第25話 おっさん、綾華に舌を巻く
「うわっ、叔父さんヒドいクマ。何~? 昨夜はお楽しみだったのかなぁ?」
翌朝、寝不足で重い身体を覚ますため旅館の裏口でタバコを吸っていると、ゴミ袋を捨て終わった亜紀が俺の脇腹をつつきながらニヤけてきた。
「馬鹿野郎、お楽しみも何も綾華は先に寝たし、起きてても何もしねえよ」
「うっわ、噂以上のヘタレだね叔父さん。寝てるからって何もしないとありないよ。普通、少しぐらい触るでしょ」
確かに少しぐらい触った。だが、あれは触ろうとして触ったのではなく、綾華が寝ながら胸元に俺の手をホールドしていたため、不可抗力で当たっていただけだ。
おかげで、理性を保つのに必死でなかなか寝付けなかった。多分、四時間くらいしか寝れてない。
目が覚めた時には綾華は先に起きており、私服に着替えていた。
起きたなら起こしてくれても良かったのにと言ったら、「気持ち良さそうに、寝ていらっしゃったので起こすのも申し訳ないと思いまして。それに寝顔を見ているだけで幸せでしたので」と微笑まれた。
十六歳の美少女に寝顔が可愛いと言われた四十歳の俺。
ポーカーフェイスで顔を洗ってくると駆け込んだ洗面所で身もだえたことは胸に秘めたい。
「そこまで、飢えとらんわ。てか、噂以上ってなんだよ」
「叔父さんは未だに童貞のヘタレだって、良太さんが帰省の度に言ってたよ?」
姪になんてことを吹き込むんだあの野郎。
俺は盛大に煙を吐き出し、携帯灰皿に吸殻を突っ込んだ。
「つか、十六歳の女の子が童貞だの触るだの言うんじゃねえよ。お前には恥じらいってもんがないのか」
「叔父さん相手に恥じらいを持つとかあり得なくない? 昔はよく一緒にお風呂入ったのに」
「普通、風呂うんぬん言うのはお前じゃなくて俺だろ」
ケラケラ言いながら亜紀は手伝いがあるからと事務所へ引っ込んでいった。
まったく、誰に似たんだあの性格。……間違いなく姉貴だな。
まあ、亜紀には色々とからかわれることが多いが不思議と嫌な気になったことはない。
早くに父親を亡くし、傷心した姉貴とウチに戻ってきた時の状態を思えば今の方がずっといい。
「さて、俺も部屋に戻って雪かきの用意をしますかね」
部屋に戻ると綾華が勉強をしていた。冬休みの宿題をきちんと持ってきていたらしい。
俺に気づくと手を休めてお茶を淹れようとしてくれたが、すぐに手伝いに向かうからと遠慮した。
「わたくしに手伝えることがあれば、お申し付けくださいね」
「あぁ、とりあえず雪かきは力仕事だから綾華の出番はないかなぁ。何かあったら頼むから宿題を進めてて」
「かしこまりました。でも、明後日には終わってしまうので何かしらあるとよろしいのですが」
「……マジで? 三日間で冬休みの宿題が全部終わっちゃうの?」
クリスマス礼拝の翌日が綾華の冬休み開始日だ。つまり、実家に着いた昨日が開始日。
三日間で冬休みの宿題を終わらすとか化け物か?
「ええと、ひょっとして綾華って学校で頭が良い方なん?」
「一応、中等部の頃よりテストはずっと五位以内に入っております」
誇るでもなく淡々と笑顔で言ってくる。財力もあって料理も出来て頭も良いとかどんだけですか綾華さん。
俺なんて冬休みの課題を最終日に取り掛かって、終わらなかった分は三学期の始業日に友達に土下座して写させてもらってたのに。
綾華と結婚する男は幸せ者だが劣等感を抱えながら過ごすんじゃなかろうか。
劣等感を抱かないのは、神経が余程図太いか、綾華と同等以上のステータスとスペックを持つ男だろう。
そんなことを考えながら雪かき場所の正面玄関へと向かった。
正面玄関に着くと、大人の腰までの高さまで雪が積もっていた。
昨日の午後に親父が雪かきしていたのに、ここまで積もるとはやはり雪国はエグい。
「よし、久しぶりだ。気合を入れてやるかー」
雪かきスコップを積もった雪に垂直に突き入れ四角に区切っていく。
いくつか区切れたら四角の底にスコップを突き入れ、スノープッシャーに適当に放り込んでいく。
スノープッシャーが満載になったら、旅館の横の排水路に放り込む。
排水路には温泉の水が流れているので放り込んだ雪は片っ端から溶けて流れていく。
久しぶり過ぎて十五分ぐらいで腕が悲鳴をあげ始めた。
……きっつ。十代の頃は二時間連続で続けられたのになぁ。
こりゃ、高齢の親父じゃ腰を痛めるはずだ。小型除雪機を買えばいいのに何故か人力にこだわるんだよなぁ。
心の中で愚痴りつつ、さっさと作業を再開する。早く終わらせなければ宿泊客のチェックインやチェックアウトに影響しちまう。
とりあえず、腕の悲鳴に耐えながらも続けられるのはダイエットのための筋トレのおかげだな。
黙々とスピードを上げてなんとか玄関回りの雪かきは終わり、玄関横で一休みしていると受付の亜紀が来た。
