其の四 駆け引き②

「立ち上がる、か、小娘。さりとて、お主に出来ることなどあるまい?」


 建物の中で余裕の笑みを浮かべる人神に向かって、沙夜は無言で1歩を踏み出した。そして1歩1歩着実に前へと進み、見えない壁の前までくる。沙夜はその壁へとゆっくりと手を伸ばした。まるで沙夜にはその壁が見えているかのように。


「悪あがきよのう」


 人神の余裕な態度は変わらない。


(つき子さん、力を貸してね)


 沙夜はそう念じると壁へと手をついた。その瞬間、ガラスが割れるような音が周囲に響き渡った。


「何っ?結界が!」


 その様子を見ていた人神は狼狽ろうばいを隠せない。心が明らかに乱れた人神に呼応して、暴風雪の勢いが弱まった。沙夜がそのまま建物内の人神へと近付こうとした時だった。


「沙夜、そこから先は土足厳禁ですよ」


 聞き慣れた優しい声音が響いた。沙夜が反射的に振り返ると、


「つき子さん!」


 全身がボロボロになっているつき子さんが立ち上がって沙夜の方を優しく見守っている。


「非力な付喪神め!」


 忌々しそうに毒づく人神へ、つき子さんは鋭い視線を向ける。


「いいえ、私は非力ではありませんよ」

「つき子さん?」


 沙夜が不思議そうにつき子さんを見ていると、つき子さんは自身が身に着けていたくしを髪から抜いた。


「我、クシナダヒメより命を受けし付喪神なり」


 そして櫛の歯を人神へと向ける。


「そのような粗末な櫛で一体何が出来る?」


 立ち上がったつき子さんに驚きつつも、人神は引きつった笑みを浮かべている。対するつき子さんは余裕の笑みで、


「逃げ足の速い人神を、逃がさないようにすることは出来ますよ」


 そう言うと櫛の歯を人神に向かって投げつける。するとその櫛の歯が筍へと変わり人神の足元に生える。つき子さんはそれを確認すると胸の前でぱちんと両手を合わせた。筍は一気に竹へと成長し、人神の周囲を囲んでしまう。


「何事だ!」


 周囲を囲まれた人神は予想外の展開に完全に余裕をなくしてしまう。それに呼応して吹き荒れていた暴風雪もやんでいく。

 沙夜はこの隙を逃がさず、草履を脱いで建物の中へと入ると人神の傍へと駆け寄った。そして人神が携えていた短刀を引き抜くと、その切っ先を人神の喉元へと押し当てる。


「あなたの負けです、後醍醐天皇」

「くっ!」


 沙夜の言葉に人神は悔しそうに唇を噛んでいる。


「人の想いをないがしろにしたこと、後悔してもらいます」


 沙夜が冷たい視線で人神に言い放つと、


「ながむるをおなじ空ぞとしらせばや故郷人も月はみるらん」


 人神は悲しそうな目をしながら歌を詠み、沙夜の持っていた短刀と共に光る粒子となって消えていった。どんよりと空を覆っていた雲は歌と共に晴れ、空には明るい月が顔を出している。


「どうやら、引いてくれたようですね」


 つき子さんがそう言って両手を下ろすと、生えていた竹は姿を消して1つの櫛が部屋の中央に落ちた。沙夜がそれを拾ってつき子さんのもとへ戻ろうとした時だった。


「……ん……」


 床で倒れていた少年の意識が戻った。沙夜は少年のもとへと近付く。


「気付かれましたか?天皇」

「お主は……?朕は一体……?」


 まだ少しぼーっとしている少年を抱き起しながら沙夜は言う。


「数々のご無礼、ご容赦ください」

「お主!その怪我は一体どうした?」


 少年は沙夜の顔や腕についた傷を見て驚いている。沙夜は困ったように笑うと、


「私の怪我など大したことはありません。それよりも天皇。どうか、薩長の思惑などではなく、日本の未来のことを考えた采配を取ってください」

「日本の、未来?」


 沙夜は少年に向かって深く頷いた。


「沙夜、人が来ます。ここは去りましょう」


 つき子さんの言葉に沙夜は立ち上がると、もう1度少年を振り返った。


「天皇、人々の想いに寄り添ってください」


 沙夜はそれだけを言い残すと庭へとおりてつき子さんと共に急いで空き家へと戻っていった。


「人々の想いに寄り添う、か……」


 残された少年は沙夜が去っていった庭先を眺めている。その目は何かを決意したようだった。


「天皇!ご無事ですか!」


 そこへ少年の部屋へ駆けつける者がいた。少年はその者へ、

「朕は無事だ。それより人々を集めよ。緊急の話がある」




沙夜とつき子さんは夜の一条通を歩きながら空き家へと向かっていた。


「つき子さん、怪我は大丈夫?」

「大丈夫ですよ、歩けますから」


 沙夜はボロボロになっているつき子さんを見上げながら、それでも普段よりもゆっくりとした足取りで歩いている。空は先ほどまでの悪天候が嘘のようにすっかり晴れており、柔らかい月明かりが2人を照らしていた。

 沙夜はそんな夜空を見上げながら、


「後醍醐天皇の、天候を操る力って何だったのかな?」

言霊ことだまですよ」


 ぽつりと呟いた沙夜に、つき子さんが簡潔に答えた。

 言霊。それは言葉に魂が宿ったものを言う。人神の和歌には人神の魂が宿っていたのだ。


「でも、最後の和歌は雰囲気が違ったね」

「そうですね」


 最後に人神が詠んだ歌。それは、どこで眺めていても空にある月は同じであると、故郷の京の都の人々にも教えたい、そう言う歌だ。


「何だか、都への執着心も感じられるけど、それ以上に寂しそうな感じのする歌だったな」


 沙夜がしみじみと歌の意味を噛みしめていると、つき子さんが突然思い出したかのように口を開いた。


「沙夜。人神に短刀を突き付けていましたが、あのままもし人神が引かなければどうするつもりだったんですか?」


 つき子さんの疑問を受けた沙夜は、ん~と空を見上げて考える風だ。


「正直、あの時は無我夢中で何も考えてなかったなぁ」


 しかしもしあの場で人神が抵抗していたら、容赦なく短刀を引いていたかもしれないと、沙夜は続けた。


「そうなっていたら、私、もしかしなくても神殺しの重罪人になっていたのかな?」


 はたと気付いた沙夜はそこで事の重大さに立ちすくんだ。突然立ち止まった沙夜を見て、つき子さんはくすくすと笑っている。


「笑いごとじゃないよ!つき子さん!」

「大丈夫ですよ、沙夜」


 沙夜は人神の持ち物を使っていた。人神の持ち物はそれも含めて人神なのだとつき子さんは言う。そのため、あの場で沙夜が短刀を引いていたとしても、神殺しにはならないのだと。それは人神自身が良く分かっていることなので、人神はあの場を立ち去ったのだ。


「それに、沙夜を神殺しになんてさせません。神を本当の意味で抹殺できるのは、神のみです」


 つき子さんの言葉を受けた沙夜は複雑な気持ちになる。神のみが神を殺せるのだとしたら、いつかつき子さんが神を殺す、そんな日が来るかもしれないと漠然と思ったのだ。


(つき子さんが神殺しにならないためにも、ずっと一緒にいないとね)


 沙夜が密かにそう決意していると、


「さぁ、沙夜。帰りましょう」


 沙夜はつき子さんに促される形で、再び一条通を空き家へと向かって歩き始めるのだった。

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