慌てる。


「頭を上げてください、おじいさん!おじいさんが居なかったら、私はこの時代で生きてはいけませんでしたし」


 それに、と沙夜は続ける。

 謙四郎がいなかったら今頃つき子さんはどうなっていたか分からない、と。それに明治天皇や後醍醐天皇の動きにも一切気付けなかったに違いない。


「だから、おじいさんが謝ることは何1つないですよ。それに私は今、嬉しいんです」


 人々の想いが詰まっている歴史と言うものを守れたと言う事実が、沙夜は素直に嬉しかったのだ。


「確かに大変な体験でしたけど、それ以上に貴重な体験が出来たって思っていますから。ね、つき子さん」


 沙夜に話を振られたつき子さんは柔らかく微笑むと1つ頷いた。それを見た謙四郎の顔に、いつものにこにことした笑顔が戻ってくる。


「そげん思っとってくれとったとなら、私も嬉しかです」

「そうだ、おじいさん。これを返さないと」


 沙夜はそう言うと懐から古い鏡を取り出した。それは謙四郎が旅立つ前に沙夜へと預けたものだ。謙四郎はそれをにこにこと受け取ると、隣の空き家へと戻っていくのだった。

 つき子さんと2人きりになった部屋で、沙夜は今度は自分のカバンの中身をガサゴソと漁った。そして何かを見つけると、


「つき子さんには、これを返すね」


 そう言って禁裏の中で拾っていたつき子さんの櫛を渡す。つき子さんはそれを笑顔で受け取ると髪を結ってそこへ挿した。


 こうして一件落着してから数日が過ぎた。沙夜の身体の切り傷もほとんど治りかけていた頃、珍しく謙四郎が沙夜とつき子さんを訪ねてきた。


「あれ?おじいさん、どうかしましたか?」

「ここ数日、時間も歴史通りに流れとるみたいやっけんね。そろそろ帰れると思って挨拶ばしに来たとよ」


 謙四郎の言葉に驚いた沙夜は目を見張った。すっかり明治元年の生活に慣れていたので、帰れると言うことを失念していたのだ。


「帰り方は、つき子さん、思い出したっちゃなかですか?」


 話を振られたつき子さんは小さく頷いた。それを見た謙四郎はにこにこと満足そうにしている。


「そうしたら、沙夜さん。またどこかで会いましょう」


 謙四郎はそう言い残すと、飄々ひょうひょうとした態度で沙夜たちの空き家を後にした。残された沙夜は隣に控えているつき子さんを見上げる。


「つき子さん、現代への帰り方を知っていたの?」


 沙夜の言葉につき子さんは眉尻を下げてどう言ったものかと思案している。そんなつき子さんからの言葉を沙夜はじっと待っていると、


「実は私、付喪神としての記憶があやふやみたいなんです」


 つき子さんからの言葉は沙夜にとって寝耳に水だった。沙夜はつき子さんとの生活に不自由を感じたことはなく、それどころかその知識量に助けてもらうことの方が多かった気がする。つき子さんも沙夜との生活に不自由を感じているようには見えなかったのだが、


「記憶喪失ってこと?」


 もしそうなら大変な事ではないかと、沙夜は心配になる。そんな沙夜を安心させるように、つき子さんはいつもの柔らかな声音で答えた。


「日常生活は問題ないですよ」


 その声に沙夜がほっと胸をなでおろした時だった。


「ただ、神としての力の使い方を忘れているみたいです」

「えっ?それって大変な事なんじゃ……」


 のほほんと言ってのけるつき子さんより、話を聞いた沙夜の方が焦っている。


「この櫛の使い道も、気を失うまで思い出せませんでした。そのせいで沙夜には怪我をさせてしまいましたね。申し訳ないことをしました」


 つき子さんが深々と頭を下げるのに、沙夜は慌ててしまう。確かに怪我はしたが、それはつき子さんのせいではない。それにつき子さんの方がかなりの重傷だった。それは沙夜をかばい続けた結果なのだ。


「つき子さんのせいじゃないから!だから顔を上げて!」


 沙夜の言葉に頭を上げたつき子さんは、もう1つ沙夜に謝ることがあると言った。


「実は、沙夜がこの時代に来てしまったのも、私のせいなんです」

「へ?」


 思ってもみなかったつき子さんの言葉に沙夜は間の抜けた声をあげてしまう。つき子さんの話では、沙夜が明治時代にタイムスリップした場所と時間が関係するそうだ。

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