第40話 おっさん、雪菜の想いを知らず

 白菊女学園の学生御用達の喫茶店。学園の近場ある上流階級の令嬢たちが通う喫茶店は、最安値のランチでさえ、五千円以上かかる。その喫茶店の個室でランチをしながら談笑する女生徒が三人。西園寺麗華・九条雪菜そして綾華である。


「社交界から英二様を守るためとはいえ、半年間も会っていけないなんて酷いと思いませんこと?」

「確かに半年間も若宮様にお会いできないのは辛いですわね」

「わたくしとしても、若宮さんのお力になりたいので、西園寺として協力することをお約束いたしますわ」


 元々、親交のあった三人ではあったが、こうして一緒にランチをするほどの仲ではなかった。それが変わったのは英二が麗華の運転手を殴った事件がキッカケだった。英二が黙秘したおかげで、麗華は学園に西園寺家の恥を晒さずに済んだ。麗華の目には、英二が西園寺家と四条家のためを思って一人で泥をかぶろうとした漢気のある男性と映っていた。


 西園寺家に配慮した雪菜の対応にも麗華は好感を持っていた。雪菜が西園寺家に非があることを周りに公表しなかったおかげで、社交界的に泥をかぶらなくて済んだのである。その分、英二が泥をかぶってしまった形ではあったのだが。なので、麗華としては機会があれば英二が困っていれば助けるつもりだった。


 綾華は母親に一応の説得はされたが、心の中では相変わらずの不満がくすぶり続けている。英二の実家で過ごした日々やトラブルの事を二人に話している今も英二への想いは募っている。ただ、英二の元に一人で行くことが出来ないのは、綾華自身が分かっている。何しろ、一人では切符すら買えない世間知らずである。そもそも、車やヘリでの移動が常のお嬢様の世界には、電車やバスの乗り方、路線図や時刻表の読み方などは不要なのである。


 それに対して雪菜は秘かに英二の元に会いに行く算段を建てていた。同じお嬢様とはいえ、雪菜は警察財閥総帥の娘である。蝶よ花よと育てられた箱入り娘の綾華と違い、現代社会を一人で生きていく一般常識程度の教育を雪菜は受けていた。それゆえ、頭の中にグークルマップ並みの詳細な地図と路線図を思い描くなど朝飯前である。綾華から英二の実家の旅館名を聞いた瞬間に、雪菜は手元のスマホで旅館を検索し住所を特定し、九条家からの経路を頭の中に思い描いていた。


(綾華様と英二様と両想いになっても、わたくしは諦めませんわ。対外的には四条様は英二様を追放したんですもの。社交界から身を守るという理由で追放されたなんて、英二様は知らされていないのであれば傷心中のはず。なのであれば、わたくし雪菜が入り込む隙間は大いにあるはずです。英二様はわたくしを痴漢から救ってくださった白馬の王子様ですもの)


 綾華に関する英二の実家での事件の詳細は四条家によって徹底的な情報封鎖が行われたが、九条家の情報網の前には意味がなかった。


 どんな権力者であろうと、日本国内に関する事件の情報封鎖を行うには九条家の協力が必須だからだ。九条家の次期当主候補の雪菜の前には、どの階級の警察官僚でも隠し事はできない。雪菜が「何が起こっているの?」と聞けば、忖度に長けた大人は我先にと情報を提供する。なので、雪菜は綾華から英二とのトラブルを聞く前から全容を把握していた。ただ、社交界から身を守るために英二を遠ざけたというのは今わかったことだ。


 綾華と雪菜の家は仲が悪いわけではない。むしろ、両家とも日本には必要不可欠な家であり仲は良い。だが、それはそれ、恋は恋である。文武両道がモットーの九条家。恋でも文武両道がモットーであれ、と雪菜は母親に教わっていた。


(英二様はスナックといういかがわしい場所に癒しを求めに行かれる予定を建てるほど傷心中のご様子。わたくしが癒してあげなくては淑女の恥というものですわ)


 恐るべきは九条家の情報網。良太と英二がスナックへ飲みに行くことを決めたのは昨日である。それを雪菜が把握している。九条家がマークした人物の行動は、防犯・警備システム、子飼いの探偵その他諸々を通じて全て筒抜けになる。これは四条家には真似できない事だが、真似できないだけで対策は出来る。四条家や西園寺家などの上位財閥たちは九条家に情報が筒抜けにはならないぐらいのセキュリティ対策は行っていた。


「ねえ、雪菜様。英二様と会うにはどうしたらよいと思います?」

「そうですわね、とりあえず今は我慢の時かと存じます。綾華様、果報は寝て待てとおっしゃいますでしょう。英二様も分かってくださいますわ」


 既に冬休みは終盤に差し掛かっている。行くなら明日にでも準備を始めなければ、英二とたくさん会える時間が確保できないと雪菜は綾華をなだめながら考えていた。



 □ □ □ □ □ □



「聞いたよ、英二。アンタ、良太と一緒にスナックに行くって話じゃないか」

「うん、そうだよ。久しぶりに商店街の連中とも飲みたいしね」

「アンタねぇ、綾華ちゃんって子が居ながらスナックに行くなんて何考えてるんだい!!!」


 俺はウンザリしながら姉貴の怒りが収まるのを待っていた。ただ、ここでいつもの様にゲンコツか平手打ちが飛んでこないあたりは気遣ってくれているだろうなぁと思う。四条家から勘当された事を知った時の姉貴は、深いため息をつきながら凄い落ち込んでいた。姉貴も綾華の事を気に入っていたし、従業員たちが綾華から受けた影響の大きさを考えれば非常に残念だったことだろう。


「そういうけどさ、姉ちゃん。俺はもう四条家から勘当されて綾華とは縁を切られた身なんだからさ、別にいいじゃんか」

「そういう考え方をしているから、女にもてないし振られるんだよ」

「いや、今回は振られたわけじゃなくて……。それに今回は美津子の知り合いの店だし」

「美津子の知り合いっていうと恵子のとこか。決めた、私も行く」


 言うんじゃなかった。恵子さんは姉貴の親友なんだから、美津子の知り合いのスナックと言ってしまえば、こういう展開になることは予想できたことだ。これが東京であれば、誰それの知り合いのスナックって言っても、東京のスナックなんて星の数ほどあるんだから特定なんて出来ない。だがここはド田舎の地元。商店街やスナックの連中なんて赤ん坊の頃からの腐れ縁である。


「いや、姉ちゃんが来たら俺が楽しめないじゃん。それに亜紀はどうすんのさ。年頃の娘を放っておいて飲みに行くって親としてどうなん?」

「なんで、私が恵子の店に行くのにお前の許可が必要なんだい。それに亜紀も連れていくよ。飲みに行くときは連れて行ってるし」

「ちょ、未成年の娘を夜のスナックに連れて行くっていいの!?」

「ハァ? 何いい子ぶってんだい。私たちも小さい頃は親父に連れられてスナックに行ってたじゃないか」

「その後、必ず親父は母ちゃんに怒られていたけどね」

「別に亜紀にはジュースでも飲ませおくさ。私たちがガキの頃と違って、未成年がスナックでアルコール飲める時代じゃなくなったしね。恵子も亜紀を気に入っているから、タダで美味い飯を食わせてくれるし」


 ……もう、何のためにスナックに飲みに行くか分からなくなってきた。

 とりあえず、良太や一緒に呑みに行く連中は黙っておこう。

 姉貴が来ると分かったら、あいつらドタキャンするだろうし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る