第38話 おっさん、嵌められる

 じいちゃんの代から入り浸った支配人室なのに他人の部屋のような居心地の悪さ。

 冗談抜きに四条総裁の周りが陽炎のように揺れている。

 支配人室に一緒にいるのは親父だけだが、場数の違いか四条総裁の圧もどこ吹く風。


「英二君、今回の件に関して何か言いたいことはあるかな?」


 日本企業でもトップクラスの頂点に居ると言っても過言ではない四条総裁。

 そのお方が四条グループの役員でさえ縮み上がるであろう怒りのオーラ全開で俺を見据えている。


 あー……うん……そうか、そうだよな。


 俺を信頼して預けた綾華を危険な目にあわせたんだ。

 もう少し見つけるのが遅けりゃ、死んでいた。よくても重体だっただろう。

 そのきっかけが俺が理性を抑えられなかったせいだし。


 全ては暴走した俺のせい。四十歳のくせに自制できんかった俺のせい。綾華を怖がらせ混乱させた俺のせい。

 どんなに言い訳したって意味がない。綾華のことを第一に考えて行動していれば起こらなかった。

 どんなに理由を並べたところで、四条総裁の信頼を裏切った事実は変わらない。


「ありません。全面的に私の責任です」

「そうか、残念だ、非常に残念だよ。君なら綾華を危険な目に合わせることはないと思ったんだが」


 好き好んで危険な目に合わせた訳ではないけど、こういうのって結果が全てだからぐうの音も出ない。

 下手な反論は相手の神経を逆なでするだけだと俺はブラック企業時代に学んだ。

 どんな理不尽な沙汰でも受けなきゃいけない。 


「君には綾華の教育係を辞めてもらい、四条家から出て行ってもらう」


 あー……うん……そうか、そう来たか。

 俺が四条家に居候できていたのは綾華の教育係という肩書があったからだ。

 その教育係を辞めさせられるとなれば、四条家にいられる理由もなくなる。


 ただ、本当にいいのだろうか?

 別に俺は四条家を出ることになっても生きていける。

 独り身だし職安に通えば職は見つかるし、日雇いやバイトで食っていける。

 あわよくば実家で働く選択肢もないことはないが、こういう理由で雇ってくれるほど親父は甘くない。


 問題なのは綾華だ。


 俺が教育係になったのは綾華のメンタルケアのためだ。半年間の交流で普通に戻れたとは思うが、さっき神社の中で両思いになったばかり。そんな後にすぐ破局となれば綾華のメンタル再崩壊なんじゃないだろうか。

 

「今回の事は確かに俺の責任です。クビになるのも仕方ないです。でも、綾華さんは大丈夫ですか?」

「この状況で綾華の心配をしてくれるのはありがたいが、それはこちらで何とかするつもりだよ。この半年の君の頑張りで綾華も明るさを取り戻してくれたしね。君が居なくなることでしばらく塞ぎこむだろうが、ケア専門のチームを作るつもりだ」


 なるほど、俺が居なくなっても大丈夫な算段をもう立てていたのか。それだったら最初からチーム作っていればよかったんじゃないかとは思うけど。


 綾華のことは好きだが、女性と付き合ったことのない俺が綾華を幸せにできる自信があるかと言われれば無い。

 綾華は超上流階級の世界の人間で、俺はクビを宣告されたニート。半年間の頑張りと綾華との信頼関係を訴えようにも、四条総裁からの信頼を裏切ってしまう事態を今回引き起こしてしまった。


