第26話 おっさん、夢心地になる
なんとなく照れくさい気まずい雰囲気の中、不意に扉がノックされた。
来客は亜紀であり、扉を開けると遠慮なくズカズカと入ってきた。
「何か用か?」
「用がないと来ちゃいけない? もしかしてぇ、お楽しみタイム突入寸前だった?」
「馬鹿野郎、茶化しに来たのかお前は」
「アハハ、ごめんごめん。いや、綾華ちゃんにキチンとお礼と明日もよろしくてきな?」
亜紀は手早く人数分のお茶を淹れながら、俺と綾華に「お構いなく」と座る様に言ってきた。
いや、ここは俺らの部屋だから。何故、お前が仕切る。
「どうぞ、粗茶ですが」
「お前、自分の旅館のお茶を粗茶って言っちゃいかんだろ」
そう軽口を返しながら一口飲んだ。うん、綾華が淹れたほどでないが美味い。
ただ、それを口に出したら最後、何を返されるか怖いので正直には言わない。
綾華は何故か俺と亜紀のやり取りを羨ましそうに見てきた。
「英二様と亜紀様は仲がよろしいんですのね」
「まあ、叔父さんには子供の頃によく遊んでもらったし、
「いえ、呼び捨ては失礼かと」
「綾華ちゃん、かったいなぁ。せめて『さん』付けにして? でないと、綾華ちゃんと喋らないよ?」
「う、では亜紀さんで」
亜紀の強引な手法で綾華が珍しく戸惑った表情を見せたので、思わず吹き出してしまった。
そんな俺にすねた表情を見せる綾華。
綾華の周りには上品な友達ばかりなので、綾華には亜紀みたいな普通の同年代の友達が必要かもな。
「オッケー。綾華ちゃん、厨房のヘルプマジありがとうね。本当に助かったわ、料理上手なんて羨ましいなぁ。叔父さんの将来も安泰だねぇ」
亜紀が意味深な視線を向けてくる。亜紀の揶揄するところを察した綾華は顔を赤らめた。
オイコラ、変な雰囲気に持っていくんじゃねえよ。変に綾華の期待度を高めさすな。
「言う事終ったなら、さっさと自分の部屋に戻れ。俺たちは風呂も夕飯もまだなんだぞ」
「ハイハイ、お邪魔虫ですいませんねぇ。あ、綾華ちゃんお風呂一緒に入らない? 同い年の子とお風呂入る機会ってなかなかなくてさ」
誘われると思ってなかったのであろう、きょとんとした顔で綾華は俺を見てきた。
女子同士なんだから気軽に一緒に入ればいいのにと思ったが、そこはお嬢様。
あまり親しくない人と一緒にお風呂というシチュエーションに慣れていないのかもしれない。
しょうがなく、綾華に助け船を出そうかと思った矢先の亜紀のダメ押し一言。
「なんなら、お風呂場で叔父さんのヤンチャ話や好みとか色々と教えてあげるよ?」
「ぜひ! お風呂をご一緒させてくださいませ!!!」
おい、何を餌に綾華を釣ってるんだよ。
「やった。じゃあ、十五分後に大浴場でね」
亜紀はスキップしながら部屋を出て行くと、綾華はすぐに手早く準備を始めた。
心なしか嬉しそうである。
今からでも止めようかと思ったが、綾華と亜紀が仲良くなるのは悪い事ではないだろう。
何を吹き込まれるかは怖いところだが仕方ない。
苦笑しながら俺も大浴場へと向かった。
□ □ □ □ □ □
大浴場から部屋に戻ると食事が三人分用意されていた。
少しバツの悪そうな綾華の隣には上機嫌の亜紀。
「おい、なんでお前がここにいるんだよ」
「いやぁ、お風呂場で綾華ちゃんと意気投合しちゃってさ。ご飯も一緒に食べてくれるって」
語尾にハートマークでも付けてそうな口調でテヘペロしてくる亜紀。
部屋主である俺が許可したわけでもないのに三人分用意されている時点で、親父たちの了承が入っている。
これで問答無用で亜紀を追い出そうものなら、後で説教の嵐だろう。
「ハァ、まあいいか。食うか」
「はぁ~い、いっただきまーす」
亜紀はお客様用のご飯が食べれるのでウキウキである。
