第27話 おっさん、恋人同士のキスに悩む

 朝起きると心臓が口から飛び出そうになった。

 俺の二の腕を枕代わりに綾華が幸せそうな顔で寝息を立てている。


 ……なんで?


 昨日の俺は何していた?

 大吟醸をしこたま飲んで、亜紀にマッサージをして貰ったまでは覚えている。


 まさか、酔った勢いで綾華を襲ったか?

 慌てて自分と綾華の浴衣の乱れ具合を確認。

 俺の浴衣は多少乱れているが、綾華の浴衣は乱れておらず帯で綺麗に閉じられている。


 襲ってはいないらしい。となると、そのまま寝てしまったというのが正解だろうが……。


 でも、なんで綾華が俺の腕の中で寝ている?


 綾華の性格からして手は繋げども、男の布団の中に自分から入ってくるような子じゃない。

 それに、俺の腕が綾華を抱くような形になっている。


 まさか、俺が酔った勢いで綾華を布団の中に引きずりこんだ???


 多分、当たらずとも遠からずだろう。というか、状況証拠的にそれしか考えられない。


 自分の迂闊さを呪うぜ、コンチクショウ。

 呪ってもしょうがない、ここからどうするかを考えないと。

 

 とりあえず、落ち着け落ち着け。

 わずか五センチ先に無防備な綾華の寝顔がある。


 落ち着けるはずがない。


 深呼吸しようと思ったが綾華の可愛い香りのせいで深呼吸したら逆に危うい。

 体の中で心臓が爆打ち息苦しさが増してくる。


 寝起きに無防備な美少女の寝顔。ラブコメやエロゲでよくあるシチュエーション。

 読者ならウキウキな展開だが当事者となったらこれはヤバイ。


 焦りまくる俺とは対照的に、相変わらず綾華は安らかそうな寝顔である。

 ここまで無防備な綾華を見るの初めてかもしれない。

 陶器の様なきめ細やかな肌に幼さの残る目鼻立ち、横になりながらも乱れない天使の輪。

 幸せそうに頬を緩めながら無意識に俺の二の腕に時折スリスリしてくる。


 ……少しくらい悪戯をしても神様は許してくれるんじゃなかろうか?


 試しに綾華の綺麗な髪を撫でてみる。

 サラサラした髪は俺の指の間から滑らかに零れ落ち行儀よく元の場所に収まる。

 何度か繰り返していると、綾華が心地よさそうに更に俺に顔を近づけてきた。


 その距離わずか二センチ。綾華の鼻息が俺の肌に感じられる。

 リップを塗っているわけでもないのに瑞々しい唇が顔を動かせば届く距離にある。


 ……やはり、もう少しくらい悪戯をしても神様は許してくれるんじゃなかろうか?


 そう意識しした途端、俺の視界が急に狭くなり綾華の唇しか見えなくなった。


 ……許される……よな?


「叔父さん、何やってんの?」

「ドゥエウォエウォオアウェ!?」


 今度こそ心臓が口から飛び出る勢いで身体が跳ね上がる。

 動いた矢先に綾華の頭が布団に落ちたが柔らかめの枕がナイスキャッチ。


 布団からズリ出ると、ニヤニヤ顔の亜紀が立っていた。


「お、お前な。部屋に入るときはノックするのが普通だろ!!!」

「ノックしたよ控えめに。でも、返事が無いし扉の鍵も開いてたから入ってきちゃった。エヘッ」


 不用心にも部屋の鍵を閉めないで寝てしまったのか。

 多分、綾華が色々と片付けをしてくれる前に俺が引き釣り混んでしまったのが原因だろう。

 てか、亜紀はどこから見ていたんだ……。


「お前、いつから部屋にいたんだよ?」

「えっと、叔父さんが綾華ちゃんの髪の毛を撫で始めたあたりかな」


 穴が入ったら入りたい……今すぐ布団にくるまって隠れたい。

 くるまりたいが布団には綾華がいる。


「だったら、なんですぐに声をかけなかった!」

「いやぁ、なーんか黙って見てた方が楽しそうじゃん?」


 テヘペロしながらケラケラ笑う亜紀。

 怒ろうにも部屋の鍵を開けっぱなしにしていたのが原因だし、ノックはしたと言っているし。

 くそぉ、怒りたいのに怒れない。


「てか、朝っぱらから何の用だよ」

「八時を過ぎてるのに配膳できないって仲居さんが嘆いてたよ。しょうがなく、私が起こしに来たって訳。あれ?もしかして、良いところを邪魔されて怒っちゃってる?」


 亜紀はニヤニヤ顔で言ってきたが、少し真面目な顔になって続けてくる。


「でも流石にキスしそうになってたのはいただけないなぁ。綾華ちゃんの大事な大事なファーストキスなんだから、キチンと綾華ちゃんが起きている時にしてあげないとね?」


 うん? 布団が一瞬動いた様な気がしたが気のせいか。

 俺は頭を掻きながらバツが悪い気分で素直に反省する。


「お、おう。それは申し訳ない。俺も寝ぼけてた」

「綾華ちゃんの寝顔は天使だろうからねぇ、叔父さんが我慢できなくなるのも仕方ないけどねぇ」

「……綾華が天使級に可愛いってのは否定しねえよ」

「叔父さんは男だしキス経験あるから大切さなんて気にならないかもだけど、女の子にとっては大切……」


 その途端、布団がガバッとめくられ綾華が飛び起きてきた。


「それは本当ですの!? いつ? お相手はどなたですか???」

「あれ、綾華ちゃん。おはよ~。叔父さんのファーストキスの相手は私だよ?」

「おまっ、嘘つくな! 俺はまだキス経験ゼロだぞ!」

「え~、酷いなぁ叔父さん。覚えてないの? お互い大切なファーストキスだったのに……」


 オヨヨヨとわざとらしくその場に崩れ落ちる亜紀。

 綾華は「亜紀さんと英二様がそんな……ご関係だなんてわたくしはどうすれば」と布団の上で目を真っ赤にしながら泣いている。もう、半分カオスである。


 亜紀の言葉は完全なガセだ。全く記憶にない。潔白を断固として訴え勝訴したい!


