其の三 明治天皇③

「鏡が、光ってる?」


 沙夜はゆっくりと鏡へと向かった。預かっていた鏡を覗いた沙夜は驚いた。鏡には自分の姿ではなく謙四郎の姿が映し出されていたのだ。


「良かった、通じたばい」

「どうしておじいさんが?」


 まるでテレビ電話でもしているかのような状態に沙夜が疑問に思っていると、鏡の向こうの謙四郎は、


「付喪神の神通力たい」


 と手短に答えた。


「そげんことより、京の様子はどげんね?」

「至って平和で、何の変化もないですよ」


 沙夜の言葉に謙四郎が少し焦った様子を見せた。


「明治天皇から詔書しょうしょは出とらんね?」

「そのような話はないですね」


 答えたのは冷静なつき子さんの声だった。つき子さんの返答を聞いた謙四郎がしまった、と言う顔をする。


「やられた!今日までに江戸を東京にする詔書ば天皇が出さんば、歴史が変わってしまう!」

「え?それはどう言う……」


 意味ですか、と続くはずの沙夜の言葉は、ただの古びた鏡に戻ったことで続かなかった。どうやら付喪神の神通力が限界だったようだ。

 沙夜はつき子さんを見上げる。つき子さんは何か考えている風だったが、すぐに思い出したように口を開いた。


「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書……?」

「江戸を……何?」


 江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書。それは明治元年9月に明治天皇が発した詔勅しょうちょくである。今後の政務を江戸で執ることを宣言し、また江戸を『東京』と改称する内容だ。


「つまり、その宣言が出されていないと言うことは……」

「江戸は江戸のままで、東京が誕生しないことを意味します」


 つき子さんの冷静な言葉を聞いた沙夜は血の気が引いていく。


「それは首都が京のままで、東京の発展もなくなって……」

「歴史が大きく変わりますね」


 つき子さんの言葉を受けた沙夜はパニックになる。夜だと言うのに着替えを始めたのだった。


「沙夜?何をしているんですか?」

「明治天皇に会ってくる!」


 パニックになった沙夜は自分が何を口走っているのか分からないでいた。そんな沙夜につき子さんが冷静な言葉をかける。


「沙夜、相手は殿上人てんじょうびとですよ。そう簡単に会えません」

「そうだけど、御所に行ってみたらあるいは!」


 つき子さんの呆れた声を聞いても、沙夜は着替えの手を休めない。夜着から着物へと着替え終わった頃だった。


『音声案内を開始します』


「え?つき子さん、今何か言った?」

「いいえ、何も」


 聞き慣れたような機械音声が部屋に響いた気がした。沙夜はもしかしてと思い、カバンの中にしまってあったスマホを取り出す。電源を切っていたはずのスマホの液晶画面は光っており、どこかの地図が表示されていた。


「何これ、どう言うこと?」


 地図はどこかへと続く経路を示している。沙夜は画面をスクロールして行き先を確認すると、その目的地は御所の中になっている。


「もしかして、明治天皇のところへ案内してくれるの?」


『音声案内を開始します』


 沙夜の疑問にスマホのナビが再び無機質な機械音声で答えた。


「ちょっと胡散臭いけど、これで明治天皇のところへ行けるかもしれない。行こう、つき子さん!」


 沙夜はつき子さんにそう言うと、ナビに従って御所の中を目指し家を飛び出したのだった。




 ナビ通りに進んでいると、現代では閉まっていた蛤御門へと辿り着いた。既に日は沈み切っており、夜も深い時間に差し掛かろうとしているのに、蛤御門は開いている。そしてその門を守っているだろう人の影は見当たらなかった。


「何で……?」


 さすがの沙夜でもこれが異様な状況なのは理解出来た。ナビはこの蛤御門の先へ行くように指示を出している。


「ここで手をこまねいていても仕方ない、か」


 御門の外で腹をくくった沙夜は慎重に歩みを進める。そして蛤御門の中の光景に息を飲んだ。中は小さな町のようになっており、道が綺麗に整備されている。そして大小さまざまな屋敷が軒を連ねている。しかし外を歩いている人影はなく、いくら夜と言えどその奇怪な有様に沙夜の足も進みが遅くなる。


 ナビは蛤御門から中央へ直進するように指示をしていた。その左手には高い塀で囲まれている建物があった。ここが天皇の住まいである禁裏きんりだ。

 沙夜とつき子さんは南門から禁裏の中へと入った。玉砂利を踏みしめる足音が周囲に響いている。沙夜はナビ通りに禁裏の中を進み、ある建物の前まで来た。広い庭に池まである。


『音声案内を終了します』


 そこで突然、ナビが案内を終了した。


「嘘でしょ?ここからどうしろと……」

「誰かおるのか」


 庭の木の陰に身を潜めていた沙夜へと誰何すいかの声がかかる。声の主はまだ若いように聞こえた。


「そこにいるのは誰かと聞いている」


 再びの声に、沙夜はすごすごと庭の中央へと出た。沙夜の姿を認めた声の主が少し警戒を緩めるのが分かった。


「何だ、おなごか。そこで何をしておる?」


 沙夜に声をかけているのはまだ年若い少年だった。沙夜は傍にいるつき子さんへ、


「この人が、明治天皇?」


 小声での沙夜の疑問につき子さんは1つ頷いた。


「他に誰かおるのか?」


 少年にはつき子さんの姿が見えていないようだ。沙夜は少年を真っ直ぐに見据えると、単刀直入に疑問を口にした。


「なぜ、江戸への遷都をなさらないのですか?」


 沙夜の言葉に少年の顔がこわばる。少年は上ずった声で、


「お主、何者だ?」


 その当然の問いかけに、沙夜は少し考えて口を開いた。


「私は、歴史を清めるものです」

「歴史を、清める?」


 少年は沙夜の言葉に少し考える風だったが、はたと気付いて言葉を続けた。


「お主、この先の歴史を知っておるのだな?」


 少年からの言葉に、沙夜はぎこちなく頷いた。


「ならば知っておるはず。この先も戦は続き、人々の血が流れることを。それは朕の本意ではない」


 少年の言葉を聞いた沙夜は何も言えなくなる。そんな沙夜に少年は、それにと言葉を続けた。


「それに、朕はこのまま薩長の傀儡かいらいにはなりとうない」


 その言葉を聞いた沙夜はぴくりと眉根を寄せた。


「そっちが本音ですね?」

「何?」

「薩長の操り人形になりたくない。それがあなたの本音ですよね?」


 冷めた視線を向けられた少年は顔を真っ赤に染めた。

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