其の二 王政復古の大号令④

「そいは良かったです」


 謙四郎のその余裕のある態度に沙夜は一瞬自分が訪ねた理由を忘れそうになった。


「沙夜」


 そんな沙夜へとつき子さんが優しく呼びかける。その声を聞いた沙夜ははっとして再び謙四郎へと声をかけた。


「おじいさん!どうやったら現代に戻れるんですか?」


 切羽詰まった沙夜の声音とは裏腹に、謙四郎はのほほんとして言う。


「どげんやったかねぇ……」


 あまりにものほほんとしたその声を聞いた沙夜は、草履を脱ぐと部屋の中央へと上がり込み、そのまま謙四郎に詰め寄った。


「私、仕事があるんです!早く戻らないと……!」


 今にも泣きだしそうな沙夜の声を聞いた謙四郎はゆっくりと沙夜を見やって言った。


「時代ば行き来する方法は、それこそ神のみぞ知るとです」


 ただ1つ言えることは、人神から歴史を守った時、そう神が判断した時に、ふとした拍子に帰れるのだと言う。


「そいまでは、気長に待つしかなかとですよ」


 飄々と言ってのける謙四郎に沙夜は本日3度目の肩を落とした。


(これはもう、クビを覚悟するしか……)


 そう思うと同時に、深く大きなため息が沙夜の口からついて出た。そんな沙夜の様子を見ていた謙四郎がにこにこと声をかけてくる。


「そげん落ち込まんでください。神様も、悪魔じゃなかけん。それよりも沙夜さん、腹は空かんですか?」


 謙四郎の言葉を聞いた瞬間に、沙夜の腹の虫がぐぅ~とひと鳴きした。沙夜は恥ずかしさから思わず下を向いてしまう。謙四郎はその音を聞いてガハハと豪快に笑った。


「良かタイミングで鳴りましたね」


 そう言って立ち上がると、謙四郎は奥へと引っ込んでしまう。そしてしばらくしてから湯気が立ち上った盆を持ってきた。


「あんまりおいしゅうはなかかもしれんばってん、食べてください」


 沙夜は差し出された盆を受け取る。


「ありがとうございます」


 そうして沙夜は遅い朝食を摂るのだった。そんな沙夜の近くに黙って立っていたつき子さんが謙四郎へと尋ねた。


「謙四郎さん、ここは明治元年の、具体的にはいつなのですか?」


 つき子さんの言葉を受けた謙四郎は真っ直ぐにつき子さんを見つめて言った。


「今は4月です。そして先日、江戸城が無血開城されたそうです」

「江戸城無血開城、ですか」

「はい。今のところ歴史は、順調に流れております」


 謙四郎はつき子さんの言葉に恭しく答えた。2人の会話を聞いていた沙夜は食べていた手を止めると、


「つき子さん、江戸城……、何?何が今起きているの?」

「そん話ばする前に、今年に入ってからの流れば説明しましょう」


 謙四郎はそう言うと、懐から紙と筆を取り出した。


「まずは今年に入った1月の出来事から……」


 そう言うと謙四郎は紙に年表を書いていく。




1868年1月 王政復古の大号令




「沙夜さん、王政復古の大号令は知っとりますか?」

「すみません……、聞いたことはあるんですけど、内容までは良く分かっていないです……」


 謙四郎の問いかけに沙夜は少し恥ずかしくなりながら答えた。


「王政、つまり朝廷の政治が復活すると言う合図ですよ」


 つき子さんが横から説明してくれる。


 この王政復古の大号令は、それまで政権を握っていた江戸幕府がその政権を朝廷に返したことにより行われた。この江戸幕府の行動により、鎌倉幕府以降約700年近く続いていた武家社会に終止符がうたれることとなる。


「その王政復古の大号令の直後に起きたことが……」




1868年1月 鳥羽・伏見の戦い




 京都の鳥羽・伏見にて、薩長を中心とした新政府軍と、徳川家を擁護する旧幕府軍が衝突した戦いだ。この戦いが今後の戊辰戦争の初戦となる。


「その後、戊辰戦争の戦線は北上していくとです」


 鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍はその後、大坂城を目指し、その戦線を北上させていく。そして今まさに、江戸が戊辰戦争の渦中にあるのだった。


「つまり今は戊辰戦争、内戦の真っただ中にあると言うことですか?」

「そん通りです」


 沙夜の言葉に謙四郎は神妙に頷いた。


「そして先日行われたことが……」




1868年4月 江戸城無血開城




 明治新政府軍に旧幕府軍の本拠である江戸城が引き渡されたのだ。


「これにより、徳川の時代は名実共に終わりを迎えたと言って良いでしょう」

「じゃあ、もう戦争も終わるのね?」


 つき子さんの言葉を聞いた沙夜が尋ねると、


「いいえ。戦線は更に北上を続け、歴史上では蝦夷地、今の北海道函館にある五稜郭の戦いまで続くとです」




1869年5月 五稜郭の戦い




 沙夜はそうして謙四郎が書き上げた年表をまじまじと見つめた。


「長い内戦だね。1年半近く、旧幕府軍と明治新政府軍が戦い続けるんだね」


 戦争や内戦とは無縁に生きてきた沙夜には、今がその渦中であると言う実感が全く湧いてこなかった。まだどこかで他人事のように感じる沙夜は、


「でもさ、江戸城を徳川家が手放したと言うことは、旧幕府軍の大将が新政府軍に降参したってことでしょ?」


 沙夜は両手を挙げて降参のポーズをしながら言う。


「どうしてそこで戦線はストップしなかったんだろう?」


 沙夜の疑問に答えたのは、どこか遠くを見つめている謙四郎だった。


「そいはですね、この戊辰戦争が想いと想いのぶつかり合いだったからじゃなかですかね」


 細かい要因はたくさんある。が、そのどれも根底にあるのは約700年続いた武家社会で培われてきた武士としての誇り、刀に乗せた想いと、刀だけではもう諸外国とは渡り合えないと察した武士たちの想い。双方の想いがぶつかり、1年半と言う内戦になったのではないかと、謙四郎は言った。

 そんな謙四郎の言葉は沙夜にはいまいちぴんと来なかった。戦争は早くに終結するに限る。そんな考えが沙夜にはあったのだ。

 想いと想いがぶつかって長期化したのでは、沙夜は納得がいかなかった。


「沙夜さん、戦争が実感できんとでしたら、今の鳥羽・伏見ば見てきたら良かですよ」


 謙四郎の提案に沙夜は少し考え、


「行ってみます」


 気付けばそう返していた。

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