其の二 王政復古の大号令⑥
「これが、戦争……」
長距離を歩いてきた疲れなど忘れて、鳥羽・伏見の戦いの跡に見入っている沙夜に、つき子さんが声をかける。
「沙夜、あそこ」
つき子さんが指をさした先、そこには旅装束に身を包んだ人影が倒れていた。
「大変!」
沙夜は瓦礫をかき分けながらその倒れている人影に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
沙夜の呼びかけに人影はぴくりと反応した。そしてのそのそと身体を起こすと、ゆっくりと沙夜たちを振り返る。
「あなたは?」
振り返った人影の声を聞いた沙夜は少し驚いた。澄んだ高いその声が女性のものだったからだ。
「沙夜と言います」
沙夜はその声の質問に答えた。女性はごしごしと目元をこすると、
「その言葉、京の方ではありませんね?」
女性からの鋭い言葉に沙夜は一瞬たじろいだ。
「まぁ、その……はい」
沙夜は女性の方を真っ直ぐ見ていられず、その視線が泳いでしまう。未来からやってきたことは口が裂けても言えない。そんな沙夜の返事を聞いた女性の顔が明るくなる。
「もしやあなたも、江戸から上ってきたのですか?」
「そう、ですね」
正確には江戸ではなく東京なのだが。そんなことを考えていると返す言葉も自然と歯切れが悪くなってしまう。しかし女性はそんな沙夜の微妙な変化に気付いていない。
「そうなんですか!良かった、同郷の方とお会いできて!私、
菊と名乗った女性が嬉しそうにそう言った。沙夜は菊に気になっていたことを尋ねた。
「お菊さん、なぜこんな所に倒れていたんですか?」
「それは……」
明るかった菊の表情が一瞬で暗くなる。
「沙夜、ここは危険です。場所を移しましょう」
話が長くなりそうだと踏んだつき子さんの言葉に沙夜は頷くと、菊に場所を変えようと提案した。
沙夜たちはそこからほど近い神社へと移動していた。閑静な神社の境内で、菊がぽつりぽつりと上京してきた理由を話し出す。
「お沙夜さんは、
「新撰組……、名前だけなら、はい」
新撰組は江戸幕末期に組織された。その目的は京都の治安維持だ。
「実は、私の
菊の口から出た言葉に沙夜は目を見張った。
菊の許嫁は身分の低い、武士とは名ばかりの家柄だった。剣術も学術も努力してやっと人並みだった彼は、江戸での新撰組隊士募集を見て胸が躍ったそうだ。
「俺もようやく、一人前の武士として堂々と刀を差せる、と。彼は笑っていました」
『京の都で活躍して、お菊や母様たちの暮らしを楽にさせる!』
そう夢を見て上京してきたそうだ。それからしばらくは、定期的に
「今年に入ってから、それらはぱたりとなくなりました」
彼に何かあったのだろうか。菊は不安な日々を過ごす。ただただ彼の無事を祈って過ごした日々は突然終わりを迎えた。
「先日、我が家に新撰組の隊士だったと言う方が現れまして……」
そして告げられた残酷な現実。
「彼は、彼は最期の時まで勇敢に戦っていたそうです。しかし、近代兵器を前にしては、彼にもなす術はなくて……」
獅子奮迅の健闘もむなしく、あっけなく銃弾に倒れたと言う。
菊はそこまで話すと目を伏せた。その目からは今にも涙が溢れだしそうになっていたのだが、必死にそれを堪えているように見えた。沙夜はそんな菊にかける言葉が見つからない。ただ黙って菊の話に耳を傾けることしか出来なかった。
「あそこで横になっていたのは、そんな彼が最期に見た景色を目に焼き付けるためです」
そうすることで、遺された自分は前に進める気がしたのだと、菊は語った。
「前に、進めそうですか……?」
恐る恐る尋ねた沙夜に、菊は笑顔を返す。それは痛々しくもあり、どこか吹っ切れたような美しい笑顔だった。その笑顔を見た沙夜は咄嗟に疑問を口にしていた。
「お菊さんは、新撰組を恨みますか?自分の許嫁を戦場に駆り出すことになった新撰組を!」
張り裂けそうな胸の中の叫びを口に出した沙夜に、菊は笑顔で即答した。
「恨んだりしていません。むしろ感謝しているくらいです」
その言葉と表情に嘘偽りは感じられなかった。
「彼を、幼い頃から夢見ていた本物の武士にしてくれたのは紛れもなく新撰組です。そして最期の時まで武士らしくいさせてくれました」
そうやって、最期まで武士であり続けた彼のことを誇りに思うと、菊は続けた。その言葉を聞いた沙夜は大きく目を見張る。そして菊はなんと強い女性なのだろうと思った。自分と大差のない年齢の菊の思いは、沙夜には到底及ぶことのできない領域のものだったのだ。
菊は黙って空を見上げる。その横顔はどこか清々しさを沙夜に与えた。
「すっかり話し込んでしまいました。お沙夜さん、聞いてくれてありがとう」
菊は沙夜に笑顔で言う。
「そんなっ!私、本当に聞くことしかできなくって……」
慌てる沙夜の様子に菊にくすりと笑った。
「お沙夜さんは可愛らしい方ですね。きっと育ちも良いのでしょうね」
菊に言われた沙夜は恥ずかしくなって俯く。
「それでは私はこれで……」
菊は別れの言葉を残して神社を後にした。菊が去った境内で、沙夜は空を見上げる。
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