其の二 王政復古の大号令③

 空き家の中にはもちろん電気などはなく真っ暗だった。沙夜はしばらく目を凝らして暗闇に目が慣れた頃に就寝の準備に取り掛かる。着慣れていない着物では上手く動けなかったが、つき子さんと2人で何とか寝床を作っていく。


「そう言えばつき子さん」

「何ですか?沙夜さん」


 沙夜の言葉につき子さんが手を休めることなく優しく言う。


「さっき外で言っていた『夜は危険』ってどう言う意味なの?」


 そんなつき子さんに沙夜は空き家に入ってからずっと疑問に思っていたことを尋ねた。思えば謙四郎も沙夜に向かって『喰われる』と言っていた。つき子さんの言葉と謙四郎の言葉は繋がっているのだろうか。

 沙夜の疑問を受けたつき子さんが手を止めると、沙夜の方をじっと見つめた。


「沙夜は平和な夜しか知らないですから、疑問に思うのも当然でしょうね」


 つき子さんの声音はどこまでも優しい。沙夜にはつき子さんの言っている平和な夜の意味も良く分からなかったが、黙って次のつき子さんの言葉を待った。つき子さんはそんな沙夜に柔らかく微笑むと口を開く。


「元来日本では、夜と言うのは鬼やあやかしの時間だと言われているのです」


 だから、生者が夜に外を出歩くことは危ないのだとつき子さんは言った。闇に身を潜めている鬼や妖に食べられてしまう、と。この考えはこの明治元年の京都でも通用するのだそうだ。


「現代の日本は技術が発達して、夜闇も少なくなりました。それと同時にこの考えは少しずつ消えていったのですが」


 つき子さんはそこで言葉を区切ると、真っ直ぐと沙夜を見つめて問いかけてきた。


「ねぇ沙夜。沙夜は夕暮れ時に一瞬でも、この世がこの世ではない、不思議な感覚に襲われたことはありませんか?」


 つき子さんのその問いかけに、沙夜はゆっくりと夕暮れ時を思い返した。幼い頃に見上げた夕焼けは、燃えるように真っ赤で見事だった。それと同時に沙夜を底知れぬ不安感が襲ってきたのを覚えている。

 小さく頷く沙夜につき子さんが真面目な表情で答えた。


「それは夕暮れ時が、逢魔おうまどきと呼ばれているからです。昼と夜の境目の時間であり、魑魅魍魎ちみもうりょうが徘徊を始める時間。それが夕暮れ時の別名の逢魔が時なのです」


 つき子さんの説明を聞いていた沙夜には『逢魔が時』と言う言葉に聞き覚えがあった。


(あれは確か……)


 そう、京都に到着したばかりの沙夜に謙四郎が残した言葉。


『沙夜さん、逢魔が時にご注意を』


 そして沙夜がこの時代に来た時の時間。日は暮れかかっていた。


(あれが、逢魔が時……)


 つき子さんの話ではそう言うことになる。こちらの世界と鬼や妖の住むあちらの世界が一瞬だけ混ざり合う時間、と言うことだ。


「夕暮れ時に感じるあの妙な感覚は、きっとこれから始まる夜への警鐘けいしょうなのかもしれませんね」


 鬼の時間がやってくる、だから家に帰ろう。そう言う意味なのかもしれないとつき子さんは言った。


「つき子さんは本当に、何でも知っているのね」


 少し悔しそうな沙夜の口ぶりに、つき子さんはいたずらっぽく微笑んで言った。


「沙夜が知らなさすぎるのですよ」


 その声はどこまでも優しくて心地よい。


 そんな話をしながら寝床を整えた2人は眠りにつくべく、床についた。

 布団の中に潜った沙夜は今日1日のことを振り返っていた。今朝京都駅に降り立った時は、まさか自分が明治元年に来るなど、夢にも思っていなかった。そして頭をよぎる仕事のこと。


(あぁ、会社に戻れなかったな……。私、クビになるのかな?)


 そうして沙夜の思考がゆるゆると停止していき、ゆっくりと意識を手放していくのだった。




(ん……。重い……)


 沙夜はいつも自分が寝ているふかふかの布団とは違う、少ししけった布団の重さで目を覚ました。始めに目に付いたのは見慣れない木目の天井だ。


(木の天井……?)


 見慣れない天井のこの部屋は、外からの陽光がさしていて明るい。ぼんやりとそんなことを思いながら天井を見ていた沙夜の意識が少しずつ戻ってくると、沙夜はがばっと起き上がった。


「つき子さん!」

「おはよう、沙夜。よく眠っていましたね。そろそろお昼になりますよ?」


 沙夜はいつも傍にいるつき子さんの姿を探して声を上げた。そんな沙夜の声につき子さんはのほほんと答える。起き上がった沙夜が呆然と部屋の中を見ていると、傍につき子さんがやってきた。


「どうかしましたか?沙夜」


 心配そうなその声に、沙夜はゆっくりとつき子さんを見上げた。


「夢じゃ、ない?」


 昨夜の話が沙夜の頭の中を一気に駆け巡っている。そんな沙夜の表情を見たつき子さんは沙夜の言わんとしていることを察して小さく頷いた。


「残念ながら、現実のようです、沙夜。ここは明治元年の京都ですよ」


 つき子さんの言葉に沙夜の顔からさーっと血の気が引く音がする。そして沙夜から出た言葉は、


「仕事!会社にまずは連絡しないと!」


 そう言って枕元に置いていたスマホへと手を伸ばすだが、その液晶画面に表示されている文字は当然、


「圏外……」


 がくりと肩を落とす沙夜を見たつき子さんが柔らかく微笑みながら声をかけてくる。


「沙夜なら、どんな仕事でも大丈夫ですよ」

「縁起でもないこと言わないで!」


 食って掛かる勢いでつき子さんに返す沙夜は、もしやと思ってカバンの中からノートパソコンを取り出した。そうしてしばらくその画面と睨めっこしていたのだが、


「だめだ……」


 そう言って再びがっくりと肩を落とす。どうやっても現代との連絡手段がない。このままでは会社をクビになってしまう。


「あー!どうしたらいいの?」

「現代に戻る方法を、謙四郎さんに伺ってみたらいいかがですか?」


 本格的に頭を抱えてしまう沙夜に、つき子さんは何でもないことのように言ってのけた。つき子さんの言葉をきいた沙夜は、それだ!と言うと隣の空き家にいるだろう謙四郎を訪ねるべく、急いで身支度を始めるのだった。

 夜着よぎから着物へと着替えた沙夜は急いで隣の空き家へと駆け込んだ。


「おじいさん!」


 がらりと引き戸を開け放ち中を見やると、部屋の中央に求める好々爺は座っていた。ゆっくりと顔を上げると、にこにことした笑顔で沙夜に言葉をかけてくる。


「おはようございます、沙夜さん。よぉ眠れましたか?」

「はい!」


 謙四郎の言葉に思わず返事を返してしまう沙夜。その元気な声を聞いた謙四郎は笑みを深くする。

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