「叔父さん、お疲れー。ほい、ホット蜂蜜レモンティー」
「おう、サンキュ。ちょうど、体が冷えて喉も乾いてたころだ」
「へっへぇ、気が利くっしょ」
亜紀が満面の笑みでペットボトルを渡してくる。
雪かきで防寒着の下はうっすら汗をかいているから、冷やさないためにも亜紀の心遣いはありがたい。
一気に飲むと身体中に温かさが染み渡る。
くぅ~、この甘酸っぱさが美味い。
「ねえ、叔父さん。ちょいと相談なんだけどさ。叔父さんって料理できたっけ?」
「いや、出来ねえよ。一人暮らしの時はもっぱら外食かコンビニ弁当だったし」
「アハハ、典型的な残念中年だねぇ」
「うるせぇ、経済に貢献してるって言ってくれ。それよりなんでだ?」
「厨房の佐藤さんが風邪をひいちゃったらしくてね。三日間は出てこれなさそうなのよ」
「あー、佐藤さんも年だもんなぁ」
佐藤さんは俺が小さい頃から厨房に居たベテランだ。よく厨房で食事をコソッとつまみ食いさせてくれた。
厨房スタッフはシフトギリギリで回しているはずだから、大ベテランの佐藤さんが抜けるのは痛いよなぁ。
親父やお袋や姉貴は料理できるけど、従来の業務を疎かに出来ないし。
「誰か、料理できる人がいればいいんだけどねぇ」
「料理できる人か……。近所を当たれば見つかるだろうけど、厨房で料理をテキパキ作れるだけのプロ級の腕前を持つ人なんていないよなぁ」
うーん、参ったな。このままじゃ、厨房スタッフの負担が半端ない。
四条家であればお抱えのシェフが何人も居て問題ないんだろうけど、実家の都合でわざわざヘルプしてもらう訳にもいかないし。
うーん……シェフとは言わないまでもプロに師事したことがある人。
……居た。師事とは言わないが、プロに料理を三年以上習っている子。
「綾華に頼んでみるか?」
「あの子、料理できるの???」
「確か中学校の頃から授業で和洋中のプロたちから料理習っているんだってさ」
「マジで? あんな可愛くて料理の腕が凄いって完璧じゃん」
ダメもとで頼んでみると言い、亜紀は館内に戻っていった。
俺はスコップを掴み、今度は旅館周りの除雪に向かう。
レモンティーの温かさが無くならないうちに作業を再開しなければ、また体が冷えてしまう。
玄関周りと同じ要領で旅館周りも黙々と進めていく。
一日でもサボると、次の日に自然のしっぺ返しをくらう。
雪が押しつぶされて固くなるわ重くなるわ、一日さぼっただけで普段の三倍はキツくなる。
今夜は身体バキバキで明日は筋肉痛だな。
午後は屋根上と軒先の氷柱の処理もしないとなぁ。
俺は止むことのない雪を見上げながらため息をついた。
□ □ □ □ □ □
外が薄暗くなったので部屋に戻ると綾華は居なかった。
仲居さんに聞くと手伝いを快諾してくれて、午後三時くらいから厨房で料理を手伝っているとのこと。
その腕前たるや厨房スタッフも舌を巻く程らしい。
大丈夫かな、料理の腕前が凄くても体力が心配だ。
普段は家事なんてやらないお嬢様なのに。
三十分くらい心配しながら待っていると綾華が戻ってきた。
「お疲れ、もう厨房は大丈夫なのか?」
「はい。料理の下準備は全て終わらせてきましたので、後は任せて今日は休んでくださいとのことでした」
「そうか、大活躍だったらしいじゃん。疲れたろ?」
「疲れはいたしましたが、それ以上に楽しかったですわ。皆さん、とてもお優しく接してくださって」
「そりゃ、綾華みたいな可愛い子がヘルプに入れば誰でも嬉しいだろうしな」
その途端、綾華は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
何故か手をもじもじさせている。
なんだろう、変なことを言っただろうか?
「どうした、綾華?」
「可愛いだなんて、初めて言われました」
「え、綾華なら周りの人たちから普通に言われているんじゃないか?」
「……英二様に初めて言われました」
「そ、そうだっけ?」
「ハイ……」
そう言えば、綾華に面と向かって可愛いって言ったのは初めてかもしれないな。
心の中でなら出会った当初から何回も言っていたけど。
「そうか、うん。いや、出会った頃から可愛いとはずっと思ってたよ」
「そんな何回も……。嬉しいけど恥ずかしいですわ」
「あ、じゃあ言わない方がいい?」
「英二様は意地悪ですわ。言われたほうが嬉しいに決まっております」
……どないせえっちゅうねん。
こういう時どうすれば良いのか分からない。
笑えばいいのだろうか?
恋人同士ならここからイチャイチャタイム突入なのだろうが。
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