其の四 駆け引き①
夜を待って沙夜とつき子さんは再び御所の中にある禁裏へとスマホのナビを使って向かっていた。沙夜は今夜、何としても後醍醐天皇の思惑を阻止するつもりだった。
昨夜と同様、御所内には人っ子1人いない。沙夜は誰にとがめられることもなく昨夜と同じ庭先へと立った。
『音声案内を終了します』
無機質なナビの音声が静かな庭に響く。それが合図だったと言わんばかりに昨夜の少年が顔を出した。
「お主は!昨夜と言い今宵と言い、どうやってここまで来た?」
少年は沙夜を警戒しているようだった。沙夜が何と答えようかと逡巡している時、少年の背後の空間がゆらめき人神が姿を現した。
「この者は、朕に用があるようだ」
「なっ!誰だ!」
「少し黙っておれ」
人神の言葉を受けた少年は背後を振り返ろうとした瞬間にその場でぱたりと倒れてしまう。
「明治天皇!」
沙夜は咄嗟に少年へと駆け寄ろうとするが、建物へと入ることが叶わなかった。沙夜を拒絶するように見えない壁が建物の周囲に出来ているようだ。
「沙夜!」
見えない壁に弾かれて転んだ沙夜のもとへつき子さんが駆け寄る。
「案ずるな、小娘。少し眠ってもらったまでよ」
人神はそこで言葉を切ると、庭にいる沙夜に向かって嘲笑を送った。
「平民には、地べたがよう似合いますなぁ」
「後醍醐天皇……!」
沙夜は立ち上がり着物の砂を払いながら人神を睨みつけた。そんな沙夜へとつき子さんが冷静な言葉をかける。
「沙夜、冷静に。相手の挑発に乗ってはいけませんよ」
つき子さんの言葉を受けた沙夜は深く深呼吸をした。
(ここで感情的になったら、昨日の二の舞だ)
少しずつ冷静さを取り戻した沙夜はじっと人神を見据えた。
「あなたが行った建武の新政、失敗していますよね?」
沙夜の言葉を聞いた人神のこめかみがぴくっと反応した。
「なぜだか分かりますか?あなたが、人の想いに気付かず、踏みにじったからですよ」
「黙れ、小娘!」
「黙りません」
声を荒げる人神に、沙夜はぴしゃりと言う。人神から他人を見下したような笑いが消え、余裕がなくなっているのが分かる。そんな人神に沙夜は続けた。
「人の想いをないがしろにするあなたは、歴史を変えることは出来ない。天皇と言う地位に執着しているあなたの思い通りには、させない!」
「神にたてつくか、小娘!」
沙夜の言葉に人神から完全に余裕がなくなる。人神は自らの袂から
「うづもるる身をば
「何?」
人神の朗々とした声が響く。沙夜が何が起きているのかと身構えていると、つき子さんが空を見上げて言う。
「沙夜、空が」
その声に沙夜が空を見上げると、月がどんよりとした雲に覆われていく。そしてその雲からひらひらと何かが舞い降りてきた。それを手に取った沙夜が、
「雪……?っいた!」
雪と認識した瞬間、すっと溶けた雪が刃物のようになり、沙夜の手のひらを傷付ける。ひらひらと舞う雪は容赦なく沙夜とつき子さんに降り注ぎ、2人の着物や顔に傷をつけていく。
「ふしわびぬ霜のさむき夜の床はあれて袖にはげしき山おろしの風」
何が起きているのか理解する間を2人に与えず、人神は再び歌を詠みあげた。すると穏やかだった天候が一変する。ひらひらと舞っていた雪は暴風雪へと変わり、寒風が吹き荒れた。
「いたっ!」
寒さと刃物のような雪に耐えられなくなった沙夜はその場にしゃがみこんだ。つき子さんはそんな沙夜を守るように上から覆いかぶさる。
「つき子さん?何しているの?」
「沙夜は女の子ですから。傷をつけるわけにはいきません」
つき子さんは笑っていたが、その笑顔は痛みを耐えてゆがんでいた。
「ほう。非力な付喪神が人の子を守るか」
「私は、沙夜が守ると決めた人々の想いを、一緒に守ります」
つき子さんはしっかりと人神の方を見据えて言い切った。人神は自分が優勢と見ると、余裕を取り戻しつき子さんの言葉に笑みを深くした。
「神が、人の世の歴史に介入するか」
どこか人を馬鹿にした人神の言葉に、つき子さんは痛みに顔をゆがめながらそれでも笑顔で言葉を返す。
「それは、こちらの台詞ですよ、人神」
つき子さんの言葉を聞いた人神は空を見上げて高笑いをした。その笑いに呼応するように、暴風雪はその勢いを増していく。そしてその雪は容赦なく沙夜をかばっているつき子さんへと襲い掛かった。
つき子さんの着物はもうボロボロだ。破れた着物の隙間からも容赦のない雪が刃物となって襲ってくるため、つき子さんの全身からは血が流れている。その血はつき子さんの白い着物を赤く染め上げるのだった。
「いつまで耐えていられるかな?付喪神よ」
ボロボロに傷付いていくつき子さんの様子をおかしそうに笑いながら人神が眺めている。
「つき子さん!」
沙夜は泣きそうになりながら至近距離にあるつき子さんの顔を見上げる。
「大…丈夫、ですよ、沙夜」
つき子さんはそんな沙夜を安心させるために痛みにゆがむ顔に笑顔を浮かべるが、今の沙夜にはそんなつき子さんの表情に胸が痛む。
「もういい、もういいよ、つき子さん!私のことは大丈夫だから」
「駄目…ですよ。女の子が…傷を、作って、は……」
そう言うと、つき子さんは力なく全体重を沙夜に預けた。暴風雪は収まる気配を全く見せていないが、つき子さんにかばわれている沙夜には当たらない。
「つき子さん?……つき子さん!」
「他愛ないのう。無力な神よ」
何がおかしいのか、人神はくつくつと喉で笑っている。つき子さんはぴくりとも動かなくなってしまった。
「許さないから、後醍醐天皇……。そうやって、建武の新政でも人々の想いを踏みにじってきたんでしょう?」
「何とでも言うが良いさ、小娘。力を持つものが世を動かす、それが常であろう?」
人神は負け犬の遠吠えを聞くかの如く沙夜を見下して言う。
「違うよ。世の中を動かしているのは、いつだって歴史に名前を残さない人々の想いなんだ」
沙夜の静かな怒りに人神は気付いていない。小さな沙夜の呟きも届いていないようだ。
「つき子さん、守ってくれてありがとう」
沙夜は動かなくなったつき子さんを自分の
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