「綾華、落ち着け。俺と亜紀はそんな関係じゃないしキスもしてない」

「叔父さんヒド~い。本当に忘れちゃったの???」


 口に両手を当てわざとらしく身体をしならせ、本当にショックだよぉとアピールしてくる。

 身内ノリは綾華に通用しないと昨日のことで分かってるんだからいい加減にしろ。


「忘れたも何もしてないって。大体、キスしたなら何時だよ何時!」

「ハァ……、わたしが幼稚園の頃に叔父さんにキスしたってママが言ってたよ? しかも、『く・ち・び・る』に」

「いや、幼稚園児のキスとか普通はノーカンだろ。第一、聞いたって事はお前も忘れたんじゃないのか?」


 俺のツッコミに明後日の方向を向きながらワザとらしく口笛を吹いて誤魔化す亜紀。


 お前の誤魔化し方は昭和か! 姉貴の小さい頃の誤魔化し方そっくりだな。


「ほら、綾華。聞いただろ、幼稚園児の時のキスだってさ。そんなのしてないのも同然だからな」

「でも、亜紀さんと英二さんがキスしたことは事実ですわ……」


 綾華は納得していないとばかりに、半分生きる気力を失った様な目でうつむきながら呟く。


 あぁ、もう面倒くさいな。


 亜紀に責任を取らせようとしたが、気づけば扉の前で手を振りながら「配膳時間は過ぎちゃったから、ご飯は食堂で食べてねぇ」と言い部屋を出って行った。


 ……あの野郎、引っかき回すだけ引っかき回して逃げやがった。


「綾華、とりあえず落ち着けって。幼稚園児のキスはただの親愛行動だ。恋人同士のキスなんかとは全然違う」


 ……多分、違う。何がどう違うなんて恋人がいたことないから分からん。

 確か、幼稚園児のキスはイチゴ味で、学生のキスはレモン味、大人のキスはピーチカクテル。

 そういう風に何かの本に書いてあった気がする。抽象過ぎて参考にもなりゃしない。


「恋人同士のキスなんて知りませんもの……」


 なおも暗い雰囲気をまといながら、拗ねた様な視線を向けてくる。

 あー、もうどうすりゃいいんだよ。恋愛経験豊富な人なら気が利く解決方法を分かってるんだろうけど。


 俺がしばらく仏頂面でいると、ふと綾華は思いつた様に微笑みながら近づいてきた。


「……では、英二様の恋人同士のキスを教えて欲しいですわ」


 そう言い、うなじまで真っ赤にして俺の胸元に顔をうずめてくる。


 イヤイヤ、アナタ何をトチ狂った事を言っているの綾華さん!

 落ち着け俺、雰囲気に流されたら引き返せないところまで行っちまう。

 そっと、綾華の肩に両手を置き優しく引き離す。


「綾華、そういうのは大切な人とするもんだ」

「わたくしの大切な人は英二様ですわ」

「う、それは嬉しいけど、恋人同士のキスと言うのはキチンと付き合ってからの……」

「では、付き合ってくださいますの?」


 嬉しそうに目を輝かせながら聞いてくる綾華。


 ……うう、恋する乙女の眼圧が凄い。冗談抜きに少女漫画並みに目が輝いている。

 多分、さっき流していた涙の名残のせいだろう。


「気持ちは嬉しいけど、付き合うとかもっとお互いをよく知ってからだな」


 四十歳のおっさんが必死に絞り出した台詞がこれじゃ童貞感丸出しだな、笑いたきゃ笑え。


「えぇ、かしこりましたわ」


 落ち込むと思いきや、意外と笑顔で返してくる綾華。

 あれ? この後の落ち込んだ綾華をどうフォローしようかと身構えていただけに拍子抜けだ。


「えと、綾華。怒ってない?」

「わたくしがですが? 英二様に? 何故ですの?」

「いや、なんか煮え切らない答えで」

「そんなことありませんわ。英二様はもっとお互いの事を知れば付き合ってくださると約束してださいましたわ。ですので、英二様の事をもっと知るように頑張りますし、わたくしの事をもっと知っていただける様に頑張りますわ」


 なんというポジティブ思考。恋する純粋培養のお嬢様恐るべし。

 気づけば九時近くになっていたので食堂に行くためお互い着替えることにした。

 食堂に行く途中で綾華が思い出したように聞いてきた。


「……その、キスは恋人同士になってからするものと言うのは分かりましたわ」

「う、うん。分かってくれて嬉しい」

「あ、朝に、お布団の中で、わた、わたくしにキスをなさろうとしたのでしょう? それは何故ですの」

「お、起きてたの?」

「いえ、亜紀さんとの会話が聞こえてきたもので」


 どうやら、枕が綾華の頭をキャッチした時点で起きていたらしい。

 つまり、亜紀との会話は全部聞かれていた。


 もう、ヤダ。ホント穴があったら入りたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る