第24話 おっさん、綾華にモヤモヤさせられる

 部屋に戻ると綾華が火照った顔で微笑んできた。風呂上がりの艶やかな黒髪を礼儀正しく後ろに流し、浴衣をシワなく着こなしている。服の上からでも分かる柔らかい曲線。

 風呂上がりの良い香りが部屋中に充満し、無意識に胸がドキドキする。


「英二様、ご飯が用意されておりますわ。後、いつの間にかお布団が隣の部屋に敷かれておりましたの」


 隣の部屋を見ると確かに布団が並んで敷かれていた。

 しかも、布団がピッタリくっつけられて掛け布団も密着されている。枕も微妙に近い。これは否が応でも変な妄想が浮かんでくる。


 落ち着け、落ち着け俺。ここは実家だ。綾華は未成年だ。

 出て行け煩悩。深呼吸だ深呼吸。


 スーハースーハースーハー……


 あぁ、綾華のお風呂上がりのいい匂いが俺の身体に染み込んでいく……


 いかん、これでは落ち着くどころかまさかの逆効果。

 とりあえず、飯だ飯。とにかく気を紛らわさせないと。


「とりあえず、飯食おうか」

「えぇ、かしこまりましたわ」


 綾華は俺が座ると備え付けの冷蔵庫からビールを用意してくれた。

 四条家に居た時は総裁と奥様がいた手前あまり飲まなかったけど、実家にいるくらいは遠慮なく飲んでいいだろう。


 目の前に並んだ料理は俺が実家で過ごしていた時の飯とは違っていた。

 流石にお客様に出す料理は、家族用の料理とは違う。


「ささ、英二様こちらの海老の蒸し焼きは美味しそうですわ。こちらハマグリのバター焼きも」


 綾華がここぞとばかりに世話を焼いてくる。四条家でも世話を焼いてくるのが、メイドさんがいない分いつもより甲斐甲斐しい。冷えたグラスに微笑みながらビールを注いでくれる。


 地酒だけあって懐かしい喉ごし。

一気に飲み干す俺を優しい目で見つめながら、ちょっと照れたように言ってくる。


「あ、あの英二様。お願いがございますの」

「うん、どした?」

「お嫌でなければ、その、アーンをさせていただけないでしょうか」

「アーン?」

「はい、アーンでございます」


 更に顔を赤らめて綾華はもじもじしだす。


「……アーンって、あれか恋人同士が良くするアレか?」

「はい、そのアーンでございます。その、クラスの友人が言うのには恋人同士はアーンで食べさせ合うものだと」


 誰だよ、綾華に余計な知識を吹き込んだ連中は。

 良太の言っていた事は本当だな。純粋培養な子ばかりじゃないか。

 大体、恋人同士はアーンし合うなんて、恋人がいたことのない俺は知らん。

 ましてや、アーンなどしたこともされたことも無い。

 飲み会でノリでしそうな雰囲気になったことはあるが相手に体よく避けられてしまったのは苦い思い出。


「確かに恋人同士でならするものだとは思うけど」

「では、させていただけますか?」


 顔を赤らめながらも目を輝かせ近寄ってくる。

 いや、俺は恋人同士でならって言ったよね?

 照れくさいし断りたいが、ここで断ったら綾華のテンションだだ下がりである。

 これから一週間は一緒の部屋で過ごすのに、それはマズイ。

 客観的に見れば四十のおっさんが浴衣姿の女子高生にアーンされるのはキモさ確定だが止む得ない。


「う、うん。じゃあ、あ、アーン」

「はい、アーン」


 嬉しそうに箸でハマグリをつまみ、俺の口元へ運ぶ綾華。

 意識するまでもない、多分俺は顔がデレデレだ。

 何しろ、人生初のアーンだ。ましてや相手は美少女の綾華である。

 これで顔が緩まない男などいようか。いや、いないだろう。


「はむ、うん美味い」


 しまった、勢い余って綾華の箸も口に含んでしまった。

 思わず、箸を変える様に綾華に言おうと思ったが、幸せそうな綾華はそのまま俺に向かって口を慎ましく開けてきた。

 えっと、これはあれか。俺にもアーンしてというおねだりか?


 ……するの? マジで? 四十のおっさんが十六歳の女子高生にアーンするの?