 そんな状態でどう話したところで綾華と付き合うのは無理だし、まだ教育係をやらせてくれなんて無理だろう。


 ……俺に状況を覆せるだけの話術があればよかったんだけどな。


「……分かりました。半年間でしたが、お世話になりました」


 俺は深々と四条総裁に頭を下げた。まさか、親父が見ている前でクビを宣告されるとは思わなかった。

 後で親父にぶん殴られるかもしれないな。その前に姉貴に半殺しにされるかもしれないけどね。


「君の荷物は後ほど、こちらの旅館に届けさせるように手配するよ。昨日の夜から娘のために駆け回って助けてくれたことには親として感謝している。ありがとう」


 四条総裁も頭を下げてきた。俺が原因なのにキチンと礼を言ってくれる辺りが義理堅いね。


 あぁ、なんか、一気に疲れた。早く体を休めたい。


 親父の方に顔向けるとアゴで出ていくように促されたので、俺はそのまま支配人室を後にした。



□■□■□■□■□■□■□■□


 

 英二が支配人室を出ていくのを見届けた四条と英二の父親はお互いに顔を見合わせた。その表情に共通していたの困惑だった。四条としては何かしらの反論があるだろうと思っていたし、英二の父親は息子の諦めの良さにため息をついた。


「ご子息にあの様な扱いをしてしまい申し訳ない。私としてもう少し食い下がってくると思っていたのですが」

「いや、あいつは昔から諦めが良すぎましてな。もう少しお前は自分を通せと昔から言ってはいたんですが」


 四条は支配人室の椅子から降りて、英二の父親が座っているソファの前に座った。そして、断りを入れて煙草に火を入れる。英二の父親も煙草をくわえると、四条はすかさず腰を浮かせて英二の父親の煙草に火をつけた。


「ありがとうございます。して、英二はいつまでこちらで預かればいいですか?」

「そうですね、正直いつまでとは確約できません。今回の事は伏せようと思っても、すくからず世間にばれる。少なくても口うるさい親戚関係には漏れるでしょう。その時、英二さんが四条家に居たら針のムシロにさらされるのは必至です。それだったら、いっそのことご実家に居られた方が英二さんには影響がない。形式上、クビにしたことで親戚にも手打ちにできる」


 四条は天井に向かって煙草を吐くと、親戚や社交界への対策に思考を巡らせた。しばらく考え込んでいると、ノックとともに桜庭が入ってきた。その手にはトレイに乗った茶菓子と紅茶があり、静かに近づくと音をたたないように四条と英二の父親の前に置いた。

 四条は煙草を灰皿に置き、紅茶を一口すすると桜庭に尋ねた。


「英二さんの様子はどうだった?」

「表面上は特に変わった様子はありませんでしたよ。ただ、雰囲気的には沈んでいましたね」

「そうか、本気で信じてくれたなら怒った演技をした甲斐があったというものだな」

「事前に旦那様と父君に知らされてなかったら私も信じていたとことですよ。私も英二さんに対して慣れない演技で緊張しました」

「すまんな、桜庭。英二さんは綾華のために命を懸けて行動してくれる人だというのが今回の件で分かった。綾華の結婚相手には十分な人じゃないか?」


 そういうと四条は再び煙草を手に取り上機嫌に一息吹かせて桜庭に視線で同意を求めた。

 桜庭は微笑みながらも英二の父親の方に向き直り、表情を伺うと英二の父親は少し困った顔で紅茶をすする。


「四条さんがそう言ってくれるのは嬉しいんですけどね、英二なんかが綾華さんの結婚相手で本当にいいんですか?綾華さんなら、英二なんかより若くて格好いい結婚相手が星の数ほどいると思うんですけどね。それにあいつには社交界なんて無理ですよ田舎者根性が抜けない奴ですから」

「私はそういうのは気にかけません。本当に綾華を大事にしてくる人でなければダメですな。綾華には教えていませんが、実は綾華の縁談申し込みはチラホラ来ていたんです。全て四条グループとの関係を持ちたいということが見え見えで断りましたけどね」

「……英二に四条グループでの仕事は無理ですよ。それに綾華さんの旦那ともなれば四条さんの後釜でしょう?なおさら無理です」


 英二の父親はなおも困った顔を浮かべたが、あわよくば四条グループに取り入ろうとする輩ばかりみてきた四条と桜庭は英二の父親にも好意を持ち談笑を続けていった。

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