第29話 おっさん、綾華と大掃除をする

 昼飯を終えた後に綾華と受付の前を通ると、帳簿を整理していた亜紀に手招きされた。

 なんかニヤニヤ顔だ。明らかに嫌な予感しかしない。


「叔父さん、商店街で色々面白い事あったらしいじゃん。とりあえず、夫婦認定おめでとう?」

「夫婦認定って何だよ。しかも、なんでお前が騒ぎの事知っているんだよ」

「さっき、友達から連絡きてさ。もう、商店街は叔父さんと綾華ちゃんの噂で持ちきりらしいよ? 特に綾華ちゃんが絶世の美少女で叔父さんが弱みを握って連れ回してるって。ママやお爺ちゃんたちも知っているっぽいよ」


 これだから田舎のローカルネットワークは……。

 地域は発展しないくせにインフラだけは発展するもんだから何かあれば昔より広まるのが早い。

 多分、当分の間は噂は消えないだろう。とりあえず、しばらく商店街に立ち寄る事はやめとくか。

 綾華は夫婦認定という言葉に赤面しつつも頬を緩めている。


「それで、叔父さんは今日は何して過ごすの?」

「大掃除の手伝いかなぁ」

「旅館の大体のところは従業員のみんなが頑張ってくれて掃除終わってるはずだよ」

「でも、俺が引っ越す前に使ってた部屋は手つかずだろ? 物置小屋になったとはいえ、自分の部屋だから掃除はしておきたい」

「英二様が住まわれていた部屋ですか? ぜひ、わたくしもお掃除差し上げたいですわ」


 まさかの綾華の申し出である。

 俺としては掃除要員が増えるのはありがたいが、厨房の仕事はどうすんだ?

 そう思い、亜紀を見ると遠慮なく手伝っていいよと言われた。

 綾華は昨日のうちに今日の分まで下ごしらえを終えていたらしい。

 そのおかげで厨房は綾華がいなくてもギリギリ回せるとのこと。


 どんだけ料理の腕が凄いんですか綾華さん。

 聞けば、魚はキチンと鱗を取ったうえで三枚におろせるし、ローストビーフやスペアリブなどの肉料理は勿論のこと、イタリア・フランス料理からおせち料理・中華料理まで一通り作れますわと言われた。全部、授業で習ったらしい。


 白菊女学園の料理授業は『殿方を捕まえたいなら、まずは殿方の胃袋を捕まえなさい』と習うとの事。

 ただのお嬢様校と思いきや、実用的な男の心の落とし方まで教えるとか怖いよ白菊女学園。


「本当に叔父さんは幸せ者だねぇ。もう老後の栄養管理までバッチリじゃん。綾華ちゃん、叔父さんの事、よろしくね?」

「えぇ、お任せください。英二様にはずっと健康で長生きしていただかねば困りますもの」


 いやいや、勝手に変な話題で盛り上がるなよ。

 とりあえず、物置小屋もとい俺の部屋を確認しに行くと旅館の日用品などが俺の使ってた机の上や棚の中に乱雑に突っ込まれ、床も物で溢れていた。


「物置小屋とはよく言ったんもんだ。流石にここまで小屋みたいに扱われているとショックだわ」

「とりあえず、部屋に戻って準備してまいりましょう」


 綾華は学園の家庭科で習った知識を総動員し、必要な用具は亜紀に用意してもらった。


 家庭科の授業では部屋の効率的な掃除の仕方まで事細かに習い、『殿方の部屋は大抵はだらしない』『片付け上手は殿方の生活様式を支配できる』と習うとのこと。

 いや、支配とかマジ怖いよ白菊女学園。


 旅館の中は温かめなので、俺と綾華は汚れてもいいラフな服装に着替える。

 俺は実家に残していた昔の洋服を引っ張り出した。


 綾華は亜紀から借りたネックニットとワイドパンツ姿だ。掃除の邪魔にならない様に長い髪は後頭部の中心で綺麗なお団子にまとめ、三角頭巾にマスク、エプロンを身に着けている。

 どんなに埃が舞ってもダメージを受けない完璧な戦闘態勢だ。


「ご存知かと思いますが、お掃除の基本は上から下へ片付けることですわ。ですが、ここまで棚や床に物が置かれている状況では怪我の元になります。ですので、まずはお掃除の動線を確保するために床の用具品を移動いたしましょう」


 そう言うと、綾華は床に所狭しと置かれている用具をテキパキと整理し始めた。

 俺は重い用具を優先して動かしていく。必要であれば、廊下へ移動させる。

 親父の部屋もそうだが、ここは旅館客の立ち入りを禁止している区画なので廊下に出しても問題ない。


「動線の確保が終わりましたので、次は棚の整理をいたしましょう。英二様、申し訳ないのですが棚類の用具や雑誌・新聞紙を取り出していただけますか。わたくしは棚を空拭きいたしますので、雑誌や新聞紙を束ねていただきたいです」


