其の三 明治天皇④

「お主に朕の何が分かると言うのだ!」


 激昂する少年に沙夜は冷ややかな視線を向けた。


「少なくとも、あなたが自分本位であることくらい分かります」

「なっ、何をっ!」

「今、薩長がどんな想いで戦っているのか、この国をより良くするために戦っていることを、ご存知ですか?」


 諸外国の脅威に立ち向かっていること、大陸のように諸外国に日本を蹂躙じゅうりんさせないために。そのために彼らは刀を捨てて近代兵器を手に戦っているのだ。


「今のあなたの考えは、そんな彼らの想いを踏みにじるものです」


 沙夜の言葉を聞いた少年の瞳が揺らいだ。少年は呆然としている。するとそんな少年の背後の空間がゆらめき、人の形を作っていった。


「誰?」


 沙夜の問いかけにはっきりと人の形となった人物が口を開いた。


「やれやれ。はっきりと物を言う小娘だ」


 その声は地を震わせるほど低く、唸るような口ぶりだった。


「あれは、人神」


 今まで黙っていたつき子さんが人影を見て言う。つき子さんの声が聞こえたのか、人神はニヤリと笑みを深くした。


「いかにも。朕が神だ」


 その声を聞いた沙夜が直接人神に問いかけた。


「あなたはなぜ、歴史を変えようとしているの?」


 沙夜の問いかけに人神は冷ややかな視線を向けてくる。


「小娘、お主はなぜ生きている?」

「え?」


 沙夜は人神から何を問われているのか分からずに即答できずにいた。そんな沙夜を嘲るような笑みを浮かべて人神は見る。


「即答できぬよな。現代人は皆、そうであろう?」


 人神の嘲るような言葉は続く。

 現代人には志がないのだと。だから時間を無駄に食い潰して、惰性で生きている。そして困った時、都合の良い時だけ思い出したかのように神頼みをしてくるのだと。


「それもこれも、武士の魂が現代では失われているからだ。朕は、現代に武士の魂を蘇らせる。それのどこがいけないことだと言うのだ?現代を生きる小娘よ」


 人神の主張は暴論だと思いながらも、沙夜は返す言葉が見つからず下唇を噛んだ。そんな沙夜の様子に人神は勝ち誇ったように笑う。


「お主は、歴史を守れない」


 そんな人神に、つき子さんが言葉をかけた。


「あなたは明治以降の歴史を、どうしたいのですか?」


 つき子さんの言葉に人神は笑みを深くする。


「無論、武士の魂を残した天皇支配の日本に作り替える」


 その言葉を聞いた沙夜は何も言えなくなる。そんな沙夜につき子さんは、


「沙夜、今夜は帰りましょう」


 つき子さんに促された沙夜は、渋々その場を後にするのだった。





「くーやーしーいー!何あの人!」


 空き家へと戻った沙夜は地団駄を踏んでいた。


「あの人を見下した態度!腹立つなー!もう!」

「まぁまぁ、沙夜。落ち着いて」


 つき子さんはそんな沙夜を苦笑気味になだめている。


「あれが神様のとる態度なの?そもそもあの人神は誰なわけ?」


 沙夜の当然の疑問につき子さんは何でもないことのように答えた。


「あの人神の正体は、おそらく後醍醐天皇ごだいごてんのうでしょう」

「後醍醐天皇?」


 聞き慣れない名前に沙夜の頭上に疑問符が浮かぶ。そんな沙夜につき子さんは、


「今日はもうだいぶ遅い時間になってしまいました。明日詳しくお話しますので、今日はもう寝ましょう、沙夜」


 つき子さんの言葉に沙夜が窓から夜空を見上げると、月は高くに昇っている。確かにもう真夜中に差し掛かろうとしているようだ。沙夜は夜着に着替え就寝の準備を始めるのだった。


 翌日、沙夜は朝の身支度を整えるとつき子さんの方を改まって見ていた。


「つき子さん、後醍醐天皇について教えてください」


 沙夜の言葉につき子さんは優しく頷いた。

 後醍醐天皇。その人は足利尊氏あしかがたかうじらの協力によって鎌倉幕府を滅ぼした人物である。その際2度の倒幕に失敗しているもも、諦めることなく挙兵し、鎌倉幕府を倒している。


「その後、建武けんむ新政しんせいを行うのですが、これは3年ほどで終わりを迎えます」

「たったの3年?」


 沙夜の疑問につき子さんは頷く。

 建武の新政が短命に終わったのはその政策にあった。実際に血を流して鎌倉幕府を倒した武士たちへほとんど恩賞を与えず、公家くげや朝廷勢力に多くの土地を分け与えたのだ。


「その政策は多くの武士たちの反発を生みました。そして『天皇の自分こそが絶対』としていた建武の新政は終わりを迎えるのです」

「なんか、凄い自分勝手な人に聞こえるんだけど」


 沙夜の感想につき子さんは苦笑を返した。


「建武の新政が失敗しても、その後醍醐天皇なら他に何かやらかしそうね」


 沙夜の嫌そうな言葉に、つき子さんは続けた。


「そうですね。建武の新政が失敗した後、後醍醐天皇は正統な天皇家の証である三種の神器を持って、吉野へと逃れます」


 そしてその後、北朝と南朝に分かれた南北朝時代が約60年続くことになるのだ。


「何それ。天皇って言う地位への執着心が凄い人ね」


 沙夜は呆れたように言う。そんな沙夜につき子さんは苦笑しっぱなしだ。


「でも、なんか納得した。自分のことを絶対って思っているから、あんな横柄な態度でいられるんだわ」


 思い出されるのは昨夜の人神の嘲笑だった。その顔を思い出しただけで沙夜の中にふつふつと怒りが生まれてくる。


「人の気持ちが分からない人に武士の魂なんて語って欲しくない」

「沙夜。感情論だけでは人の心は動かせませんよ」


 つき子さんの冷静な言葉を受けた沙夜は、


「そうね。ここは冷静に今ある問題を見つめないと」


 そう言うと沙夜は深呼吸を繰り返して、冷静さを取り戻していくのだった。

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