第17話 おっさん、クリスマス礼拝に行く
クリスマス礼拝当日、白菊女学園に向かうために四条家の廊下を歩いていると四条総裁の奥さんから声をかけられた。
食事の時は何回か話すことはあるが、こうやって普通の時に話しかけてくることは珍しい。
家の事は桜庭さんを筆頭にメイドたちが行うため、普段は朝から色々な社交場に顔を出しているからだ。
だからと言ってお高く留まっているわけではなく、平々凡々なサラリーマン家庭出身で気さくな良い人。
子供の事から炊事洗濯掃除など家事全般を手伝っており、母親が趣味でやっていた囲碁をキッカケに四条総裁と知り合ったそうだ。
「若宮さん、今からクリスマス礼拝にお出かけかしら?」
「えぇ、流石に緊張しますよ。明らかに場違いな場ですから」
「ごめんなさいね、綾華のわがままに付き合ってもらって。あの子、いつも若宮さんの話ばかりしているのよ。今日の若宮さんはこうだったとか、若宮さんのここが素敵だとか」
うーん、好かれていることは明白だけどここまで重症だとは。
ホント、こんなハゲ散らかしたおっさんのどこがいいのだろうか。
経済力があるわけでもなくルックスがいい訳でもないのに。
「釈然としない顔ね。なんで自分なんかが好かれているか分からないって思ってないかしら?」
「……分かりますか」
「社交場で色々な人間を見ていますからね。あそこは腹の探り合いの場所でもあるのよ。それに比べれば、貴方は顔に出て分かり易いわ」
「凄いっすね、確かに思っていますよ。綾華ほどの子なら、俺なんかよりふさわしい相手が沢山いると思うんですけどね。年齢も一回り以上違うのに」
奥さんは物悲し気に微笑みながら手を握ってくる。
突然のことに驚いたけど、不思議と緊張しない温かみのある手だった。
「貴方は自分に自信がないのね。大丈夫よ、貴方は十分素敵よ。胸を張って生きてくださいね」
「そりゃ、自信も無くしますよ。今まで彼女の一人も出来たことが無いし」
「それは貴方が選んだ女性たちに見る目がなかったのよ。貴方の本質を知ろうとしない人ばかりだったのね。そんな女性ばかりを選んだのが失敗。そういう意味じゃ貴方も女性を見る目がなかったという事ね。綾華は人を外見で判断せずに中身を見る子よ。親の私が保証するわ」
……俺に女性が見る目がないか、考えたこともなかったな。
確かに付き合う事ばかり考えて見た目の良い女にしか声を掛けてなかったし、良太と違って自分の事ばかりしか考えてなかった気がする。
奥さんは温かい目で微笑みながら俺の肩を叩き、俺の全身をくまなく眺めて桜庭さんを呼び出した。
「桜庭さん、若宮さんを全身コーディネートして差し上げて。自分に自信がない人は、お洒落に気を使わない人が多いわ。出発を一時間遅らせてもいいから、若宮さんが自分に自信が持てるような髪型とファッションを選んで差し上げてね」
「かしこまりました、奥様。幸い、若宮さんが一ヶ月ダイエットを頑張られたおかげで、着られる洋服の種類も一気に増えましたからな。すぐに取り掛かります」
□ □ □ □
四条家で服装や髪形を色々と弄られた俺は白菊女学園の正門前に立っていた。
正門には複数の手荷物検査場があり、正門は勿論のこと学園全周を囲う様に監視カメラが付いていた。
手荷物検査場の奥にはSPとおぼしき黒服の男たちが立っており、周囲に気を張っている。
前に綾華を正門まで送っていった時は、ここまで警戒が厳重じゃなかったんだけどな。
多分、クリスマス礼拝には外部の人間が入り込むため厳戒態勢なのだろう。
これじゃ後ろめたいことが無くても緊張してくる。
大丈夫、奥様にも言われた「自分に自信を持て」だ。
髪型は薄毛を目立たせない髪型に変えられたし、服装も四条総裁の様なダンディズム感を漂わすイケオジ風だ。
普段は付けていないが、四条家から貸してもらった高級腕時計だって付けている。
流石に顔までは変えられなかったが雰囲気だけなら、いつものモッサイおっさんの俺じゃない。
きっと、こんな俺なら怪しまれることなくスムーズに通れるはず!