「英二様、アーンですわ」

「お、おう。じゃあ、アーン」


 俺も自分の皿からハマグリをつまみ、綾華の口元へ運んだ。

 俺の時と同じように綾華は俺の箸ごと口に含み、箸をそっと抜くと幸せそうにハマグリを咀嚼する。


 ……なんだろう、超むず痒い。

 さらに人生初の間接キスである。学生の頃、女子とペットボトルを回し飲むなんて夢のまた夢だった俺。

 人生初の間接キスの相手が綾華だなんて夢にも思わなんだ。

 当の綾華は間接キスなんて気づいてもいない。

 黙りこくっていると照れくささ倍増なので、とりあえず話題を振らねば。


「う、美味いなこれ。実家の厨房で時々つまみ食いしていたけど好きなんだよなぁ」

「お好きですのね。家に帰りましたら同じものをご用意いたしますわ」

「作れるの? 結構、下処理とか凝っているはずだよコレ」

「そうですわね。ここまでの味を出すのは難しいと思いますので、出来れば後で習いたいですわ」


 綾華は上品に味を確かめながら頷いている。まるで、自分で作るかのような仕草だ。


「もしかして、自分で作ろうとしている?」

「はい、英二様の好きな食べ物ということであれば将来に備えてキチンと覚えておきませんと」

「将来の事はさておき、綾華って料理できたの?」

「もちろんですわ。淑女たる者、どの様な料理でも作れるようにというのが学園の教えです」

「和洋中どれでも?」

「えぇ、中等部の頃から調理実習は必須で六年かけてプロの料理人の方々から手ほどきを受けますの」


 マジか。すげぇなお嬢様校。セレブなお嬢様方は料理をお抱えのシェフに任せきりってイメージだったのに。

 財力もあって手料理も完璧とか隙が無さすぎじゃなかろうか。

 感心している俺にお代わりのビールを注いでくれる。


「英二様、もう一度、ハイ、アーン」

「ア、アーン」

「うふふ、わたくし幸せですわ。この様に英二様と二人っきりのお部屋でお食事なんて」


 二人っきりの部屋だから少しは貞操の危機感を持ってね綾華さん。

 こちとら、理性を保つのに大変なんですから。

 酒も料理も進み食べ終わる頃には、酔いも回り気分も良かった。


 仲居さんに料理を下げてもらい、TVを見ていると歯を磨き終わった綾華が隣に座ってくる。

 しばらく、無言でTVを見ていると綾華がそっと肩に頭を置いてきた。

 目がうつらうつらしていた。


「疲れたよな、もう寝るか?」

「英二様がお眠りになるなら」

「う、うん、分かった。寝ようか」


 俺が腰を上げると甘えるように手を握られた。

その柔らかい手の感触に嫌が応にも、一緒に寝るんだという事を意識させてくる。


 部屋の電気を消し、隣の部屋に移動すると動悸が激しくなってきた。

 普段は気にしない布団を踏む音でさえ、俺の鼓動を速くする。


 相手は未成年、手を出したら淫行確定。ビールで弱った理性を総動員し荒くなりそうな鼻息をセーブする。


 とりあえず、布団に入ろう。別々の布団だし手を離せば少しは落ち着ける。

 と、思い手を離そうとしたが綾華は離してくれなかった。

 怪訝に思い綾華の様子をうかがったが、部屋が暗くて表情は読み取れない。


「ど、どうした綾華?」

「あの、出来れば手を繋いだまま寝てもよろしいでしょうか。もし、お嫌でなければですが……」

「お、お嫌じゃないです」


 暗闇の中で綾華がホッとした雰囲気は分かった。

 綾華と手を繋いだまま布団に入ったが、手を繋いでいるため異様に綾華の距離が近い。


 綾華の良い香りと吐息がすぐ間近で感じられる。


 ……これはホントにヤバイ。必死に理性を総動員していると綾華の布団がすれる音がした。

 俺の手の平に綾華のもう片方の手が添えられる。


「英二様」

「う、うん?」

「わたくし、英二様のご家族に失礼な事はなかったでしょうか?」

「無い無い。ウチの家族は礼儀とかにうるさくないし。仮にうるさいとしても、綾華の立ち振る舞いに問題なんかないよ」

「良かった。英二様、わたくしがご実家へ来るのお嫌ではありませんでした?」

「別に嫌じゃないよ。むしろ、綾華をこんな古臭い温泉旅館に連れてくる方が申し訳ないというか」

「そんな、わたくしは英二様の旅館の雰囲気好きですわ。建物の造りも落ち着きますし、温泉も気持ちいいですし、お料理もおいしいですし。何より英二様のご家族の方々は温かみがございますわ」


 温かみも何も親父と姉貴の凶暴な一面しか見えてなかったと思うんだが。

 綾華は俺の握った手を更に綾華の胸元に引き寄せる。

 心なしか俺の指先に微かな柔らかみが感じられた。


「わたくし……英二様の……ご家族の方々ともっと……仲良く……」


 綾華の声が途切れたかと思ったら、代わりに規則正しい寝息が聞こえてくる。


 おおい、この態勢で眠りにつくとか勘弁してください綾華さん。

 せめて指先に触れる柔らかい感触だけでもどうにかしてよ。

 綾華の胸元から手を引き戻そうと動かすが、寝ているはずなのに両手でがっちりホールドされて動かせなかった。


 ……こんな状態で何もせずに寝ろとか拷問かよ。

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