従業員用のまかない飯はそれなりに美味いのだが、やはりお客様用の飯はまた別格である。
「ハイ、叔父さん。大好きな大吟醸を用意しておいたよ。ビールより大吟醸でしょ?」
「英二様、そうなのですか?」
「あぁ、まあな」
綾華は少し拗ねたよう表情で聞いてきた。多分、昨日、ビールを薦めてきた事を軽く後悔しているのだろう。
「大吟醸が好きなら遠慮なく言ってくだされば良かったのに」という表情である。
「ちなみに、この大吟醸は旅館の奢りか?」
「そんな訳ないじゃん。きちんとお客様である叔父さんの宿泊費に合算するよ。公私混同はしちゃいけませんなぁ、叔父さん」
部屋主に断りなく三人分の料理を用意したのは公私混同に入らないんですかね、この野郎。
てか、帰省して来た身内に対して宿泊費を請求する家族ってどうなんよ。
客室を利用しているだろって言われれば何も言い返せないが。
久々に飲む地元酒の大吟醸は旨い。適度に高い度数の酒の喉越し、胃に染み渡る熱さ。旨い。
女子トークに盛り上がる亜紀たちを肴に呑む酒も悪くない。
風呂で亜紀がどういう手品を使ったかは知らんが、すっかりと綾華と打ち解けていた。
社交界にしがらみのない同年代の亜紀と仲良くなれた事は綾華にとって貴重だろう。
黙々と食べつつ飲みつつ良い気分の俺にニヤけながら亜紀が言ってきた。
「ねえ、叔父さん。綾華ちゃんってスンごいスタイルいいよ。知ってた?」
「ちょっと、亜紀さん!?」
亜紀の口を真っ赤な顔で両手で塞ごうとする綾華。
モガモガと更に何か言おうとする亜紀。
いいねぇ、こういう年相応のじゃれ合い。多分、綾華には無い経験だ。
結構な酔いも手伝い、つい俺も身内同士のノリで答えてしまう。
「あぁ、知ってる」
「英二様!?」
綾華の顔が茹でダコの様に赤くなり涙目になる。
上品な社交界ではまずあり得ないやり取り。綾華のキャパをオーバーしたようだ。
顔を両手で覆い、肩を震わせてしまう。
「あー、叔父さんセクハラだよぉ? 可愛い綾華ちゃんが泣いちゃったじゃん」
それを振ってきたお前がどの口で言う。
亜紀が綾華を抱きしめ、頭を撫でて慰める。
不本意ではあるが、とりあえずキチンと詫びねば綾華の心に傷を残す。
「すまん、綾華。言葉が不適切でした。嫌な気分にさせちゃったよな」
綾華は頭を振りながら、顔から手を離し顔を真っ赤にしながら俺を見る。
「他の殿方ならともかく、英二様からなら嫌じゃありませんわ。ただ、恥ずかしいだけですわ……」
あぁ、さいですか……。この答えにはどう返していいものやら。
気まずい顔で頬を掻く俺をジト目で亜紀が見てくる。
「叔父さん、口元が緩んでるよ。ハァ、熱々ですねぇ」
亜紀の一言に綾華は襟元まで真っ赤になってしまう。
この気まずさをさらに煽るなよお前は。
気まずく、更に大吟醸を喉に流し込んだ。
雰囲気を変えるためか、亜紀が思いついたという顔で言ってきた。
「そうだ、久しぶりにマッサージしてあげるよ叔父さん。久々の雪かきで身体やばめでしょ?」
「まあ、明日の筋肉痛が怖いところではある」
「じゃ、決まりだね。そこの布団に横になって」
亜紀はマッサージが上手い。
昔、親父や俺は肉体労働を終えた後に、よく亜紀にマッサージをしてもらっていた。
特に頼んだりしていたわけではないのだが、自主的に亜紀がしてくれたのだ。
多分、実家に住まわせてもらっている亜紀なりの気遣いだったのだろう。
そんな気遣い無用で子供らしく無邪気に健康に育ってくれれば親父も俺も文句はなかったのだが。
亜紀は布団にうつ伏せになった俺の腕を取り、手の平を揉み解してくる。
手の平のコリがほぐれ気持ちいい。そのまま、二の腕の筋を強めにほぐしてくる。
腕の疲れが軽くなっていくのが分かる。
「ありがとう、マジ助かるわ。相変わらず上手いなお前」