 俺は言われた通りに新聞紙を紙紐で縛り、廊下に積み上げていく。

 綾華の指示通りに動くと、あれよあれよと効率的に物置小屋にスペースが増えていく。

 綾華は脚立を駆使しながら空いたスペースを上から丁寧に空拭きをしていく。


 普段はおっとりした甘えん坊なイメージしかないので、こんな綾華は新鮮である。

 感心しながら綾華を見ていると、ふと綾華の顔が赤く染まっていた。


「どうした、綾華?」

「い、いえ、あの英二様」

「うん?」

「こ、この様な本があったのですが」


 ぎこちない動きで綾華が指さした先には、学生時代によくお世話になったグラビア写真集。

 俺がまだ棚卸していないところに複数冊積まれていた。

 慌ててグラビア本を引っ掴み、他の雑誌の束に突っ込む。


「い、いや、これはあのアレだ。む、昔の本だ」


 昔の本って何の本だ。油断した。一人暮らしの部屋から四条家に引っ越すときは細心の注意を払ったが、実家には置き去りにした大人向けの本が多数ある。

 グラビア本以上にヤバイ本もあるので、綾華に見つかる前に三倍速の動きで棚の雑誌を片っ端から片付けた。

 内容が分からない様に他の雑誌の隙間に差し入れ偽装することも忘れない。


 綾華は真っ赤になりながら努めて平静に空拭きを続けている。

 だが、耳をすませば呟きが聞こえてきた。


「英二様はあの様なスタイルの方がお好みなのかしら。後で亜紀さんに相談しなくてわ」


 やめて! 亜紀に相談なんてされた日には、俺が死にます。お願いだから忘れて!


 気まずい雰囲気の中、一通りの荷物整理と空拭きが終わると、綾華が業務用の掃除機をかけていく。

 俺は荷物に埋もれていた見えなかった窓ガラスや照明を綺麗に拭き上げていく。

 外が夕焼けに染まる頃、薄暗かった物置小屋は綺麗に整理整頓された明るい部屋へと変貌していた。

 溢れる日用品に埋もれていた床にはホコリひとつなく、乱雑に物が入っていた棚にはサイズごとに整理された本や業務用品が綺麗に収まっていた。


 俺だけではここまで出来なかっただろう。せいぜい、足の踏み場をかろうじて確保できたくらいだ。

 なるほど、ここまで綺麗に整理整頓されれば家の中の生活様式が支配されるのは道理である。


「ありがとうな、まさかここまで部屋がきれいになるとは思ってもみなかった」

「お役に立てて嬉しいですわ。家庭科で何度かやり方を習ったことがございましたが、ここまで綺麗になるとは思っておりませんでした」


 そう言いながら、綾華は他に掃除をし忘れた個所が無いか入念に調べていく。

 ここまで綺麗にしておきながら、まだ綺麗にしようとか凄いね綾華さん。


「あの、英二様。この様な物があったのですが……」

「え、な、何?」


 捨て忘れた大人本かと思いきや、綾華が持っていたのはアルバムだった。

 幼少期から高校時代までの俺の写真が収められいる、

 親父やお袋は写真を撮るのが大好きだったので、子供の頃の写真が大量にあり、軽く十冊以上はある。


「見てもよろしいでしょうか?」

「ん、いいけど見てもつまらないぞ」


 綾華は嬉しそうにアルバムをめくっていき、「可愛い~」だの「凛々しい」とか目を輝かせテンションが上がっている。幼少期の俺の写真を見て慈愛の目で愛おしそうに指でなぞっている。

 隣から覗くと今はもういない祖父ちゃんや祖母ちゃんが嬉しそうに俺を抱き上げている。

 二人とも厳しかったが旅館の跡継ぎが出来たって喜んでくれたっけ。


 跡を継ぐのが嫌で、遠くの会社に就職した挙句にクビになった今の俺を見たらなんて言うかな。

 二人の事だから、それもお前の人生だから気にするなとか言ってくれるだろうか。

 それか甘ったれに継がせる旅館なんてないとか怒鳴ってくるだろうか。


 多分、両方だろう。怒鳴った後に優しい言葉で認めてくれると思う。

 昔気質の祖父ちゃんだったが、一方的に怒ってくることは一回もなかった。

 俺の言い分も聞いてくれたし、何が悪いかも具体的に叱ってくれた。

 怒ると叱るをきちんと分かっていた人で、今も尊敬できる祖父ちゃんだ。

 ブラック企業時代の上司に爪の垢を煎じて百回は飲ましてやりたい。


 綾華がアルバムをめくっていくと保育園時代の俺が映っていた。

 俺の隣には鼻水を垂らした良太もおり、二人とも擦り傷だらけだった。

 これは初めて良太と喧嘩した後だな。

 保育園の頃からよく喧嘩してはお互いの親に迷惑をかけていた気がする。


 一冊目を見終えるのに十分以上はかかっており、放っておけば二~三時間はアルバムに没頭しそうな勢いだ。

 流石にこの時間から全部を見ていると夜の二十三時を過ぎてしまうだろう。


「綾華、見たいのは分かるがそろそろ風呂に入って飯にしないと。このまま汗が冷えると風邪ひくから」


 俺が注意すると綾華はあからさまに落胆した未練が残る表情をする。

 いや、そんなにアルバムを見たいもんかね。ハァ、しょうがねえなぁ。


「そんなに見たいなら部屋に持って行っていいぞ」

「本当ですか!? ぜひ、持っていきますわ!」


 綾華は複数冊のアルバムを大事そうに胸に抱えウキウキした足取りで宿泊部屋に向かった。

 やれやれ、何がそんなに嬉しいのかね。

 こういう女心は良く分からん。いや、他の女心も分からんけどさ。

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