「ご来校ありがとうございます。どなたのご紹介でしょうか? 紹介カードのご提示をお願いいたします」
ハイ、スムーズに通ろうとしたら引き留められました。
持ち物検査場にいた教師と思わしき女性が俺を訝しむ目で見てくる。
やっぱ外見をどれだけ立派に飾ろうとも、しょせんはおっさんですから怪しいですよね。
とりあえず、紹介カードの代わりに綾華から貰っていたID付きのアームバンドを差し出した。
アームバンドにIDカードリーダーを当てた女教諭の顔色が一変した。
「し、四条家のゲストの方でしたか。問題ございませんので、お通りくださいませ」
カバンの中身すら確認せずにノーチェックで通された。
流石は天下の四条家と言うべきだが、ちょっとセキュリティが甘すぎではなかろうか。
名家のお墨付きとはいえ、中には良からぬ事を企む輩もいるだろう。
正門を抜けると広い中庭に続いており、中央には噴水があり生徒や来場者たちで溢れていた。
噴水の奥には巨大なクリスマスツリーがあり、飾り付けが陽に反射し眩しく輝いている。
まずはクリスマス礼拝が開かれる講堂に向かわなければ。
講堂は大きい建物だから敷地に入れば分かると綾華が言っていたけど、目に入る建物はどれも大きい。
学校の建物だから校舎なのだろうが、俺が知る普通の校舎とはかけ離れていた。
一言で言えば、校舎がヨーロッパの宮殿風。
外観からして白い太い柱が何本も並び、窓には装飾が施され壁にはよく分からん文様が施されている。
そんな建物が噴水を中心として整然と並び、広大な敷地の奥まで続いている。
ここは日本かと疑いたくなる風景、昔ながらの外国人貴族が歩いていても不思議ではない。
このような中でお嬢様方は優雅に「ごきげんよう」とか「素敵なお召し物ですこと」と微笑みながら会話しているのだろうか。
「ごきげんよう、若宮様」
そうそう、こんな風にごきげんよう。
「もし、若宮様?」
そうそう、疑問形はきっと下品な「オイ!」とか「ハァ?」じゃなく「もし?」。
「若宮様?」
そうそう、俺を呼ぶ時も若宮様って、ん?
気づけば目の前には小柄だが大人びた童顔の美少女、西園寺麗奈が立っていた。
麗華とはあの一件以来だ。
「あ、ごめ、いや、申し訳ない、考え事をしていまして、西園寺さん」
「ご無理なさらず、若宮様の普段通りの口調で良いですのよ」
「ありがとう、敬語とか苦手で。綾華と話している時も敬語なんて使わないし」
そんな俺を軽やかに微笑みながら麗奈は居ずまいを正してきた。
そして、腰を九十度に曲げて俺に頭を下げてきた。
一瞬、何をしているのか分からなかったが謝られていると分かったのは、麗奈の言葉を聞いてからだ。
「まずは先日のご無礼、誠に申し訳ございません。あの後、小林はきつく叱り執事見習いへ降格させました」
「あ、あの事ね。いいよ、もう気にしていないから頭を上げてくれ」
「いえ、あの場で当家に恥をかかせないために泥まで被っていただき、父からも会えば必ず謝罪とお礼をと申し使っておりますの」
「わ、分かったから、とりあえず頭上げて? ね? ね?」
ちなみに、西園寺家のためではなく四条家のためなんだけどね。
綾華といい雪菜といい麗奈といい、お嬢様方は勘違いが激しいな。
そんなことよりも、まずいのはこの状況。
天下の西園寺家のご令嬢が学校の敷地内で見知らぬおっさんに頭を下げている。
しかも、人ごみの多い中庭の噴水。これはもう大事件である。
恐る恐る周りを見ると、案の定、注目を集めていた。
「まあ、ご覧あそばせ、西園寺様が」
「西園寺様が頭を下げるなど、何処の名家の御曹司なのかしら」
「どなたかあの方のお名前をご存知あって?」
御曹司じゃありません。しがない社畜だった薄ハゲ中年です!
しかも、一ヶ月前までは三段腹の親父でした!