俺の気持ちよそうな声に「でしょでしょぉ~?」と気分よさげに返してくる亜紀。
ふと、顔を横にずらすと思いっきり拗ねた様な羨む様な顔で綾華がこっちを見ていた。
いや、これは身内同士のスキンシップというかマッサージなんですが綾華さん。
それに気づいた亜紀が苦笑いしながら綾華を手招きした。
「綾華ちゃんもやってみる? マッサージってしたことある?」
「お恥ずかしながら、やった事ございませんわ」
「そか、じゃあやり方を教えてあげるから叔父さんの背中を解してあげて」
うつ伏せになっているので、どういう教え方をしているが分からないが、戸惑う綾華の声が時々聞こえる。
「マッサージなんだから恥ずかしがってちゃ駄目だよ」と言う亜紀の声。
しばらく経つと、背中に柔らかい手の平が乗せられてきた。
亜紀は肩回りを解してくれているので、綾華の手の平だろう。
「えっと、こ、こうでございますか」
「そうそう、手の平の付け根付近で叔父さんの背骨に沿って軽く押してあげて」
「か、かしこまりましたわ。英二様、強さはこのくらいでよろしいでしょうか」
綾華はぎこちない手つきで俺の背中を押してくる。
ぶっちゃけ、お嬢様である綾華の細腕の力では物足りないが、これ以上の指圧を求めるのは酷だろう。
俺は「そんくらい」と言ったが、俺の反応で亜紀は圧が足りないと察したようだ。
「よし、綾華ちゃん。おじさんに跨っちゃおうか」
「え、えぇ!? それは流石に英二様に失礼でわ」
「マッサージなんだから失礼も何もないよ。それに、綾華ちゃんの体重をかけないと叔父さんの背中のコリは取れないだろうし」
亜紀の言う事は正論ではあるが、お嬢様の綾華には恥ずかしいようだ。
マッサージをしたことが無い綾華は、今まで男の背中に跨った事なんては無いだろう。
綾華に無理をしなくていいと言おうと思ったが、亜紀が「私が代わりにやろうか?」と言った途端に、「失礼します」という言葉とともに俺の背中に柔らかい感触が広がった。
綾華が勇気を出して俺の背中に跨ってきたっぽい。
マッサージの時に亜紀が俺の背中に跨がってくるなんてよくあった事だから、亜紀相手では特に意識しないが綾華と思った途端に変に柔らかみを意識してしまう。
俺が思わず身体を硬くしてしまった反応で気づいたのか亜紀がそっと耳打ちしてくる。
「叔父さん、マッサージだよぉ~。それとも綾華ちゃんの太ももの感触は、童貞のおじさんにはキツイかな?」
「ウルセェ」
無心無心。これはマッサージ。変な邪な考えはない。
綾華も俺の疲れを取るためにやってくれている事。
なるべく、考えないようにしていると酔いのせいか疲れのせいか心地よいい眠気が襲ってきた。
やがて、眠気で混濁した意識に微かな声が聞こえてくる。
……あらら……叔父さん……寝ちゃったね
……余程……お疲れだったのでしょう
……じゃ……私は戻るね。……叔父さんをよろしくね
瞼の外で部屋が暗くなったのが感じられた。
ふと、手の平が柔らかく温かい感触に包まれる。
あぁ、柔らかい。今のフワフワした心地にはちょうどいい。
俺はフワフワしながら柔らかい感触を強引に引き寄せた。
「え、英二様!?」
何か聞こえた気がしたが良く分からない。
柔らかく温かい。良い香りがする。
あぁ、もっと、近くで、香りを、感じたい。俺はその香りを抱きしめた。
「え、英二様。お寝ぼけていらっしゃいますのね!?」
何か聞こえた気がしたが良く分からない。
香りを抱きしめると温かみがさらに増した。
心地よい柔らかさを腕の中に感じながら意識が深い底に落ちていく。
その中でかすかに聞こえた。
「……英二様、愛しておりますわ」
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