周りの声に心の中で反論しつつ、なんとか麗奈に頭を上げてもらった。
「今後、何か困ったことがあれば、おっしゃってくださいね。最大限、ご協力差し上げますわ。ところで、若宮様はこちらからどちらへ?」
「綾華に講堂に来るように言われているんだけど、広すぎて何処にあるか見当がつかなくてね」
「当校を初めの方が迷わず講堂へ行くのは難しいですわ。ご案内して差し上げますわ」
「あ、ありがとう。このままだと一時間かけても辿り着ける自信ないから頼むわ」
麗奈と一緒に校内を歩き始めて、自分の失敗に気づいた。
麗奈の注目度が半端ないのである。西園寺家という肩書きもあるだろうけど、それを抜きにしても絶世の美少女。
そんな麗奈と男が歩いていれば、否応なしに勘繰られる。ましてや、さっきの出来事を見ていた連中からすればなおさらだろう。
俺を四条家の関係者だと知っているのは極少数だし、痩せてから学校に来たのは初めてだし。
ん? そういえば、なんで麗奈は俺が分かったんだろう。
会ったのは綾華と買い物の時と小林の件の二回のみ。
しかも、あれから痩せてお洒落して外見も多少は変わっているのに。
「そういえば、よく俺だって分かったね。あんま面識ないから正直ビックリした。あれから俺も痩せて外見変わったのに」
「何の情報が無ければ、わたくしも分からなかったかもしれませんわ」
「と、言うと?」
「綾華様が若宮様の事をよくお話しされていましたから。最近は、ご運動を頑張りになられて逞しいお身体になられたとか」
「あいつ、そんな事まで話しているのか」
「あ、でも逞しいお身体も素敵ですが、ふくよかな体型のままでも魅力的だと」
「そこまででいいや。なんかむずがゆい」
そんな俺を見て麗奈は口に手を当てながら上品な笑い声を立てた。
硬いイメージしかなく大人びている麗奈だが、こういう風に笑うのを見ると年相応の幼さが表れるな。
美少女が笑えば自然と周りの注目度も集めるし、この笑顔にイチコロな男も多いだろう。
麗奈は他の女生徒とすれ違うたびに、「ごきげんよう」と挨拶を返しながら進んでいく。
「あと、若宮様が来ることを聞いていましたので、お待ちしていましたの」
「待っていたってずっと中庭で?」
「いいえ、若宮様が付けているアームバンドのIDのおかげですわ。そのIDは入退場の管理を行っておりますの。誰の紹介なのかと入場者の氏名がデータベースに記録されますの。一定の権限を持つ生徒であれば、自由に履歴を閲覧できますのよ」
「ひょっとして、麗奈って学内で偉いの?」
「偉いかはわかりませんが、当校の生徒副会長を務めております」
そういって、麗奈は制服の裾をつまみ優雅に一礼した。
麗奈って綾華の同級生だろ、ということは十五歳くらいのはずだ。
それが中高一貫校の生徒副会長を務めるってすげえな。
つまり、データベースで俺が入場したことを知って、まず立ち止まるであろう噴水のところで網を張っていたと。
外見は太っていた時の俺から勝手に推測して声を掛けてきたのか。
データベース履歴を私用で覗く職権乱用を平然としちゃうのは若さゆえだな。
「待っていたのは先ほどの通り、お礼と謝罪のためですわ。本当に何か困ったことがあれば申してくださいませね。さあ、講堂に着きましたわ」
どこをどう歩いたなんて覚えてないが、目の前には首が痛くなるくらい見上げられる高さの教会があった。
綾華はどこにいるのだろうかと周りを見渡してみたが、それらしき人影はなかった。
それを察した様に麗奈は腕時計を見ながら話しかけてきた。
「時間ギリギリですわね。綾華様はクリスマス礼拝の聖歌隊の一員ですので、中で準備をなさっているのでしょう。多分、若宮様が来られるか気が気ではないと思いますわよ。さあ、早く中に入ってくださいませ」
麗奈は受付の女生徒に話かけると、俺を手招きしてきた。
受付の女生徒の舞い上がりようは凄く、麗奈に話しかけられた嬉しさから頬を赤らめ若干嬉し涙が浮かんでいる。
麗奈の計らいで講堂の最前列に座らせてくれるらしい。普通、そういうところはVIP席だろうに。
講堂に入ると窓に暗幕が張られており薄暗かった。
薄暗いわりに講堂内が暖かいのは冷暖房完備のおかげだろう。
ちなみに、麗奈は副会長の仕事があるから受付で別れたため、講堂内には俺だけで入った。
俺が最前列に座って間もなく、クリスマス礼拝が始まった。
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